教室と家の扉につかまる ②

今年最後の記事として、前回の続きを書きます。

教室の扉

家の扉につかまっていた私は、学校では教室の扉につかまりました。

教室の前にある扉は、先生の出入り口です。後ろは生徒の出入り口でした。

チャイムが鳴り、授業が始まります。
席につくと、普段子どもたちが出入りする後ろの扉が閉まっていない感覚にとらわれました。
おかしいな! と思い、後ろを振り向いて目で見て確認すると、扉はちゃんと閉まっています。
前を向いて先生の授業に集中しようとするとまた突然、扉が閉まっていない感覚に頭が支配されました。後ろを振り向き確認します。
落ち着かない生徒に見えたと思います。先生からは、しょっちゅう注意を受けたり、よくげんこつが飛んできました。

頭のイメージの中で扉を閉める

あまり後ろを振り向くことができなくなった私は、作戦を考えました。
いつも利用している教室の扉ですから、その様子は簡単にイメージすることができました。
頭の中のイメージの世界で歩いていき、扉を開け閉めして確認しました。

家での確認行為も疲れましたが、学校でのイメージだけを使っての確認はもっと疲れました。
頭の中のイメージの世界だけで、机を離れて扉まで歩いていき、扉を開けたり閉めたりして確認する作業は、実際の確認の何倍も頭が疲れたのです。

大人になった今の私から見ると…

扉がしまっていない感覚にとらわれたことが、強迫観念です。
頭の中のイメージを使い確認するのは、強迫行為、そしてイメージの中で儀式行為をする「心的儀式」といえると思います。

さて、これから数日は記事の更新もお正月休みをいただき、次回はまた年明けに書きたいと思います。
読んでくださりありがとうございました。
皆様、良いお年をお迎えください。

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