ほんの少しだけ報われた

よくブログなどで書いたことがあるが、最初の将来の夢は芸人ではなかった。

小学生の頃はゲームが好きで漠然とゲームに携わる仕事がしたい!と言ったり書いた記憶がある。それは女の子でいうところの「お花屋さんになりたい」「ケーキ屋さんになりたい」と同じレベルでの夢だった。

中学生の時に競馬が好きになった。
ゲーム好きから転じて、ゲームセンターの競馬ゲームにハマった。そしてなにより、祖父母が経営する居酒屋がWINS立川(場外馬券場)の隣であり、その影響を強く受けた。

学校が休みの土日に祖父母に会いに居酒屋に顔を出すと、「店に流れるラジオ日本の競馬中継を聞きながら、瓶ビール片手に、新聞とマークシートに何かを書き殴っているおじさん」が山のようにいた。

そのような状況を見て育った私は、先述の通り、アドアーズ立川店にあった「G-1ホースパークジャッジメント」と、オスロー立川店にあった「スターホース3」にどハマりした。(どちらも競馬メダルゲーム)

そして同時に「競馬」そのものを好きになっていった。メインレースはもちろん、土曜深夜のうまズキッ!と日曜深夜の中央競馬ダイジェストは毎週かじりついて見ていた。


そして、実際のレースを見たり、競馬史を追うごとに、「騎手カッコいいな〜」と思って、ジョッキーになることを志した。

これが初めての将来の夢だった。

しかし、私は身長が高いため、競馬学校騎手課程の受験資格がないことがすぐにわかった。(明確な身長制限は無いのだが、身長が高いと落とされやすい上、ダイエットでどうにかならないレベルで数値が規定体重と乖離していた)

これは本当に悲しかった。夢を志した瞬間に諦めざるを得なかったのは辛かった。


一方で、まだ諦めきれず、馬に携わる仕事がしたいと思い、厩務員や調教師を目指そうと志すようになった。

これが二つ目の将来の夢だった。

どうやったら厩務員になれるのか、調教師になれるのか調べた。
獣医経由で調教師になった人がいるんだぁとか、厩務員のなり方は色々あるんだなぁとか学びつつ、日本獣医生命科学大学のオープンキャンパスで乗馬部にてエアガッツに体験乗馬したりした。

その中で色々考えて、JRAの厩務員課程の試験を受けるためには乗馬経験が必須なことも踏まえて、高校生の時に北海道にある「とある生産者養成学校」の試験を受けた。

今でも忘れない。
試験が、新橋にあるJRAの建物の会議室で受けたのだが、何一つ上手くいかなくて、めちゃくちゃ肩を落として帰宅したのを覚えている。
面接でボロクソ言われた。「絶対落ちただろうな」と会議室退出する前に思った。

そして届いた不合格通知。

厩務員や調教師の仕事も騎手ほどではないが、私のような体格の大きい人間は求められてないことを身を持って痛感した。
そんなことは騎手を諦めた時点で感じていた。しかし、どうしても都合のいいように期待していて、不合格通知で現実がどーーん!と目の前に来た。かなり辛かった。

競馬そのものが嫌いになった。


可愛さ余って憎さ百倍、という諺があるが、それはマジだ。勝手に何かに裏切られた気持ちになって嫌いになった。
この一連の気持ちを説明するのが難しくて、誰にも理解されなくて、当時は本当に辛かった。


ちょうどその頃、仲良い友達とハイスクールマンザイに出ていた。越谷のイオンモールでどちゃくそスベった後、文化祭で漫才を披露したり、下北沢のフリーライブに出たり、適当に始めたゲーム実況が楽しかったり、色々なことがあって、人力舎に入って、芸人になった。
気付かない内に三つ目の将来の夢が、ぬるりと始まっていた。



私は芸人になった。
高校の時の友達は大学に進学した。

かつて中学高校の時は、年齢的なこともあり、競馬が凄い好きな友達は1人くらいしかいなかった。その唯一の競馬友達は、「お父さんが牧場で働いていた『家が府中の男』」だった。
そいつとは中学高校時代は、競馬の話しかしていなかった。キズナが挑戦した凱旋門賞をLINE通話しながら見ていたりした。

大学に進学すると、どうやら麻雀や競馬や女遊びや酒飲みを知るらしく、その結果中高の友達が競馬好きの友達に成り変わった。

馬券が買える年齢になり、友達と競馬の話を話す機会も増え、嫌いだった競馬がだんだんと好きに戻ってきた。

自分が東京競馬場で短期バイトした時に、中学高校の時にめちゃくちゃ好きだっためちゃくちゃ可愛い女の子が東京競馬場で働いていて、開門前のターフィーショップ近くで偶然遭遇した時はめちゃくちゃ嬉しかった。
「え?」「何で奈良原いるの!?」
その後彼女とは会うことはなかったのだが。(二回ご飯に誘って断られた)これも競馬を再び好きになった要因の一つかもしれない。




度々思うが、芸人は本当に簡単だ。
芸人はいい。誰でもなれる。
男女問わず、体格がなんでも、国籍がなんでも、障がいを持っていても、他に職があってもなくても、何歳でも、面白くなくても、前科があっても、自分が芸人だと思い芸人と名乗れば芸人になれる。


世の中には騎手のように、なることすら難易度が高い仕事もある。そこから成功するのも難しい。だから、なれているのに成功が難しいと嘆けくのが贅沢な気もたまにする。

いつか芸人を諦めたときに、あの時のように芸人やお笑い、あるいはエンタメごと嫌いになりそうで怖い。
だから恐らく、辞めた芸人の多くは、YouTuberや放送作家やライブ主催者になって、たまに芸人のフリして舞台立ったり、芸人のように芸人に接するんだろう。

だからこそ、まだ諦めようと思えないのかもしれない。ファミレスのバイトは爆速で辞めれるのに。



嫌いだった競馬がだんだん好きに戻ってきて、芸人をやっていて、いつか競馬の仕事がしたいなと思うようになった。

昨年と一昨年に、ばんえい競馬で協賛レースを行い、関係者の皆様の協力のもと仕事として携わらせていただいた。とても楽しかった。

そして、今年2023年9月17日、
来週の日曜、馬好王国に出演する。

学生時代に見ていたうまズキッ!の後継番組で、自分が死ぬほど見ていたフジテレビの競馬番組を作るスタッフさんとの仕事だった。
オーディションの時点で嬉しくて、通った時はまさかと思って本当に嬉しかった。今まで通ったオーディションの中で一番嬉しかった。

収録は楽しかった。しかし緊張しすぎて、何も覚えていない。(是非放送をご覧ください、見逃し配信等はありません、西在住の方はごめんね)



祖父母の居酒屋はコロナ禍で潰れ、祖父は今年亡くなった。居酒屋があったところはもう跡形もなく別の土地になってしまった。競馬のメダルゲームをしていたアドアーズ立川店もオスロー立川店も潰れた。
でも、競馬を好きになったきっかけの祖母が生きている内に、あの頃競馬について語っていた友達と見ていた、テレビの競馬番組に出れた。

そしてなにより、あの時辛かった私がようやくほんの少しだけ報われた気がした。

よかった。


引き続き、頑張ります。


あとはとにかく、彼女が欲しい。

この記事が参加している募集

こんな奴に投げ銭するくらいなら、高めの飯食った方がいい。