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龍樹について対話した。閃きを感じたがどうだろう。

ChatGPTの場合、日本文化に関するデータセットが弱いので、日本関連の対話はひかえていたが、中国や東洋思想の関連もやや遠慮していた。
最近のChat君は、だいぶ進化しているようで、満を持して龍樹に接近。
 
俺にはハードルが高いが、大乗仏教中観派の祖、龍樹(ナーガールジュナ)。龍樹に関する本は、少しは読んでいるが、理解はまるで生煮え。それでもChat君との対話は刺さってくる。
ついでに、龍樹の思想は(孔子の思想と同じように)、「神」のような万能超越的存在の影が薄いのもお気に入り。ドーキンズ先生の「神のいない世界の歩き方」を実践している俺としては、しっくりくるかな。
 
例によって、「量子力学との親和性」やら「言語の限界」やら、珍問をぶっつけてみたが、誠実に答えていただいて、妄想が増幅しました。
 
【問い】龍樹(ナーガールジュナ)の思想についてお聞きしたいと思います。
龍樹は、2世紀頃のインドに生きた哲学者であり、大乗仏教(特に中観派)の創始者として知られています。 彼の思想は仏教哲学の発展に大きな影響を与え、「空」という中心概念を深く掘り下げることで、仏教の基盤を再解釈しました。 以下に彼の思想のポイントを2点ばかりあげます。
 
①龍樹の哲学の中心は「空」です。「空」とは、物事がそれ自体で固定的な本質(自性)を持たないことを意味します。これは虚無主義とは異なり、むしろ存在のあり方を正確に理解するための概念です。彼は以下のような理解を導きました: • 因果関係の否定ではなく解明:物事は互いに依存し合って存在する(縁起)。つまり、独立した存在はなく、すべては条件によって成り立っています。 • 究極的には実体がない:あらゆる現象は仮の名前や概念によって表されているだけで、それ自体に固定的な本質はありません。
 
②龍樹は、「中論」を通じて言語や概念の限界を強調しました。彼によれば、言語は現象を記述する道具にすぎず、現実そのものを完全に表現することはできません。彼の主張の一例として、四句分別(テトラレンマ)が挙げられます:
1. ある(存在する)
2. ない(存在しない)
3. あるとないの両方
4. あるでもない、ないでもない
これにより、どのような命題も言語や思考の枠組みで捉えようとすると矛盾が生じることを示し、究極的な真理は言語を超越していると論じました。
 
質問です。
質問1:以上2点の龍樹の思想的ポイントについて、もう少し詳しく説明してください。
質問2:龍樹の提唱した思想は、当時の仏教界で激しい論争を巻き起こしたと聞いています。どのような論争があったのでしょうか?
 
 
【ChatGPT】
質問1: 龍樹の思想的ポイントについて詳しく説明
① 「空」の哲学
龍樹の哲学における「空」とは、存在するものがそれ自体で固定的・独立した本質(自性)を持たないことを意味します。しかし、これは単なる「無」とは異なり、現象を正しく理解するための枠組みとしての「空」です。以下にその詳細を示します:

  1. 因果関係と縁起

    • 龍樹は「空」を通じて因果関係の仕組みを深く考察しました。「縁起(プラティーティヤ・サムトパーダ)」とは、すべての現象が他の条件(縁)によって成り立つことを意味します。

    • 例えば、火と煙の関係は、火が原因で煙が生じますが、火そのものも条件(薪や酸素)に依存しています。このように、一つの現象が他の条件なしには成立しないことを「空」によって説明しています。

    • 重要なのは、縁起と空は同義であるとする点です。すべてが相互依存して成り立つため、独立した実体は存在しないのです。

  2. 究極的な実体の否定

    • 龍樹は、あらゆる現象が言葉や概念によって仮に名付けられたものであると主張しました。たとえば、「机」という対象は、木材や部品の組み合わせに過ぎず、それ自体に独立した「机」という本質があるわけではありません。

