なぜ気にする?
人の目を気にする。いつからだろうか?多分、思春期の頃からだろう。もともとは、必要なスキルだったのかもしれない。例えば、異性に好かれるために異性の目を気にするスキルのような。
しかし、現代ではあまり必要なスキルではない、捨てるべきスキルではないかと思ったりする。
何か目標を決め向かっている時、こちょこちょと横やりを入れてくる友達のひがみや大多数のくだらない意見を気にして躊躇することがあるのは私だけだろうか?
私の母は、保険会社に勤めていた。今でこそ一流の会社で成績もよくバリバリ仕事ができた母は素晴らしいと思うのだが小さい頃はそうは思わなかった。誰にでも優しく、人見知りせず明るい母が授業参観に来るのを恥ずかしく思った。中学生の頃になると「保険屋のおばちゃん」は、専業主婦とは全く違ったオバタリアン的なパワーを強化して世の中を圧倒していた。
同じ系列のおばちゃんたちが近くに来ると同級生の友達はそのオバタリアンパワーにこそこそ、陰口を叩いて笑っていた。そんな友達の姿を見たことで、自分の母親を恥ずかしく思い、友達には紹介できないと母の存在に、蓋をした。
人に母が保険屋のおばちゃんだと知れたら恥ずかしいと強く思うようになった。それと同時に勧誘のような仕事が嫌いになった。人を誘ったり、勧めたりする仕事が大嫌いだった。
ホテルで働きたいと思ったのは、その反動で憧れがあったからだ。スマートとでかっこいい仕事だと思ったからだ。今でもこの仕事を大好きで続けているのは、そんな強いコンプレックスの呪文のせいかもしれない。
しかし、表裏一体のように離れない思い。あの頃、蓋をしたトラウマを解放するには、逃げずに克服するしかないのだろう。
友人にネットワークを紹介されると「私は、やらない。嫌いだから」と断わって逃げまわっていた。その度に「新しい記憶に塗り替えない限り、逃げ回ることになる」と誰かが言っているようで仕方なかった。
多分、次に進むための壁がここにあると自分自身が気付いているのだ。
そう、人の目を気にしてばかりの私が一番くだらないのだ。誰の目を気にする必要があるのか。自分の信念に突き進んで、自分の思い描いている未来を叶えればみんなわかってくれるのだ。
本当にあっという間にみんな一斉に味方になってくれるのだ。だから足を止めず、手を止めず進み続けてやり続ければいい。
怖がることはないのだ。怖いのは、人目を気にするあまり自分のしたい事をしないこと。
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