ママチャリを漕ぎながら涙が止まらなくなった
うげ、視界が滲む。
いつもは8時45分に家を出るのだけれど、今日は8時10分に出てきてしまった。
旦那が8時に家を出てから、息子と二人きりになった朝のリビング。
床に散らかったおもちゃ。
流れるプラレールのDVD。
それをちらちら見ながら、パウパトロールのマグネットでおとなしく遊んでいる息子。
少し遠くに立ち尽くしてその様子を見ているノーメイクの私。
耐えられなかった。
「お外、もう行こうか」
声をかけると頷く息子。
トミカを2台持って玄関に走っていった。
私は息子の靴下と保育園バッグを持って後を追った。
靴下を履かせてやると息子は自分で靴を履こうとがんばっている。
だけど反対に履いてしまったようだ。
「あら、反対になっちゃったね。でもがんばって自分でできたね」
そう声をかけると嬉しそうにしている。
私はマスクをつけて帽子を目深に被った。
自分のショルダーバッグを肩からひっかけ、「だっこ」と手を伸ばす息子を右腕に抱え、反対の手で保育園バッグを持ち、アパートの階段をゆっくり降りる。
足取りが重い。
心がやられてしまっている日は、たいてい身体もやられてしまっている。
息子はすんなり自分から自転車に乗った。
ただしヘルメットは拒否されてしまった。
危ないから普段なら多少泣かれても被ってもらうんだけど、今日はもういいや、絶対に事故らないように気を付けよう。
息子は自分で選んだ赤い帽子を脱ぎたくないみたいだから。
「じゃあ、いくよー」
声をかけて自転車を漕ぎ始める。
17万円もしたパナソニックの電動自転車だ。
なのにペダルが重い、重い。
あれ? ちゃんと電源入ってる?
おかしいな、充電もまだ90パーセントもあるのに。
私は今日、そうとうパワーがないみたいだ。
ふらふらと自転車を漕ぐ自分が、なんだか滑稽で情けなくて、通学路を歩く中学生たちとすれ違いながら涙が滲んだ。
どうして泣いてしまうんだろう。
なにがどうってわけでもないのになんで涙が出てくるんだろう。
より惨めになるから泣きたくなんてないのに。
チラッとスマホに目をやると、まだ8時20分だ。
うちの息子の保育時間は9時からだから、あんまり早くついてしまっても先生に迷惑をかけてしまうかもしれない。
「ちょっとくらい、今日くらい、早めに行っちゃってもいいんじゃない?」
そう思えない私は、真面目すぎるのだ。
自分でもよく分かっている。
線路沿いを走って、踏切を渡る。
通勤通学の人たちは、子どもを後ろにのっけて鼻をすする私を怪訝そうな顔で見ている。
恥ずかしい。
消えてしまいたい。
涙、早くとまれ。
情けなくなるたびに涙はどんどん大粒になって、マスクの下では鼻水も止まらなくなって、号泣するときのワンピースのキャラみたいな状態になってしまうのはなんでだろう。
このままじゃまずい。
「ちょっとママと公園で休憩してくれる?」
息子に声をかけて、保育園でもよくみんなで行くという公園に寄り道した。
息子は慣れた様子でさっさと階段を登って、どんぐりを物色している。
なんて手のかからないいい子なんだろう。
ママが泣きべそをかいているから、空気を読んでくれているのか。
だとしたら、たった2歳の我が子に気を遣わせている自分がなおさら情けない。そう思ってもっと涙が溢れる。
ラジオトークのアプリを開いた。
旦那に電話したいところだけどまだ通勤電車の中だろう。
だれか、大人に声を聞いてほしかった。
ライブ配信のボタンを押して、通話するように耳にスマホを当て、泣きながら喋った。
息子は「ママ電話してるのかな?」と不思議な顔でこちらを見たけれど、マイペースにトミカのパトカーを走らせて遊んでいた。
言葉に詰まりながら泣きながら話した。
「しんどい」
「しんどい」
「つらい」
「情けない」
「きつい」
「しんどい」
そんなことばかり言った。
8分46秒配信をして、息子と一緒にまた自転車に乗って、保育園に向かった。
インカメで確認したらすごく泣いた人の顔をしていたので、マスクを目の下ギリギリまで上げて、帽子を目が見えるギリギリまで下げて、なるべく顔を隠して保育園に入った。
誰とも目を合わせずに「よろしくおねがいしまーす……」と小声で先生にあいさつをして、息子を置いて逃げるように保育園をあとにした。
開店2分前の業務スーパーの脇に座り込んで、もう一度泣いて、9時になったらキウイとバナナを買ってお店を出た。
こんな日もある。
保育園が決まって、抑うつもだいぶ良くなってきたなぁと思っていたけれど、こんなふうにろくにママチャリも漕げなくなり、保育園に送るだけでせいいっぱいで、情けなくて涙が止まらなくなる日もある。
焦っちゃだめだ。
ゆっくり、そんな自分も自分なのだと、受け入れていかなくちゃならない。
しんどい、しんどいと、声に出して言葉にすることで、少し楽になれた朝だった。
少し落ち着いたお昼過ぎ、配信を聞き直してみて、本気でしゃくりあげながら泣く大人とはなんとも迫力のあるものだなぁと我ながら引いてしまった。
この危機迫る感じ、まさに抑うつ、心を病んだ人間、といった様子で、実に興味深いと冷静に聞いた。
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