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老犬介護生活①「老犬16才との介護生活で思う事」

うちには、16歳8ヶ月のパグ犬の女の子がいる。
人間で言うと95歳くらいらしい。
私の人生の16年と6ヶ月ずっと傍らにいてくれる大事な存在。
もともと白内障で目は見えずらく、耳はたぶんほぼ聞こえず、3年前からヘルニアで足をひきずって歩いていたのだが、3週間前に怪我をして下半身が立たず歩けなくなり現在リハビリ中。
彼女のために、週一で鍼灸をやってくれる病院に通い、ご飯や水の介助、マッサージ、お灸、夜は2時間おきにオムツを替えたり水を飲ませたり足に負担がかからないよう体制をかえている。
歩けなくなると飲みたい時に水飲み場行けなくなり、私のそばをストーカーのように追いかけていた寂しがり屋はそばに来れなくなり、その他の要求を満たす為に吠えて知らせることが多くなる。
全ての要求に対して応えていると、身が持たないのもあるし、体を動かせないので吠えることが犬の運動になることもあるし(と考えている)、状況に応じて対応したりしなかったりしている。

一番困ったのが、怪我後、排尿が出ずらかった事。排尿が丸一日ないと命に関わるらしく、出ない場合、手探りでお腹の上から膀胱を掴んで絞る圧迫排尿という介助をしなければならなくなった。
これを病院でレクチャー受けたのだが、感覚を掴むのが難しくて全く出来なかった。
飼い主が出来ないと排尿の管を膀胱に通さなければならないと言われ、感染症のリスクも含め彼女が煩わしいものはできるだけ避けたくて一瞬絶望的な気持ちになったりもした。
怪我に伴う変化に対する対応に追われて2週間が過ぎ、気がつけば出来ないと思ってたこの圧迫排尿という手技をなんとなく習得している自分がいた。

絶対できないなぁと思っていたことも、必要に迫られ、必死な日常の中、ハッと気がつけば出来るようになってることってあるなぁと思う。

思い返せば、犬飼いも子育てもそうだった。
自分の限界を想定を「ここまで」を、彼、彼女らとの毎日の中で気がつけばとっくに超えていた。

そう言う自分の限りある時間を投げ打って、捧げて面倒を見ても、余りある存在なのだよ、君たちは。
真夜中、ただ安らかに眠っている側に横たわる時、そっと背中に触れるときの炭酸みたいにパチパチした胸の中の感動をしあわせをなんと表現したら良いんだろう。命は重い分、中心に触れる。

君たちのおかげで、わたし色んなことができるようになったよ。
そして、マジ根性ついた。
こんな自分は好きだよ。
私の自己肯定感をあげるのに貢献してくれて、おのおの方、どうもありがとございます。

。。。とここまで書くと紛れもなく終末期の犬を飼っている人の話っぽいが、私が病院で「いつでも覚悟してます」と神妙な面持ちでいうと、先生から、へっ?なんで?って顔をされる。
昨日も病院で、心配していた膀胱炎も抗生剤を飲んだら一発でサクッと治っており、血液検査の結果、尿酸と肝臓ちょこっと悪いけど、この歳で、全身たいした問題ないとのこと。
だんなが血液検査の結果を見てニコニコしながら俺とあまり変わらないなと言うので、心の中でごめん、悪いけどあなたよりこの子の方が良いんだわ〜と呟くほど。
三種混合のワクチンの抗体検査は全て陰性で、歳だから、ワクチン打っても免疫つかなくなったけど、ある意味抗体がつかない境地まで長生きしてるってこと?いわゆる抗体の向こう側ってやつ?
先生からは「まだ歩けない?あれれー?リハビリ頑張りましょう」とのこと。
えっ?歩けるの前提?動物の東洋医学名医の先生が言ってくれてるんで、犬の母、はりきってがんばりやす!
週一の通院はまだしばらく続く。ヘルニアは発症後、両足の立てる微妙なバランスが歩けるか歩けないかの境目。3年だましだましやってきたけど、今回はどうだろ。。道はまだ険しい。結果今が終末期の始まりかも知れぬ。まあ、その辺はあんまり考えない。考えても誰の得ないことは。
心配性&臆病者、最悪を想定して最善の対処を考えてしまう方なんで、時々、ネガティブな考え方が優先されてしまいますが、それも臆病者が生き抜く手段だったりし、ネガティブ&ユーモラスに乗り切りたいとおもっております。

ファンシー手帖より転記
2021.3.12

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