【妄想】こういう社会に生きたい -1-
2025年になりました。新しい年のはじまり。
このnoteアカウントでは、自分が置かれている「社会」について、自分なりの考えを投稿していこうと考えています。『同じこと・似たこと考えてた!』と感じてくれる方がいたら嬉しいです。自分自身も、こうして言語化することで、日々の頭のなかのぐるぐるともやもやを整理することができるので、自分のためでもあったりします(笑)。もうすでに何個か『これ書きたいな~』とぼんやり考えているテーマもあるので、始めたからには、マイペースではありますが、こつこつ継続していきたいです。
(訂正前)さっそく、私の「こういう社会に生きたい」を書いていきたいと思いますが、現実味がなく、妄想に満ち満ちた記事になることが懸念されます。想像するだけタダ!と思い、読んでいただけると嬉しいです🐍
(訂正後)さっそく、私の「こういう社会に生きたい」を書いていきたいと思いますが、完璧主義的な性格からか、文章を書いていると正確なデータを入れなきゃ!などと形式に乗っ取られはじめてしまい(もちろん大事なことではあるのですが)、妄想もあまり進まなくなってしまったので、1つのテーマにつき、「妄想バージョン」と「現実バージョン」を作ることにしました。どちらかを読むでも良し、両方楽しむも良し、ゆる~く読んでください🐍ちなみに、この記事は「妄想バージョン」になります。
「大学まで学費無償の社会」
一発目には、これを言いたい。現役大学生から言わせてください。
私は4人きょうだいの長女(一番上)で、現在、私立大学に通っています。小中高と地域の公立の学校に通っていましたが、大学は第一志望校の国立大学には合格することができず、両親とも相談したうえで私立大学に進学しました。奨学金(とは名ばかりの)も借りています。大学を卒業したら返済します。返済額は2,592,000(250万2千)円です。私立でもあるうえ、都内なので、一人暮らし。実家から通学するより生活費もかかります。
正直、結構わがまま言っているなとも思います。現に、卒業を延長して国外留学をしているわが身だからです。お金がかかるようなわがままを許して、国外に娘を出すような両親(誉め言葉です)には、感謝してもしきれません。
時々、罪悪感に悩まされることもあります。下にまだ3人もきょうだいがいるのに、こんなにもわがままを通してもらっていいのだろうか?そもそも、私立大学を選ばずに自身の学力に見合った国公立の大学を受験し、進学するという選択肢もあったし、留学に関しても、留学を諦めたり、1セメスターだけにしたり、もっと前々から留学して4年の卒業に合わせる(これにはまた事情があるのですが)という選択肢があったからです。
でも、そこで、私の頭のなかではもう一つの意見を持った私が現れるのです。
もしも、大学まで学費がかからなかったら、こんな罪悪感に苛まれることはないよな!!!
非常にたちが悪いです。わかっています。しかし、他の国に目を向け、比較してしまえる以上、この考えをそっとしまうことはできませんでした。
私が今いるフランスでは、大学の多くが国立であり、その学費の大部分を国が負担するという形式であるため、実際に家庭が負担するのは年間約35万円です。正直、自身の学費と比較するとショックが大きくてしんどくなるのですが、私の場合、家庭が負担しなければならないのは年間約162万円です。また、国立の場合、第一志望だった大学で仮定すると年間約81万円です。
直視できない…
でも、本来、教育の権利が真に守られているのであれば、私がこんなふうに罪悪感に襲われることはないはずなのです。
さらに言うと、自分は高校・大学に進学する必要はない、と考えている場合を除いては、全ての子どもたちに向けて「高等教育機関への進学」という門戸は開かれていていいはずなのです。
公立の中学校へ通っていた私は、なんとなくですが、生徒それぞれの経済的状況が様々であると感じていました。もうすでに、高校には進学するけどそのあとはすぐに働きはじめるということを決めている子もいたし、私立高校に通うのは経済的に厳しいから、滑り止めは受けずに出願する公立高校を調整するという子もいました。
当時から、私自身は大学に進学することまで自然に見据えていたけど、今考えたら、大学進学が経済的に許される状況だったことを自分自身が一番わかっていたんだと思います。将来の展望をどのように描くかは、自分が置かれている環境・状況によって制限されてしまうのです。
みんなのなかにそういう存在はないことになっている?
私立大学に進学した私は、もう一つ気づいたことがありました。
大学に進学することができる環境が当たり前だと思っている子たちが多すぎる、というか、「大学進学を諦めるという選択肢を持つ子」の存在に気付いていない人が多いということです。私立大学なので、その傾向が顕著だということは前提としてあるのですが、私自身が捉えてきた「社会」とはあまりにもかけ離れていて、ギャップを感じました。
と同時に、怖かったのです。その存在がないことにされている、というか、そういうわけもわからぬ感覚に襲われました。
ある時、一人の友人が放った言葉が忘れられません。
「日本で、今日とか明日とかの食事に困る子っているの?」
この子には、見えていないんだ、と思いました。どれだけ(すごく小さかったとしても)報道されたり、データとして公開されていても、見えない・気づかない存在になっているんだ。この記事をここまで読んでくださっている方のなかの、どれくらいの方にこの言葉が近さを持って読まれるのかはとうてい把握できないですが、ともかく私は、そのとき夢中で「そんなことないよ」と否定しました。
大学進学率は、年々上昇しています。でも、それが同時に、この状況下で進学を諦める子どもたちの存在を隠してしまうことにもなるのです。
私は、大学に進学してよかったと思います。幸せです。言葉では表せないほど大きな世界を知ることができたし、その広くなった世界で出会ってきた人・ものがたくさんあります。だから、非現実的な理想論を言えば、100%無償で高等教育を受けられる社会が実現したらいいと思ってる。みんながどんな状況でも進学の選択肢を握れるようになればいいと思ってる。
どうでしょうか?賛成でも、反対でも、意見を聞きたいです。note初心者なので、機能はよくわかりません。なにかしら反応があれば、非常に嬉しいです。私もまだまだ勉強中です。
よろしくお願いいたします。