教室と家の扉につかまる①
今日は前回の続きで、私が小学校二年生の頃の話を書かせていただきます。
よろしくお願いいたします。
扉が閉まっていないような感覚
家の茶の間の扉を閉めても、「閉まっていない感覚」が起きました。
目で見ると扉は閉まっているのですが、「閉まっていない感覚」の方が勝るのです。
おかしいな?と思い、扉を開き、閉め直します。
ところが、また閉まっていない感覚につかまりました。
やはり目で確認すると閉まっています。
なぜ閉まっていない感覚になるのかな? と思いながら、また扉を開けて閉め直します。
それでも閉まっていない感覚に襲われていました。
おまじないをするけど、効かなくなる
これはとても疲れます。
困った私は「数を数えながら扉を占める作戦」をとることにしました。1.2.3.4.5.6.7。
7はラッキー7(セブン)でパワーがあるぞ! だから扉は閉まる!
と、おまじないをしました。
最初の頃は効果があったのですが、おまじないはすぐに効かなくなりました。
1.2.3.4.5.6.7。
1234567×2セット、3セット、×4.5.6.7セット…
と、エスカレートしていきました。
木の節の時と同じで、7✕7セットはとてもバワーがあるおまじないでしたが、これもだんだんと効果がなくなってしまいました。
数を唱えながら大きな扉を何十回と開けしめする行為はとても疲れました。
やめたい。扉から離れたい。でも、離れられませんでした。
「扉がしまっていない感覚」をもう少し詳しく説明します。
普通、ドアや扉を閉めた時は、当たり前ですが閉めたらそれでその場を離れられると思います。ところが、閉めても閉めても、閉まっていない感覚に陥ってしまうのです。
このケースから見る強迫観念と強迫行為
大人になった私が改めて考えると、これは、確認強迫、数唱強迫、縁起恐怖、といえると思います。
「扉が閉まっていない感覚」は強迫観念です。
やり直さなければ何か不吉なことが起こる感じがするのです。=縁起恐怖
そこで、数を唱えながら(=数唱強迫)扉を開け閉めしたことが、強迫行為といえると思います。
読んでくださりありがとうございました。
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