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ミリしら勢の『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』感想
マクロスミリしら勢。
ミリもしらない。変な言葉。
どのくらいミリしらかと言えば「マクロスって〝主人公〟が駆るロボットの名前じゃ無いんだな」と言うことに今週になって気がついた程度、多分ありがちな思い込み。でも言われりゃ超時空〝要塞〟マクロスだもんな……。
ミリしらなのになんで観に行ったかといえば、リン・ミンメイが愛・おぼえていますかを歌うシーンをスクリーンで見たかったから。
これに尽きる。
しかしあれを見て涙を流さずにいられるだろうか?
ともかく圧巻。その上切なく美しいラブソングをBGMに行われる苛烈な宇宙空間での戦闘、狂気しか感じない、実に好み過ぎる。
あの5分間のためだけに劇場まで足を伸ばした、その価値はあるわ。
と言っても、一応この映画の展開だけは薄ぼんやり知っていたんですよ。でもマクロスに関しては本当にミリしら。80年代前半ではそもそも自分も年齢ひと桁だし女児は見ないよな……。でも歌としての『愛・おぼえていますか』は子どもの耳にも残る。その数年後にはアニメージュを毎月読む立派なオタクに成長しているので『マクロス』というアニメーションの存在だけは知識として知っている子どもが出来上がるわけね。
▶︎ 音楽の持つ暴力性
・音の力
私は感情にダイレクトに訴えかけてくるぶん音の力の強さってものを信じて(あるいは恐怖して)いるから、この映画のラストを見てみたい気持ちはなんかずっとあったわけで。
『ミンメイの歌』で『戦闘が終結する』
端的に言えばこういう内容。もちろん一言二言で伝わるわけではないから伝えるべき物語というものはこの世に存在する。
『さまざまな文化を理解することで人の世はより良くなれると信じている』ということなのだろう。
ミンメイの歌は戦闘を終結させた(とは言え平和的解決をしたわけでは無いが)
でもその前にその歌は、戦局を有利に運ぼうとするゼントラーディ側によって〝利用されるはずであった〟
これが描かれているのと描かれていないのとでは大違いだろう、音楽には暴力性が潜んでいて、それを自覚しているかいないかではだいぶ違うんじゃ無いだろうかしらん。
これが描かれていることによって、変な話だが私は安心した。〝善性〟の力だけ盛り込まれたとしてもどうしようもない、歌に秘められたものは使いようによる『力』なのであって、それは善性とは限らない。
ナタを振り下ろす人間が、薪を割るのかそれとも人間を害するのか、それとおなじことだろう。
・三角関係
流れはぼんやり知っているけど物語の因果関係までは理解しないまま見たわけですが、たった2時間であらゆることがキチンと伝わるように纏められていて構成は見事だなと思う反面、キャラクターの魅力を伝えるには尺が足りないのかもしれないなと……いうか、一条輝とやら、2人の女の子に選ばれるような魅力が彼のどこにあるってーんだ?
ろうな?
おばちゃんには、このガキぶん殴ったろうかゴルァ!としか思えんかったよ……(笑)
恋に敗れて逃げ隠れたミンメイを輝が発見した後の一連のシーン、「お前いけしゃあしゃあとよくそれを言えるな、そして引っ叩けるなヲイ……」以外に感想が出てこねぇぇぇぇ貴様ぁぁぁぁ!
