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nap 68. たいせつに諦める

前回に文章を書いてから9ヶ月が経っていた。

9ヶ月前の文章を読み返してみると、その時の私を、斜め後ろ更に真上から俯瞰で見たかのように、鮮明に見ることが出来た。
(文章を書いた張本人なので、当たり前なのかもしれないが。)

彼女はなんとも苦しそうに泣いていて、それを見た私もまた、泣いた。

けれど、あの頃から状況は大きく変わらずとも、心持ちは大きく変わった。

適応障害だと踏んでいた病状は、うつ病という名前がつき治療中で、
私はいまだに実家にいて、無職のままだ。
繰り返し不安に負けては追い越され、何も考えられなくなったり、
調子が良くなっては後戻りするそんな状況に疲弊してしまったりもした。

それでも、私はそうやって、半年を超える月日を重ねて、
自分にとって重要だと思っていた色々を、たいせつに諦めた。
自分にはどうしても手放せないと思っていたあれやこれを、時間をかけてそっと丁寧に、路端に置き去った。

諦めたり、置き去ってきたそれらというのは、
私にとって自立の象徴であった一人暮らしだったり、人の世話にならないこと。心の声は飲み込んだ方が楽だという態度、そして幼い頃に蔑ろにされた記憶だった。

一人では暮らせないという状況を受け入れること、家族に助けてもらうこと、思ったことを伝えること、過ぎた過去を追いかけるのをやめること。
そして、今を有難いと思う気持ちを尊重すること。
その全てを自分に許すような、そんな半年だったように思う。

そうやって、誤魔化さずに自分を取り巻く環境と付き合っていこうと、
今も奮闘している最中だ。

諦めるときや手放すときというのは、少しづつしか出来ない。
それなりに耐え忍んで、諦めたり手放したのに、まだこんなに残ってら。
けらら。
と笑ってしまいたくなるが、せっかちになってはいけない。

そんなことが分かった気がする9ヶ月だった。

けらら。

#エッセイ #コラム #日記 #うつ病 #HSP

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