SNS Shocking#2「土着の音よ、次代に鳴れ」(ゲスト:細井徳太郎)
「自分なりのジャズやロックを後世に残したい」
そのような若手音楽家や文化人の発言を、ここ20年ほとんど日本で聞かなかった。そんなことを言えば最後、「ネトウヨ」とか「意識高い」などの表面的な言葉で一蹴されるだろう。だが29歳のギタリスト/シンガー・細井徳太郎は確かにそう語り、こちらの「なぜ、そんなに意識が高くなったの?」という意地悪な質問にも「普通かな」と自然体だった。
我が国における大衆音楽の発展には、西洋音楽やロック、ヒップホップといった流行を日本語に落とし込んだ歴史もある。そして童謡、はっぴいえんど、スチャダラパーをミックスして若い世代に繋いだのがテレビ番組「ひらけ!ポンキッキ」、もしくは「ポンキッキーズ」。
この「ひらけ」は「ひらけゴマ」に由来する。つまりジャズやブルースを米国音楽としてアメリカン・キッズに植え付けた「“セサミ”ストリート」の翻訳だ。もしかしたら「自分なりのジャズやロック」と語る細井も、ふたつの幼児番組の洗礼を受けたのかもしれない。
それは妄想に過ぎないが、細井の音楽の節々に光る要素は文化が継承されたことを裏付けている。何が彼をそこに誘い、どうやって自分の“歌”へと発展させたのか。第2回目となる「SNS Shocking」は、その秘密に記事とポッドキャストで迫っていこう。
(写真:西村満、サムネイル:徳山史典、ジングル/BGM:sakairyo)
「日本のジャズへの憧憬」
――細井さんは、日本におけるジャズの震源地のひとつといえる、ライブハウス・新宿PIT INNでバイトされていたそうですね。
はい。8年ほど前の話です。群馬から上京して、2年ほど働いてました。一緒にバンドをやっていたウッドベースの友達がもともと働いていて、彼から誘われたのがきっかけです。結局は僕の方が長く続けましたね。
ライブも観に行ってましたが、店に思い入れを感じるようになったのはバイトをしてからです。だいたい月1回くらいは出演していて、自分にとってホームのような場所。行くと身が引き締まるというか、リラックスしながらも緊張感があるんですよ。
――客観的に見て、新宿PIT INNはどんな場所だと思います?
サックス奏者・渡辺貞夫さんをはじめ、ミュージシャンの呼びかけを受けて社長がオープンした(1965年)という流れがあります。今も日本のジャズが一番盛り上がっていた頃の伝統がありつつ、アンダーグラウンドな部分も強い。以前あった六本木PIT INN(2004年閉店)ではフュージョンが盛んだったし、色々な音楽が対等に扱われて、混ざり合ってきたライヴハウスだと思います。
日本のジャズと歴史については、SMTKで一緒に演奏しているドラマー・石若駿くんともよく話します。彼とは上の世代への憧れが共通しているんですよ。個人的にはギタリスト・斉藤“社長”良一さんは好きですね。彼はコロナ禍の後から「CEO」という名前で活動しています。
――「社長=CEO」(笑)。タモリさんや山下洋輔さんの周辺もそうでしたが、ジャズメンは言語感覚がユニークですね。細井さん自身もインスト楽曲でも歌詞を思い浮かべるとか。
「空耳アワー」みたいな感じです。例えばセロニアス・モンクの楽曲のメロディはどれも日本語っぽい歌に聴こえるんですよ。そんな感じで自分で作った曲も鼻歌から歌詞が浮かんできますが、キース・ジャレットの曲は不思議なことに歌詞が出てこないんですよね。
「黒人文学によるジャズ表現」
――その感覚は、大学でアメリカ文学を勉強されたことと関係がありますか。
昨年出したアルバム『スカートになって』に収録した「八月の光」のように、ウィリアム・フォークナーの小説『八月の光』にインスパイアされた楽曲もあります。でも大学時代に在籍していたのは、教育学部の英語科でした。そこに入ったのも教育自体に興味があった訳ではなく、潰しが効くと母親に薦められたからです。最初はアメリカ文学も単に読んでみたいという程度の興味で。
――言葉と音楽について思うことは?
「流行り」だと思います。フォークナーは売れたんですよ。彼が実践したのは、例えば登場人物が3人いる10の話があるとして、それが1から3まで展開したら、次は2人目の登場人物の2から4が進む、といった手法でした。
一方でジャズに限らず音楽にも“流行り”がありますよね。ある語り方や言葉、サウンドが流行るという点で言葉と音楽は似ているなと。音楽家としての自分がそれを取り入れることは少ないですが、リスナー/読者としての自分はそれを意識して作品に触れている気がしますね。
――アメリカ文学とジャズといえば、村上春樹氏が思い浮かびます。
確かに。でも彼の作品は講義の一環で2作品ほど読んだことがある程度だし、僕にとってのジャズと結びつくことはありませんでした。僕は最終的にハマったのでは黒人文学、特にジェイムズ・ボールドウィンの描く、生活っぽかったり土臭くさい「ジャズ」の描写だったんです。
今でも「ジャズ」というと、80年代にベーシストのロン・カーターが出演したバーボンのCMのような一般的イメージがありますが、僕にはボールドウィンの「指を切ったら血が出る」という表現が新鮮でした。
「日本人がやるべき土着の音楽」
――今「ジャズ」にどんなイメージを持っていますか。
言語化が難しいですが、定義のはっきりした概念ではないと思います。例えばアンビエントだからといって、ドローン(持続音)が流れている訳ではなく、でも「これはアンビエントだ」と意識が共有できている音楽なのかな。
――ところでポップスメイカーとしての細井さんの楽曲からは、はっぴいえんどのような、日本語ロック黎明期のような質感があります。これについては?
