「走ること」と「考えること」~宇野さんと西本さん~
学校の組織は学年単位で動くことがほとんどだ。そのため、朝の打ち合わせの後に、学年ごとの打ち合わせを行う。その打ち合わせの際に、学年主任の工夫で、その日の連絡事項や日程などをプリントしたものを配ることがある。ただ、そんなのを配らなければいけないほど複雑な行事などはそうそうないし、また細かい連絡事項は自分でメモをするので、正直紙の無駄だなと思っていた。しかし、今所属している学年の主任Iさんは、そこに自らのコラムを展開した。日々、本当に素朴に思っていることや、ふと思いついたことなのだろうが、学校という文化に対しての批評や自分の体験などをクリティカルな視点で書いているため、この一年は「紙の無駄だ」などとは一回も思わなかった。(決してお世辞ではない)そして、先日そこには『いだてん』についての講評が掲載されていた。「東京オリンピックがまだ他人事のように思える。近付いたら自分のこととして楽しめるようになるのか」およそこんな内容だった。おそらく、校内の生徒の様子を見ての感想なのだろう。素朴な感想であるからこそ、何か本質を見抜いているようだった。
そして、その記事を読んで、僕のなかである二人の人物がつながった。一人は、評論家の宇野常寛さん。以前の記事でも何回か書いたが、国語の教科書にも文章が掲載されている。僕は初任のときに、宇野さんの文章や考え方に影響を受けて、授業を組み立てていた。また、Youtubeなどを参考にして、物事の考え方や議論の仕方なども学ばせていただいている。
もう一人は、EKIDEN Newsとして活動している西本さんだ。西本さんとは、青山学院大学で主務をしていた時代から付き合いがある。確か、ツイッターでやりとりを始めて、日体大記録会などでお会いするようになった。そのころは、金髪でもなく「なんかマニアックな人がいるなー」と思っていたくらいだった。当時の青学は、決して優勝争いをするようなチームではなかったし、当時は今ほど「主務」に注目するメディアも少なかったと思う。そんなチームを「ほぼ日」で記事にしてくれていた。(僕も「ほぼ日手帳ガイド」に出してもらった。今思うと僕でよかったのだろうかと不安になる)そして、気が付けば西本さんは陸上界にはなくてはならない存在になっている。それはなぜかを、宇野さんの「遅いインターネット」をもとに考えていく。
「箱根駅伝」と「文化の四象限」
評論家の宇野常寛さんから出発しよう。先日発売された『遅いインターネット』のなかの議論に、「文化の四象限」という区分がある。「他人の物語/自分の物語」という縦軸と「非日常/日常」という横軸によって、文化を四つのカテゴリーに分類している。詳しくは、以下の動画で説明されている。(そして、『遅いインターネット』をぜひ読んでほしい)
箱根駅伝に置き換えて考えてみよう。宇野さんのメディアの区分とは異なるが、正月という「非日常」で行われる「他人の物語」に感情移入をするという点では、「箱根駅伝」そのもののテレビ放映は、「非日常×他人の物語」という第一象限にあたる。『いだてん』でも描かれていたが、箱根駅伝は読売新聞というマスメディアなしには成立しなかったのだ。
では、「日常×他人の物語」の第二象限にあたるのはというと、1月2、3日以降の関連番組であろう。1月4日から大学の朝練習を見に行くような駅伝マニアでなければ、三が日が終わればほとんど「日常」に戻っていく。しかし、関連番組やその後の特集は、「日常」に「箱根駅伝」という巨大な感情移入装置を用いて入り込んでいく。そこで展開されるのは、まさに「他人の物語」である。友との絆、家族との絆などを視聴者は消費していく。
次に「非日常×自分の物語」の第四象限だが、これはもともと「駅伝」や「マラソン」が持っている性質でもある。例えば、沿道に行って応援するという行為だ。「現場」に参加した自分だけの体験をソーシャルメディアに発信する(もしくは職場の人に自慢する)までがセットになっている。これは、異様にカメラを持つ人が多くなった、この10年くらいの記録会の変化を考えてもよいだろう。
このように、ここまでは宇野さんが言う「文化の四事象」に当てはまっていくのだが、「日常×自分の物語」に関しては箱根駅伝は特別だ。例えば、箱根駅伝が大手町でゴールを迎えたあと、街に出ると普段は走らないようなおじさんが走っているのを思い出してほしい。彼らはイメージのなかでは、箱根駅伝の選手になりきって走っているのだろう。僕も中学・高校のときはそうだった。そして、この走るという行為こそが、「日常×自分の物語」ではないか。