尺があれば色々と情報が積み重なって納得し得る部分も生まれるのかも知れないけど、映画だとどうみても輝とミンメイ、美沙の恋どちらも吊り橋効果以外の何者でも無いじゃん〜〜。
いやぁまぁ男性から見たらあのクソガキ彼がどう見えるのかわからんけれども。
裏を返せば彼はたまたまアイドルとの邂逅を果たしたただの一兵卒でしかなく、突出したひとりのヒーローが敵を倒す物語では無いことの証左でもあるのだろうけれども。
(ただやっぱり許可を得ず機体動かして、民間人を連れ回して、敵と邂逅してしまった挙句捕虜となり、その上人命的被害まで出してしまったわけだから、どう考えても厳罰に処されなければおかしいような気もするけどな)
・恋とラブソング
ミンメイと美沙とのどちらが恋を成就させるかに関しては、これは美沙一択、いやミンメイは恋に敗れるべきで、ありがちかも知れないけれども恋に破れた上で歌手としての生き方に覚悟を決め、あの歌を歌い上げるミンメイ、という図がどうやっても必要だと思うから。
もっとキチンと言えば、私は『恋に破れたミンメイが、あのラブソングを宇宙に向けて歌い上げて戦闘を終わらせる、という場面をスクリーンで見るためにここに来ている』わけね。
恋が成就してしまうと、それは成就した相手にのみ向かうラブソングとなっていまい物語に削ぐわない、それをスクリーンでみようとは思わない気がする。
もちろん、敗れた上で歌うラブソングにもミンメイからの輝へのメッセージ性は皆無ではなくて、2人が出会い、街へ繰り出しデートをし、土星を見、外へ飛び出したあの煌めく全ての思い出が込められている、既に過ぎ去った時間のものとして。それが必須条件だと思うと残酷は残酷であるけれども。
ところで、映画の中でマクロス内総人口の話って言及あったんだっけ?情報だと5万人台ってことだけど、これ大きなスタジアムだと一回のコンサートでの参加人数と変わらんくらいなので、いや厳しいなぁ……と感じた。
例えばミンメイが東京ドームでコンサートを開いて満席として、するとそのくらいの人数が集まっていることになる。コンサートを埋めるくらいの人数しか人類が残ってはいない。ところで劇中でいまこのミンメイのコンサートへ来ている人数は果たして何人なのか。冒頭のコンサートシーンを見ながら考えたのはそれだった。
全滅は中盤の情報なんだから、物語の順序としては逆転してるけれどもね。
▶︎ 1984年の映画だなと思ったとこ
いちいちこの辺りに突っ込んでいくと、まぁまぁ過去の作品というものに関してはツラいものだらけになってしまうので、作品の評価に影響を及ぼすものでは無いかなとは思いますけど、それとは別のこととして、現在は批判無しにこう描くものではないよ?という例としてあげてはおくべきなのかも知れない。
・男女の関係性
仕方ないと言えば仕方ないとはいえ、今となってはなかなかきつい描写が多いので「これは84年の映画だ〜!」という前提はどうしても必要な気はする、若い人にあれをあのまま見せるのはやっぱりきついんじゃ無いだろうか、男女の関わり合い方の描写とか。バーでのあれとか。
クローディア、あの場ではさすがにフォッカーに教育的制裁を施して良し!
と、思ってしまうわけよ。
いわゆる有害な男らしさを仲間(部下)に顕示するという『男同士のコミュニティ/序列維持のために』やってるマウント行為なわけよね。女性にばかりではなく男性にとっても有害な訳よ、あれ。
酔った勢いもあるのかも知れないが酒のせいですですべて許されると思う勿れ。
・お前が引っ叩くなやお前が
上の方でもチラッと書いたけど、輝がミンメイを佳境のシーンで引っ叩くシーン、はぁ?いままで散々人に迷惑かけておきながら人様引っ叩けるような義理があんのかテメェゴルァ!!!……と。
物語進行としては頬を叩くこと自体は理解出来るから、じゃあ何故叩く/叩かれることになったのか?をストレス無く盛り込む必要があるわけで、あれでは自分のことを棚に上げて女の子引っ叩いてるクズ男にしかならないじゃない、だってフォッカーが戦死したのってほぼお前のせいじゃん、なに他人事みたいに言ってんのコイツ?
