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川上未映子『きみは赤ちゃん』を読んで

あの『乳と卵』を書いた川上未映子先生が、妊娠からお子さんが一歳になるまでをどう感じ、どう切り取り、どう描くのか、わくわくしながらページをめくりました。

なつかしいなぁ、妊娠していたころのこと。我が子が無事に生まれ、まだ赤ちゃんでいたころのこと。

ちょっぴり涙がにじみました。

同時に、自分の中のドロドロした感情も露わになりました。

※今回の読書感想文は私の心の醜い部分を晒し、感情むき出しで殴り書きしておりますので、閲覧注意となります。文章もですます調でこそありますがかなり乱れております。あらかじめご了承のうえ読み進めていただければ幸いです。

あらすじ

35歳で初めての出産。それは試練の連続だった! つわり、マタニティブルー、分娩の壮絶な苦しみ、産後クライシス、仕事と育児の両立……出産という大事業で誰もが直面することを、芥川賞作家の観察眼で克明に描き、多くの共感と感動を呼んだ異色エッセイが待望の文庫化。号泣して、爆笑して、命の愛おしさを感じる一冊。

なんで私だけ?トイレで吐きながら心の中で悪態をついていた日々

妊娠生活は人それぞれ。それはよ~~~く分かっていることです。

それでも私は、多くの人のキラキラマタニティライフを見聞きして、恨めしい気持ちになってしまうのです。

みんなそれなりにつわりに苦しんでいるけれど、その苦しみはまあまあ早めに終わって、(←この言い方。すでに棘がある。笑)

お腹で子どもを育てながらも仕事をしたり、外食したり、なんと旅行にまで行ける人もいるのだなぁ、と。

私なんて7キロも痩せたのに。

私なんて何も食べれなくなって、しまいには水すら飲めなくなって、入院までしたのに。

私なんて、なにもできなかったのに。

同じ妊婦なのにどうして?

妊娠中の私はろくに掃除もできていないぐちゃぐちゃの家の中で「ほぉ~?どれどれ?」と斜に構えた態度でマタニティ雑誌をペラペラめくりながら、「あらあらあらいやだ、こんな風におしゃれしたり友だちとカフェ行ったり旦那さんと旅行行くような妊婦生活送れるなんて、まあみなさん、なんて良い御身分ですこと」と腐りに腐り切り、しかし実際には悪態をつく余裕などなく、トイレへ駆け込み心の中で毒づきながら吐いて過ごす日々でした。

なんで私だけ切迫早産になるの?

なんで私だけ寝たきりなの?

ずっと腕に点滴が刺さっている。ズキズキ痛いもうボロボロ。

どうして私だけこんなにお金がかかるの?

どんどん溢れ出てくる私の中の汚い部分。思わず不幸自慢(←この言葉、嫌いだけど)をしてしまいそうになる。(←ていうかもう十分すぎるほどしている。笑)

しかも旦那がめちゃくちゃ優しいこととか、そういう自分の恵まれている部分は全部よっこいしょと棚に上げちゃって。笑

あろうことか作者の川上未映子先生にまで嫉妬

幸せそうな妊婦さんが羨ましかったのは、妊娠中はもちろんそうだったけれど、すでに過去のこととなったこの期に及んでも元気な妊婦さんが恨めしいのです、私は。

『きみは赤ちゃん』を読みながらも、「いやいや、川上さんなんだかんだ言って仕事もちゃんとやれてるじゃん」と嫉妬の炎を燃やしている私がいるのです。こわい。怨念の塊。

もう終わったんだからいいじゃん。落ち着けよ、私。

妊娠も出産も大変なことには違いがなくて、それはべつに誰かと比較することでもありません。(頭ではちゃんとわかっています)

ギリギリ耐えられるレベルの体調不良を背負って仕事を続けるのだって(←川上さんみたいにね。そしてたぶん多くの仕事をしている妊婦さんもそう)、ベッドで点滴を打って寝たきりになる(←私とか)とはまた違ったキツさ、困難が、あるに違いないのです。

みんな違って、みんなキツい。

分かっちゃいるけど、「ふふん、私の方が大変だったなぁこりゃあ」と思いながら読み進める自分がいて、なんて嫌なやつなんだあたしゃ……、と呆れてしまいました。

いやほんと、呆れてものも言えません。

まだまだ人間として未熟だやれやれ。

川上さんの文才に笑わせていただきそして感動で涙をにじませながらも、時折ひょっこり顔を出す己の醜い部分を目の当たりにし、心底自分のことが嫌になったのでした。

エッセイを読むと他者の人生の追体験ができる

私が妊娠出産エッセイを読むのはこの『きみは赤ちゃん』が二冊目です。

一冊目は妊娠中に読んださくらももこ先生の『そういうふうにできている』でした。

どちらも帝王切開にて出産を体験された方のエッセイです。

私は経膣分娩(普通分娩とか通常分娩ともいうけれどあんな痛みが襲ってくるのに普通だなんてたまったもんじゃない。どう考えても普通じゃない。異常事態。非常事態。緊急事態を声高らかに宣言したい。全分娩をママたちみんなめちゃ頑張ってるえらいえらすぎるよ!えらい分娩!!!としてくれ)で出産をしたので、帝王切開について詳細に記されている二冊のエッセイを読み、たいへん勉強になりました。

私が出産した産院には2階に新生児室や授乳室があり、帝王切開で出産したママたちは移動距離が短くて済むよう同じく2階に入院していました。経膣分娩のママたちは基本的に3階に入院することになっていました。

このことからも、帝王切開での出産がいかに体に大ダメージを与えるものなのかよ~~く分かります。

川上未映子先生もさくらももこ先生もエッセイ内で「切腹」という表現をされていましたが、まさに腹を切る。帝王切開は切腹以外のなにものでもなく、未経験である私はお二人のエッセイを読み想像することしかできないのですが、出産というのは極めて命がけの行為であるのだということを再認識しました。

さらに興味深かったのは無痛分娩についてです。

無痛っていうからには痛くもなんともないのだろうと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、背中に管をぶっ刺してそこから麻酔をちゅーちゅー注入するのだそうです。ふつうに怖くないか?

日本ではメジャーな出産方法ではないので懐も大打撃を食らうこと間違いなしです。まあお金持ちなら別に100万かかろうが200万かかろうが豪華な産院に入院しようが痛くもかゆくもないのでしょうけれども……(←これまた棘棘の発言。笑)

とにかく、私は経験したことがないようなことがたくさん書かれていて、陳腐な言い回しではありますが、視野が広がりました。学びの連続でした。

気持ちを形にして残しておこう

そのときどきの感情って人は案外すぐに忘れてしまうもので、こんな感じで出産進んだなぁ~とか、毎日がんばって夜間授乳していたなぁ~とか、そんなことは事実として記憶していますが、自分自身の細かな気持ちの動きというのまでは実はあまり覚えていなくて、なので文章でもなんでもいいから形に残しておくことは大切なことだと思いました。

川上未映子先生のように泣ける笑える素敵なエッセイを書くことはできませんが、noteにでもスマホのメモ帳にでもそのへんの紙切れにでもいいから、ちょっとずつ記録をしていこうと決意しました。

この文章も10年後の私が見たら「間抜けだなぁ」と笑っているかもしれませんね。さすがに36歳になったなら、元気な妊婦さんに嫉妬するような器の小さな人間からは卒業していてくれることを祈るばかりです。


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