日本語のロックは好きですね。自分の曲でもアルバムの表題曲「スカートになって」はthe pillowsっぽいなと感じます。アニメも好きなのですが、彼らの音楽は『フリクリ』を観て興味を持ちました。
あとはスピッツさんや岡林信康さん、はっぴいえんど、浅川マキさんも好きです。最近の日本のロックは海外で流行のサウンドが散りばめらていますが、「日本人がやるべき音楽」だと感じるものは少ない気がします。
――「日本人がやるべき音楽」という視点をお持ちなのですね。
世界の流行も面白いですが、シンパシーを感じるかどうかは別の話。僕が好きなのは、自分と同じく「米を食べた人間がやってるな」とわかる音楽なんですよ。ジャズをやります/ポップスをやります/本を読みます/バイトします、そのどれもが僕にとって分け隔てがありません。同様に海外/日本ではなく土着のものがいいなと感じるんですよ。
「自分の音楽は過去に向いている」
――なるほど。ちなみに徳井さんのジャズギターの師匠はどなたですか?
故・橋本信二さんに習っていました。一番しつこく言われたのは「自分の“歌”を歌いなさい」ということ。
――前回インタビューした秋元修くんも「自分の“歌”を歌う」と語っていて、読者からは「それは何?」という質問がありました。それを考えてほしいので回答を控えましたが、徳井さんはどう理解していますか。
「言いたいことや感じたことを自分なりに表現すること」だと考えています。信二さんからはコードの弾き方とか細かいことは聞いたり、盗んだりしましたが、メロディやソロの取り方は習ったことがありません。そこが自分なりの“歌”で演奏する部分だと思うんですよ。「その技術を磨け」と信二さんは言いたかったのかなと。
――昨今、ジャズのスキルを学ぼうと思ったら教育系YouTuberの動画で事足ります。お話を聞きながら今の時代、先生に習うべきことはアティチュードや心構えなのかなと感じました。では、どのように“歌”を深堀りしたのでしょう?
終わりはないと思うので途中経過となりますが、ジャズ的な面でいうと「好きだと感じたことはやってみる」ことは実践してきました。それは関西に行ってみて、現地の関西弁が気に入ってたから真似してみる、というような感じ。その個人的な“流行り”を繰り返してきた気がしますね。
取り組んだことについて「こだわり過ぎ」と指摘されたこともありましたが「思ったことを、この方法で表現してみよう」と試行錯誤した時間は無駄にはならず、必ず蓄積されていきます。とにかくやってみて、捨てたり拾ったりしていく内に少しずつ自分の言いたいことや、それを話す方法を探す術が自然に身についていきました。
――それには膨大な時間が必要だと思います。耳コピや練習って全部が自分に残る訳ではないですし、いわゆるタイム・パフォーマンス的に無駄だと思うことはありませんか。
いいソロだと弾いてみて、めっちゃ好きだなと思うものがあるなら無駄ではないと思いますよ。僕もいまだにジミ・ヘンドリックス、Megadethのキコ・ルーレイロ、Panteraのダイムバッグ・ダレルなどをコピーしています。
あと一時期の“流行り”だったのが逆再生。熱は覚めましたが、演奏のアイデアの選択肢のひとつになっています。音って発した瞬間にもう過去のものになるし、曲なんてさらに過去のものを時間を巻き戻して人に聴いてもらう行為じゃないですか。だからすべての物事は逆再生だとも言えるんですね。僕が惹かれた理由は「自分が常に過去に向けて表現しているから」なのかもしれません。
――今の話を聞いていて、エリック・ドルフィーの「When you hear music,after it's over,it's gone in the air. You can never capture it again.(音楽は聴こえた瞬間に止んで、空気中に消え去ってしまう。それを掴むことはできない)」という言葉を思い出しました。
確かに。それと同じなのかもしれません。
――では未来についてお聞きしますが、これから追求したいことなどあれば教えてください。
1年半前から自分でも歌うようになって、ギターを弾き始めた時の感覚を思い出しました。それは研究していきたいですね。他のことは個人の“流行り”でいいかな。あと願望としては、この先も素晴らしい音楽家と一緒に演奏できればと思っています。
次回のゲストは・・・
「SNS Shocking」第2回目。細井さんとは初対面でしたが、興味深い話を聞くことができました。演奏だけでなく思想も伝達されていくのが、ジャズ・ミュージックのよいところでもあります。彼のように継承をピュアな気持ちで実行できたら、現代における世代間の分断はなくなるかもしれませんね。
細井さんが次回のゲストとして紹介してくれたのは、鍵盤奏者・高橋佑成さん。MPCプレイヤー・STUTS氏の主宰コレクティブ・Mirage Collectiveや日野皓正クインテットでも活躍する彼に、音楽的ルーツやバックボーンなどを伺いたいと思います。(小池直也)
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