なんだもん。
ちなみに反撃としてミンメイが輝を叩き返すのはどうかな?と考えてみたけど、ミンメイ側から輝を叩く謂れも思い浮かばんな、おそらく逆ギレになってしまう……と脳内却下されました。
(そもそも10代の女の子に人類の命運を背負わせようとするんじゃねぇよ……と思う思うけど輝も10代なのか)
・見た目の差異
関わり合い方以外でも、登場のサンプル数に違いがあるとはいえ、ゼントラーディ(男)は美醜の描写は皆無だが、メルトランディ(女)は、本人達にその意識は無いのだろうがこちらから見て美女として描かれているところとか……最初見た時に違和感は感じたかな、『見せ物としての女』になってしまっているわけで。
もっとゴツっとした人(……人?)がいても良かったんじゃないのかしらんー?と思うけど、でもそう言い切るには登場サンプル数はやっぱり少ないのよね。
でも人間の方はそれなりに色々な人々が混在していた感じがする。
▶︎ 画に関して
元々のマスターで見てはいないから、4Kリマスターですと提示されたものを以前と比べることは出来ないんで、そこら辺はね。でも35ミリフィルムでも見てみたいな、古い映画だとたまにフィルム上映があって、あれは非常にワクワクするもんだよ。
全く関係のない映画で言えば、アンドレイ・タルコフスキーのノスタルジアの35ミリとリマスター(ただし本国でも出来を批判されたらしいと聞いたような気がするけど)と4K修復版と見に行っているけれども、35ミリと比べてリマスターの時にはなんか『あれ?こんなもんだったっけ?』とがっかりした部分が、4Kでは部屋の窓だけが明るく暗いところが本当に暗く感じられ、私は最初その〝暗さ〟に惹かれた映画だったためとても感動したのだった。画のクオリティに左右される感情はあるだろうと思う。
うわぁ作画に力入ってんな〜くらいのことは思う、セル画で描いてるんだなと思うと完成までの道のりにクラクラする。
ただ、解像度が上がって細かいところまで堪能して欲しい気持ちはわかるけれども、果たしてそんな細かいところまで見る側がわかる必要ってあるのだろうか……と、漫画の描き込み過ぎには懐疑的な自分としては思う、画の情報量は無駄に増やすべきではないんだわ。
デジタルネイティブが抵抗感無く見られる画質になっている程度の話で良いんじゃないのかしらん?
やぁもちろんマニアはな、細部まで見たくなるよな。それはね、わかる。
戦闘シーンのスピード感が素晴らしかった。その褒め方もどうなのかと思うけど、柿崎(だっけか?)機がアッという間もなく撃墜されてしまうところとか、人生が一瞬で無に帰す様に震撼する。ネームドキャラだとはいえ最後に言葉を残せるとは限らない。
これを書きながら今更ながらにふんわり思ったのは、基本的には艦隊戦なんだな……ということ。それ、見てる時に気が付かねぇんでしょうかね?
『これはマクロスというロボットアニメである』という思い込みがそうさせるのかも知れないなぁ。
▶︎ 光陰は矢の如く
あまりにも上映時間の選択肢が無くて、やむを得ず舞台挨拶中継付き上映会に参加したんですけど(ムビチケ買う前に確認して正解だった)速水奨さんが相変わらずの良きボイスで40年が一瞬だったようなことをおっしゃられていてホントそうとしみじみ思ってしまう。
マクロスの舞台が2009年、初見ワイ「新型インフルエンザの大流行!」と思ってしまう、2009年は既に歴史の側へと過ぎ去った時間だ。
マクロスが制作された頃には2009年なんて近くて遠い未来のことだったのだろう。
それにしてもパンフレット作って欲しかった!
復刻のものでも良いから……えーなんで作ってくれなかったんだろう銀英伝の時はあったじゃん!
本当に無いのかど近眼すぎてよく見えてないだけなのか、売店の近くて目を眇めてウロウロしながら不審者かましていたおばちゃんではありました。聞くだけ聞けば良いじゃん。