今日も運転しなかった 第5回
9月からシナリオの売り込みを始めている。
もちろん、その段階でも原稿に手を入れる。オリジナル脚本のため締め切りもなく、ひたすら鍬で道を作っているような感じだろうか。幸い天気は良く、道行く人とも仲がいい。
苦い経験くらい、物を作る人間なら誰もが持っていると思う。こうして一人で鍬を持ち続けることに苦痛はない。しかし、かつて道具を奪われそうになったり、道を阻んで「あっちへ行け」と言われたことは何度かある(そのたびに反面教師にしているが)。
日本映画界(?)の分布がよくわからないまま旅に出てしまったらしい。どこに誰がいて、あの場所に水飲み場がある、と知らないままだった。砂漠である。待ち受けているのは、この国の手際の悪さであった。きっと6月のカタツムリに頼んだ方が仕事は早い。
原作小説を持ち込んでから3か月くらいたっていたと思う。返信メールの隅々から厚顔無恥ぶりが遺憾なく発揮していた。
メールの文面を読む限り、プロダクション代表の態度とは思えなかったのだ。「上野君」と君付けされたのは初めてである(私は一度も君付けなどしたことがない)。どうやら返信できないほど「忙しい」らしく、以前に私が送ったメールに「私ならこのようなメール送りません」と転用していた。
元々は、映画『ワッゲンオッゲン』の監督、祷映(いのりあきら)氏が母校バンタンで顧問を務めたことがあり、その縁で制作会社にコンタクトを取った。在学中の進路相談で、祷氏に、「お前やっていけるわ」と背中を押されたことがあったのだ。
私はすぐに返信した。以下の文がガラケーに到着した瞬間、これ以上のやり取りは電源の無駄だと痛感する。
「素直じゃない子なのね。がんばってくださ~い(笑)」
さて、鍬仕事は続く。未公開のシナリオに対して、皆さんとても親切に対応してくれる。天気は良好である。
(つづく)