このように箱根駅伝も、もともとは第一・二象限(他人の物語)に比重が置かれていたと考えられる。(沿道に応援に行ってもそれを発信する手段がない)そして、SNSの登場以後は、それが第四象限(自分の物語)にシフトしつつあるといえる。しかし、これはもともと「駅伝」や「マラソン」が潜在的に持っていた性質だった。さらに、第四象限に関しては、マスメディアが作り出す「他人の物語」を乗っ取るような形で、「自分の物語」として走り出すことができる。『いだてん』でも、車夫が五輪の選考会に参加したり、五りんが突然「マラソンやろうかな」といえるように、「走ろうと思えば誰でも走れる」という気軽さがなせる業だ。このあたりは、以下の記事ともつながってくるところだろう。
「日常×自分の物語」から変革を起こす
そして、EKIDEN Newsの西本さんがなぜ必要とされているか、またなぜ選手が西本さんに話したがるかを、この「文化の四象限」にあてはめて考えてみよう。この四象限にあてはめたときに、西本さんの出発点は、「日常×自分の物語」という第三象限であると考える。そして、そこを起点として第四象限、第二、一象限へとアプローチをしている。例えば、駅伝を追うきっかけとなった出来事としてよく語られている宇賀地さんとの出会いが、まさに「日常×自分の物語」を象徴している。また、取材を受ける選手の立場としても、「他人の物語」として取材をする「マスメディア」より、「日常×自分の物語」として受け取ってくれる方がより魅力を感じるはずだ。そして、それを受けとる人々も「応援」という「参加」(西本さんの言葉を借りれば「身内になる」こと)によって、「自分の物語」として楽しむことができるのではないか。
そして、そうした姿勢が「バズらないインターネット」であり、「Track Town SHIBUYA」の面白さにつながったのではないだろうか。「渋谷のラジオ」の「Track Town SHIBUYA」を聞いていると、横田コーチも畦蒜さんも、第三象限から陸上競技を発展させようという立場にいるのだと分かる。例えば、「観る」だけではなく、「参加する」ことへのハードルを下げようとしている以下の回がわかりやすい。
そして、第三象限を起点として、第一、二象限をハックするような形で、陸上界を変革しようとしているのではないか。だからこそ、選手が情報を発信する必要性を強調しているのだ。これは多くの選手が述べていることだが、マスメディアが作る「他人の物語」とは、取材を受けた本人にとっても「他人の物語」になってしまう場合も多い。僕は大学時代に主務の立場から、取材される選手を見ていてそれを痛感した。自分を「他人の物語」として消費の対象にさせないためにも、「自分の物語」を語る必要性が生じ、そしてそれを「他人の物語」へ変換することのない西本さんが求められているのだと思う。
「走る」から「考える」、「考える」から「走る」
このように考えると、宇野常寛さんが「走る」という選択をしたのも必然的なように思えてくる。『リトル・ピープルの時代』で、「大きな物語から小さな物語へ」ということを述べたことと、第三象限の「日常×自分の物語」を重視する姿勢は地続きである。「遅いインターネット」のなかで次のことが言われている。
重要なのは報道=競技スポーツを観ることではない。与えられた「他人の物語」を批評する=ライフスタイルスポーツのように「自分の物語」として編み直すこと、自分の足で走ることなのだ。
「自分の足で走ること」はもちろん比喩的な意味であろうが、先ほどの箱根駅伝の例にピタリと当てはまる。ランニングは、「駅伝」や「マラソン」を初めとするマス的な受容のされ方とは別の出発点を持っていた。それは『いだてん』が描いたことと重なるはずだし、東京マラソン前のこのEKIDEN Newsの記事とも重なる。
宇野さんと西本さん。僕が影響を受けた二人が「走ること」=「自分の物語」(ストーリー)という点で、そして「遅いインターネット」と「バズらないインターネット」という点でつながった。では、自分は? というと、これを教育のなかで活かせないかを考えている最中だ。現代の高校生は、自分のことだけれど、大きな「他人の物語」として客観視してしまっている生徒が多いように見える。だからこそ、僕は走り始めたし、書き始めた。まずは、僕が「自分の物語」から出発しなければいけない。
と、ここまで書いてきて「速さ」に対抗する手段、目指すべき場所を、ランナーはすでに手に入れていることに気づいた。それは、『風が強く吹いている』(三浦しをん)でも語られたことだった。そう、僕たちが「走ること」によって目指すのは、決して「速さ」ではない。「長距離選手に対する一番の褒め言葉」は「強い」なのだ。
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