はじめての娘、森然ちゃんの名づけ
父としての私の名づけの信条は、どこかで聞いたことのあるような名前ではなく、自分たちで完全に新しい名前を生み出すことです。常々、わが子は誰が聞いても鈴木家の子どもであるとすぐにわかるような名前にしたいと考えていました。その名前は音、文字、意味、漢字の画数、名字との組み合わせ、全てが重要です。名づけに妥協は一切許されません。その意味で、蘭堂、八諦に続いて三人目となる森然ちゃんの名前を生み出すのはなかなか大変でした。
森然ちゃんの名前は、音を最初に決めました。「もね」がいいと言ったのは出産が近づいてきたあなたのお母さんでした。今回の名づけに当たって、私は「慶」という漢字を使いたいと思っていましたが、あれこれたくさんの候補を作ってみては「具体的なイメージが浮かばない」「画数がよろしくない」などと自ら却下していたのでした。「慶」のつく名前で悩んでいるうちに大学や補習校の授業が終わり、いつ生まれてきてもおかしくない時期に入りました。オランダでは、生まれたらすぐにその場で赤ちゃんの名前を聞かれますし、たとえその場で決められなかったとしても、三日以内に名前を決めて役所に届けなければならないので、本気で悩み始めていました。
そのころ、静枝さんが「もね」はどうかしらとアイデアを出しました。意味や文字は考えず、音の並びと響きがよいと思い付いたそうです。印象派の画家クロード・モネの「モネ」は名字ですが、日本語でなら女の子の名前にもなりそうです。蘭堂と八諦の名前は、音も文字も私が決めて、それから静枝さんの意見を聞くという順序でしたが、今回「もね」のアイデアを聞いて、これはなかなかよい響きだし、女の子だということもあるし、ここは静枝さんの意見を大事にしようと「もね」がいいかもねと賛成しました。「もね」と聞いて、最初に感じたのは、フルート奏者である静枝さんと音楽とのつながりでした。だから、「もね」の「ね」には漢字の「音」がふさわしいかなとも思いました。また、画家のモネといえば私には「睡蓮の池と日本の橋」が思い出されました。生まれてくるあなたはヨーロッパで生活していく日本人であり、ヨーロッパで日本文化に生きる一人になるという意味でも、画家のモネにつながるふさわしい名前だと思いました。こうして名前の音が「もね」に決まりました。
しかし、名づけはまだ道半ばです。私の書斎の本棚には、ライデン大学の日本語の先生だった方で、自分の親ほどの年齢でしたが友人としての親近感を抱いて付き合っていた大宅憲夫さんの形見の辞書、講談社の『大字典』があります。分厚くて重いこの辞書には、常用漢字2136字に対して約1万5000字が載っていて、八諦の名づけにも大活躍してくれました。今度はこの辞書を抱えて、「も」「ね」と読める漢字を漁る毎日が待っていました。ただ、ここでも人と同じでは気が済まない私の性格が頭をもたげてきます。比較的流行であるとも言えそうな「萌」はなるべく使いたくないし、「音」もやはり音楽家の娘にしては安直すぎるように感じられました。しかも、これらの漢字は「鈴木」と相性の良い画数とはいえず、考えては振り出しに戻り、夜中に辞書を閉じる日々が続きました。すでにクリスマスが近づいていたと思います。そのようなある日、「森」という漢字で「も」と読むアイデアが浮かびました。
「森」のアイデアは、初級日本語の授業で私がよく「木」と「森」の漢字を説明していること、そして、「木」が「森」になるように鈴木の「木」から発展する形でつながること、あなたが三人目の子どもであること、これらの点が線を結んで出てきたものでした。先に「慶」という漢字を使いたかったと書きましたが、実はその背景には身近な人物がいました。ライデン大学で私の上司に吉岡慶子先生という方がいますが、非常に優秀な人に見え、なおかついつも柔和で麗しく、尊敬している一人です。もともとは彼女の名前の一文字を勝手にいただくつもりでした。「慶」という漢字への思い入れをもう少し言えば、初めての女の子で慶事であること、地元静岡で隠居生活を送った徳川慶喜、長崎の絵師でライデンとも非常に関わりの深い川原慶賀、長崎三女傑と呼ばれた日本茶輸出商人の大浦慶のことも意識していました。結局、名前に「慶」を使う案は実現できませんでしたが、「森」という漢字が思い起こされたことについて、実は今年度、ライデン大学の国際学部で私が担当した日本語の講座を主導してくれた仲間に森祐太先生という方がいます。森先生は私より一回り以上若い方ですが、とても優秀で、やはり尊敬している一人です。彼の姓である「森」から一文字を取ったわけではありませんでしたが、先の学期はいつも森先生と一緒に仕事をしてきたので、もしかしたら無意識のうちに「森」が私に刷り込まれていたのかもしれません。
