ちひろさんとソリチュード
孤独には2種類あるって何かに書いてあった。ロンリネスとソリチュード。寂しさを伴うのがロンリネスで、孤独を受け止めているのがソリチュード。
”ちひろさん”はどこか哀愁漂う、自由奔放な人だった。道端で猫を見つけて白いズボンも気にせず四つん這いで追いかける。猫に微笑みかける横顔がとても少女みたいで可愛らしかった。お弁当屋さんで働いていて、街の人気者だった。ちひろさんっていろんな人から話しかけられて、ユーモアたっぷりに返答していた。子供たちと一緒に鉄棒で遊んで、悪戯をしたらしっかり叱る。飾らない人。
いいなあ、こんな自由奔放さを極められたら生きやすいのかなあ、と思ったけど、彼女が家に数日閉じこもっていたのを見てそうだよな、とも思った。人間らしくて愛らしい。水の底深いところにいるからしばらく放っておいてくれというのは感覚としてよく分かる。でも大丈夫、人は必ず浮くものだから、ジタバタせずにじっとしておけば必ず浮かび上がれるって、とある人が言っていて感動した。自分の今抱えている感情をじっくり見つめて自分の感情の機微に敏感になると取り扱いがしやすくなる。やばい凹んでいる場合じゃないとあまりにもがくと逆に現在地を見失ってとんでもない望んでもないところにいたりする。そういうことだなあと思って、いつの間にか自分の手を握りしめていた。
ちひろさんのスタンスを見てもう一個惹かれたところ。その人の現在だけを見ること。私はその人の過去の話、行動・思考の背景・理由を聞くのが好き。その人の人となりを知っていく一つの過程だと思っていた。でもそれをあえて色々聞かずに”今”だけ見るってのも確かに大事だなと思った。なんでこの仕事を選んだのか、とかなんでそんな行動を取るのかとか聞かなくても、今もうその仕事をしているのだし、その行動を取っているのだからそれでいい。今目の前にその人がいて、同じ空間にいるのだから、美味しいものを食べて、今思っていることを伝えればいいという、その姿勢が新しかった。
「ちひろさん」をNetflixで見つけて、直感でこれは見たいと思った。その次の日に友人が感想をストーリーに上げていて、あ、やっぱり見ようとより思った。プロジェクターに投影して、日常の一コマとか海の背景がより切なさを増させてすごく素敵な映画だなと感じた。生きていく上での名言もすごく多かった。
これもすごく好き。
ロンリネスを感じる時は、なんでそれを感じているのか丁寧に紐解いていこう。ソリチュードと唱えよう(多分単語の使い方はあってないけど)。
生き方はシンプルで、複雑にしているのは自分って何度も唱えているけど、たまにがんじがらめになる。そんな時に見たい映画だなと思った。私の今の心の声はなんだろう。大事に割れないように潰さないように大事に手のひらで抱えて包んでいこう。