木の節とおまじない

今日の東京は天気がよかったですが、外に出ると風が冷たい感じがしました。
皆様お住まいの地域の気候はいかがでしたでしょうか。あまり寒くならないといいですね。

今回は小学生の時の続きを書かせていただきます。よろしくお願いします。

私の小学校は木造校舎でした。
あるときから、廊下の木の節(ふし)にとらわれるようになりました。

「木の節」といっても今は知らない方も多いのかも知れませんね。
木の板には丸い模様みたいなものがついています。それが、「節」です。

歩いていて突然、その「木の節」に捕まったようにとらわれて、それ以上先に進めなくなりました。
小学二年生の私はとても困りました。

なんで歩けなくなるのだろう?
なぜこの丸い木の節のせいでその先に進めなくなるのかな?
頭の中はとても窮屈でしんどかったです。パニックになっていました。

困った私は、作戦を考えました。
数を唱えることにしたのです。

子供の私は、なぜかわからないのですが、「ラッキーセブンで、7には力がある」と信じました。

ズックのつま先を使って、つかまった木の節の上で数を唱えながらトントンします。
1.2.3.4.5.6.7、と、7回トントン。

「7はラッキー7で、力があるので、とらわれた木の節から離れることができる」。そのように考えました。

作戦は無事に成功し、その場から離れることができましたが、すぐに別の木の節につかまるようになりました。

そこでも1.2.3.4.5.6.7.とラッキー7を唱えながらつま先をトントンします。今度はなかなか離れられません。そこで、7まで数えるのを何度も繰り返します。
1.2.3.4.5.6.7×2セット、×3セット、×4.5.6.7セット以上…と増えていきました。
小学二年の時の私の考えでは7の7セットはパワーがありとても力があるのですが、それでも離れられないときがありました。

チャイムが鳴っても教室に戻れなくて、授業の開始に遅刻したりして、先生によく叱られました。この困った癖の相談はできませんでした。

(大人になった私の解説)
廊下の節にもとらわれましたが、当時は欠けているものにもとらわれていました。
傷やひびなどに対する確認強迫や欠損恐怖といえると思います。

数を唱えるのは、数唱(すうしょう)強迫といえると思われます。

とらわれた場所を離れると不吉なことが起こる感じがする。これは強迫観念です。

この強迫観念に対し、数を唱えながら足のつま先でおまじないのような儀式的行為をし、離れようとしていた。これが強迫行為ということです。

次回も続きを書かせて頂きます。
読んでいただきありがとうございました。


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