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”いのちのはなし”をするために


僕はいのちの話が好きです。


触れると、安心感やあたたかさ、信頼、つながりをとても感じます。徐々に周りに、この感覚や世界観を共有できる人が増えてきました。


でも、まだまだ自分の心や内側を感じてみたり、そのプロセスを探求したり、世界にその目を向けてみたり、というこの”内側の豊かさ”みたいな部分は、根付いていないなあと思っています。


逆に、”外側の豊かさ”は、この世界で、特に日本はすでに100年近くをかけて、かなり探求してきたんじゃないかなあと思います。おかげで、色んなテクノロジーや生活レベルが上がりました。


二元論ではありませんが、もしもこの2つの豊かさがあるとしたら、いま現状、このバランスがとても悪い感じがします。




「この人も生きているんだなあ」

”いのちの話”をすると僕はこう思います。

どれだけ普段肩書きを積み重ねている人も、「人間」「いのち」が垣間見えると、距離が一気に近くなる感じがします。

僕自身も、自分の”いのち”の声を聞いて進み始めてから、生命エネルギーの高まりを感じたり、愛を感じるようになったし、自分の秘めているエネルギーを使えている感じもあったり。





”いのちの話” って一体なんだろう?



してきたこと、実績、年収、肩書き、スキル、カテゴリ(性別、年齢、職業など)、テンプレ(あたりまえ、一般、普通)


これは、いまの世の中のよく重要視される、指標となる、または会話の中でよく巻き起こるものです。一言で言うと、「力」。あらかじめ言っておくと、この文化や存在を否定しているわけではありません。「力」も必要だと思いますが・・・ということです。




心の内側のおはなし、プロセス(過程)、想い、願い、感情、感覚

こちらが僕の中で、”いのちの話”にあたることかなあと。一言で言うと、「愛」。あまり日常で話さないことかも。


効率や成長など、物事を進める上で、いまの資本主義的な世の中で生きる人にとって、忙しさの中で生きる人にとっては、このような部分は不要になることが多いのではないでしょうか。



逆に、「関係性・信頼関係、つながりを深める、感覚に戻る、丁寧に生きる、自分とつながる、愛から動く、分かち合う、自然と調和して生きる、サスティナブルに生きる」

こんな世界で生きている人にとっては、”いのちの話”は、大切なパートになりそうです。でもぶっちゃけると、すべての人の中には、↑のような部分は必ずあると信じてやまないので、どんな人とでも”いのちの話”はできるし、つながることができると思ってます。



ちなみに”力”のほうでも、「学校が同じ、学んでることが同じ、会社が同じ、性別が同じ」など、気軽なつながりが生まれることは確かです。






僕はよく思うことがあります。

どうすれば、もっと”いのちの話”がしやすくなるのか、根付いていくのかなあと。ここからは、僕の作戦会議のはじまりです。


自分自身がそう在ることが、一番かもしれませんが、「環境作り・前提」もとても大切なように思います。


どこで会うのかみたいなことでしょうか。似ている価値観を共有しているテーマのイベントやWSなどに参加する、まわりに発してみることも一つな気がします。


NVC、対話、ヨガ、呼吸、瞑想、暮らし、パーマカルチャー、リトリート・・・・。短絡的に、イメージで決めるのは危険なこともありますが、この辺のワードには、”いのちの話”と、相性が良さそうです。

温泉に浸かっていると、普段話さないことを話しやすかったり、お酒を飲むと、思考が働きにくくなって、結果的に、本音が生まれることもあるのではないでしょうか。



では、いきなりふらっと会った人やこのテーマに沿わない人とは、どうしたらいいでしょうか。


「いま自分の中にある感情や感覚の話をする」

「願っている、好きな世界の話をする」

「(あなたの奥になにがあるのかなあと)問いかけてみる」
「どう感じてる?」



日常使いで、それが自分にも相手にも違和感なく、できるようになるといいなあとずっと思っています。僕がNVCを学んでは、時には離れ、瞑想を深めては、時には離れ、のようにしているのも、型を学びつつ、日常使い、自然な形で自分の中で奏でたいという想いがあるから。最近は、毎日のようにプラクティスをし、深めることで、それが可能になるきがしています。



また言葉を通じてだけでなく、”いのち”の表現は、色んな形でできると思います。在り方から、暮らしの中から、シゴト、なりわい、趣味、料理、文章、など。自分の心を通わして、願いや想いとつながり、ワクワクや愛から生まれたものは、心地よく、その人らしさをとても感じるし、優しいエネルギーかつ力強い、根っこの土壌から、染み渡ってくる感じがします。



この文章を書きながら、ぼくは「生命を感じたい」という想いを強く持っているんだなあと改めて思いました。そしてそれは、人間もだけれど、生き物や植物、自然もなんだなあと思いました。




いのちを感じて生きる。ないのでなく、きがつきにくいだけ。

それは、目の前にも、近くにもいっぱいある。


自分にとっても日々、プラクティス。

深めながら、その波動や世界観を広げていくんだ。

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松本直也|きのこ
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