中古車を買って、買った時に入っていたナビの目的地に向かって運転するバカはいない。でも人生では往々にしてそうなっている。
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信念の話。
信念
1正しいと信じる自分の考え。「信念を貫き通す」「固い信念」
出典:デジタル大辞泉(小学館)
ここで定義されてるように、信念という言葉の意味は、「正しいと信じている自分の考え」、という意味の言葉だ。その信念を自分の意思で持ったかどうかにかかわらず、"正しいと信じている自分の考え"だ。
だからこれに則って言えば、猫がかわいい、という考えが自分にとって正しいと思えばそれは信念だし、政治家は給料を下げるべきだ、という考えは正しいと信じていれば、それも信念だ。
このように信念には、いろんな信念がある。
そして、この信念、というのは時に本当に強い力を持っている。 というのが面白い話。
俺はずっと、両親のマインドのせいで自分が貧しいのだと思っていた。お金持ちのお家に生まれた子がいて、そうじゃない自分がいる。これは小さな自分には到底覆らないもので、自分が貧しいのは親の金銭に対するマインドが原因だと思っていた。そして、どこかで静かに親を恨んでいた節があった。
これは、この時点では正しかったのだと思う。小学生だった当時の自分は親に依存して生活しているわけで、自力で月何十万も稼ぐことはもちろん難しかった。
この時点では、これは自分にとって正しいと思われる信念だった。でも、大人になれば当然それは変わっていく。自分で働いて、自分の給料をもらえるようになれば、自分で自分の収入はコントロールできるはずである。でもどこか大人になっても、なぜかずっとこの感覚は続いていた。「俺がお金に縁がないのはやっぱり、親の影響なんだろうな」「大人になって収入がどんどん増える人はお家がお金持ちなんだろうな」そう思っていた。そして、実際その通りの経験をした。一向にお金が貯まらない。貯まってもなぜか無くなる。大して使ってないのに手元に残らない。
人は、信じている通りの経験をする。そして俺はこれらの経験から「これは親のせいだ」という信念のせいだな、と推測していた。
ここでポイントなのが、人は、必ずしも自分の本当に信じていることを全部把握しているわけではないということである。ある部分は自分で決めたけど、この部分に関しては生来のものだ、ということもあるし、「こう信じている」と口では言いながら本当は違うことを信じていることだってある。
そして、俺は「自分がお金に縁遠いのは、親がうちにはお金がない、と言い続けてたからだ」と信じている、と自分では思っていたわけだが、事実は少し違った。
俺が本当に信じていたことは
収入は家庭環境によって決まる。
ということだった。
ほんの少しの言葉のニュアンスの違いなのに、これが非常にスッキリ腑に落ちた。そしてこの信念をかなりの確信度の高さで持っていることがわかった。
俺がいっつもなんでだろう?と思っていたのは、能力はやたら評価される機会があるのに、なぜそれが金にならないんだろう?ということだった。
でも、この信念に気づいてみると、そりゃそうだろう、と思った。俺の意識の中では、能力と収入は一切関係ないからだ。なぜなら収入を決めるのは、家庭環境だと信じているんだから。
あははは(笑
気づくと笑えてくる。
いうまでもなく、これは単なる思い込みであって真実でもなんでもない。でも、思い込みの中にいる自分から見たら、これはまぎれもない真実である。
親は楽をさせたいと思って俺を大学まで入れてくれて、でも俺はいくら頑張っても収入は最初から決まっていると信じている。
謎めいた状況に突入している(笑
当然親は悪くないし、
俺自身が悪いわけではない。
俺の信念がそうだった。
それだけ。
どちらにも悪い意図はない。
ただ信念が望む現実に大して適切ではないということ。
こんなことは往々にしてあるのだと思った。
自分が「こう信じている」と思い込んでいることと、実際に信じていることがずれていて、そのせいで人にむかついたり、罰したり、恨んだりする。でも本当には相手は関係ない。なんてことがゴミのようにある。
だから、自分が何を信じているかを時折管理するってとっても大事だ。もしかしたらすげえわけのわかんないことを自分がしてるのかもしれない。そしてそれは裸の王様のように、周りはおかしいと思ってても自分だけが気づいていないのかもしれない。
過去の教え込みの操り人形みたいに生きるのをやめて、毎瞬自分で選択をしてみないかい、という提案はかなりエキサイティングな提案である。
人と同じだからやる、という責任逃れな生き方ではなくて、
誰もいないけど、俺がやりたいからやる。
反対されるけど、ピンとくるからやる。
自分がそうだと思うから、進む。
みんなが頑張ってるけど、私やりたくないからやめる。
こういうエキサイティングな生き方をしたい人は、自分の信念を管理することをオススメする。
どこに向かって走ってるかわかってないのに、足だけが毎日進んでるというのは結構リスキーなことだ。
目隠しをしながら車を運転するよりも、少なくとも目を見開いて運転する方が本当は安全だと思う。
もっと言えば、中古車を買って、買った時に入っていたナビの目的地に向かって運転するバカはいない。でも人生では往々にしてそうなっている。その目的地は、過去を生きてきた誰かが入力したものだ。でもそれをわかっててなんとなくそこに向かって走り出している。後悔を減らしたいならば、自分で住所を入れ直した方が、いいと思う。
だもんで、まず自分がどんな目隠しをしてるのか、俺のナビの目的地はどこに設定されているのかを、知ることから始めるのがいいと思う。
なんにせよ、自分の信じていることを見直してみるのは、とても良い経験になります。
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