さて、「森」という漢字と組み合わせがよく、自然に「ね」と読めそうな漢字として見出したのが自然の「然」でした。もともとこの漢字は、犬の肉を火にあぶって焼くという意味であるとのことですが、この意味では火偏のついた「燃」という漢字に置き代わっているからあまり気にしなくてよいだろうと考えました。むしろ、単に森を燃やすと考えれば、その人生を全うできるというよい意味に捉えました。さらに、「然り」「然れども」などと順接と逆接の両方に使えることや、「泰然自若」などと物事を形容する際に使われるという意味では、万能でよい印象を持ちました。次男の八諦の「諦」にも言えることですが、名前に漢字を使う場合には、全面的にプラスの意味を持つものよりも、善し悪し両面の意味を持つものを使った方が漢字文化の恵みを深く受け取れるような気がしています。なぜなら、私たちはみな「人間万事塞翁が馬」であり、いいとこ取りの人生はありえないと思うからです。
それから、次は「しんぜん」と読みますが『大字典』には「森然」が熟語としても掲載されています。樹木の茂ること、人や物が多く並ぶこと、鋭いとか厳かという三つの意味があり、白居易の漢詩や森鴎外、永井荷風の小説にも使われているそうです。また、泉鏡花や国枝史郎という作家は静かな様子を表す「しんとした」という言葉に「森然」の漢字をあてています。生い茂ることと、厳かあるいは静かという対照的な二つの意味があることを私はとても気に入りました。ちなみに、中国語では「森然」というと、樹木が生い茂るという意味とは別に、薄暗く不気味という意味もあるそうです。この意味は若干気になりましたが、少しネガティブな意味があるくらいの方が名前にはふさわしいという自身の考え方もあり、それほど気にしませんでした。それよりも、日本語ではこの名前を説明する時に「森の自然と書いて森然(もね)」と言うことになるだろうと思って、「森と自然」の方に意識を向けました。森と自然は、まさにこの地球の今日的な価値を体現しているものです。この山のない国で、人々が愛するのは森の自然です。その意味では、オランダらしい名前にもなると思いました。 そして今、地球上のあらゆる人々が価値を認識し、大切にしようとしているものが多様性です。森や自然は多様性の象徴です。このようにして私はついに「森然」という名前にたどり着きました。
それでも、まだ名づけは完了していません。最後の難関が画数です。正直に言えば、ここまでの最終段階に到達した名前はいくつもありました。しかし、いずれも画数で見る姓名判断の結果が芳しくなく、それまでどの名前も決定に至らなかったのでした。満を持して「鈴木森然」という名前をいくつかの姓名判断のサイトに入力してみると、人格、地格、外格、総格、ほとんど全ての要素で吉と出ました。今回の名づけでは初めての結果です。このようにして私は、「もね」に「森然」という漢字をあてようと決めたのでした。森然ちゃんが生まれてくる一週間ほど前の出来事です。
この名づけには後日談があります。森然ちゃんが亡くなる二日前のことですが、私がレッスンしている日本語上級者のヤンさんの教材に、NHKの朝ドラのコラムを扱おうとして、VPNを使ってNHKオンデマンドのサイトから過去の朝ドラ一覧を見ていると、つい一昨年の朝ドラのタイトルが「おかえりモネ」で、主人公の名前が「百音(もね)」だったのです。漢字こそ違いますが、ドラマや映画の脚本に出てくる名前とのシンクロは、わが家では映画「シン・ゴジラ」の主人公の名前でもあった蘭堂に続いて二度目です。また、これは今まさにこの文章を書きながらWikipediaを調べて知ったことですが、このドラマの舞台は宮城県気仙沼市でした。東日本大震災の直後に取材に入り、その後の私の人生観の変化に大きな影響を及ぼした街です。今、私たち家族に子どもたちがいるのも、日本人である私たちがわざわざオランダで生活しているのも、気仙沼の修羅場で見たことが一つのきっかけになっています。
また、オランダで生きていく私たち家族にとって、この名前がオランダで発音がしやすいか、どのように響くかということも考えておかなくてはならない要素です。ここはある程度、大丈夫だろうという見込みがあったので事後報告でしたが、ヤンさんに聞いてみると、MONEという綴りでは「モーヌ」に近い発音になるが「モネ」とも呼べること、また森然ちゃんはおそらく「mo(モー)」という、オランダではごく一般的な女の子のあだ名で呼ばれるであろうことを聞き、安心したのでした。
このように見てくると、私たちが娘につけた「森然」という名前の後ろには、見えない何かがつながっているような気がしてなりません。あなたの名前は偶然の産物ではなく必然の帰結だったのではないかとも思えます。私はこのような世の中の不思議なことに思いを巡らせるのが大好きです。いつか、森然ちゃん本人に名づけの経緯を聞かせることを楽しみにしていたのですが、残念ながら叶わなくなってしまったので、今ここで明らかにしておきます。あなたの名前を考えるのは、とても楽しい時間でした。天国へのお土産に持たせてあげられるのは名前くらいしかありませんでしたが、私たち家族にとっても、あなたの名前は一生消えません。森然ちゃん、再会する日を楽しみにしています。