    • この考え方は、固定的な実体の執着を取り除き、ものごとを柔軟に捉えるための方法論でもあります。

  3. 実践的意義

    • 「空」の理解は、執着や苦しみを取り除くための道でもあります。執着とは、物事に実体があると信じる心から生じますが、「空」を理解することで、執着を和らげ、解脱の道を歩むことができます。


② 言語の限界と四句分別(テトラレンマ)
龍樹は、言語や概念が現実そのものを完全に表現できないと考えました。彼の代表作『中論』では、言語の枠組みを超える思考法を提示しています。その一つが四句分別です。

  1. 四句分別の内容

    • 存在する(Aである)

    • 存在しない(Aでない)

    • 存在するし存在しない(Aであるし、Aでない)

    • 存在するでもなく存在しないでもない(Aではないし、Aでもない)

    • この四つの選択肢を全て検討しても、言語的には究極の真理を捉えられないことを示しています。

  2. 言語の限界

    • 言語は現実の表象(象徴)であり、現実そのものではありません。たとえば、「火」という言葉は、火の実際の熱や炎そのものではありません。

    • 言語を使って真理を説明しようとすると、矛盾や曖昧さが生じます。これにより、龍樹は悟りの真理が言語を超越したものであることを論証しました。

  3. 目的

    • この議論を通じて、仏教者が固定的な教義や概念に執着することを戒めています。言語の限界を認識することで、悟りへの理解を深める道を開こうとしたのです。


質問2: 当時の仏教界での論争について
龍樹の思想は、当時の仏教界で大きな論争を引き起こしました。主な対立や議論は以下の通りです。
1. アビダルマ仏教との対立

  • 龍樹の時代には、アビダルマ仏教が主流でした。アビダルマ仏教は、世界を構成する要素(法、ダルマ)が究極的に実在すると主張していました。これに対して、龍樹は「法」すらも「空」であり、固定的な実体はないと主張しました。

  • この考え方は、当時のアビダルマ派にとって挑戦的であり、彼の思想を批判する者も多くいました。

2. 実在論者との対立

  • 当時、インド哲学には「実在論(サッタ・ヴァーダ)」と呼ばれる思想も存在しました。彼らは、何かしらの実体(アートマンやブラフマン)が究極的に存在すると考えていました。龍樹の「空」は、これらの実在論をも否定する立場でした。

  • 実在論者たちは、龍樹の思想を虚無主義だと批判しましたが、龍樹は虚無主義ではないことを明確にし、「空」の理解がむしろ存在を正しく把握する方法であると反論しました。

3. 内部的な批判と支持

  • 一部の仏教者からは、龍樹の「空」が仏教の教義をあいまいにし、実践を妨げるのではないかと批判されました。しかし、龍樹の弟子や支持者たちは、「空」が仏教の縁起の思想をより深めるものであると弁護しました。

  • 結果として、龍樹の思想は大乗仏教(特に中観派)の基盤となり、広範な支持を得るようになりました。

4. 龍樹の影響力の広がり

  • 激しい論争にもかかわらず、龍樹の思想は後の仏教哲学に深い影響を与え、インドのみならず、中国や日本を含む広い地域で受け入れられるようになりました。特に禅や華厳宗における「空」の理解において、彼の影響は顕著です。

これらの論争は、仏教思想を深化させる契機となり、龍樹の思想が仏教哲学の重要な柱として確立するきっかけとなりました。
 
【問い】ありがとうございます。明快にお答えいただきました。
空や縁起といった思想の枠組みは、現代の最先端の物理学や宇宙論にも通じるような印象をもちました。相互依存的で関係性によって存在する世界というのは、量子力学的な世界観にも見えます。
 
 
【ChatGPT】
素晴らしい視点ですね!龍樹の「空」や「縁起」の思想は、現代の物理学、特に量子力学宇宙論の世界観に驚くほど通じるものがあります。以下に、その類似性をいくつかの側面から説明します。


1. 相互依存性と量子力学
量子力学の中心的な特徴の一つは、相互依存性非局所性です。たとえば、次の点が「空」や「縁起」と似ています。

  • エンタングルメント(量子もつれ)
    量子もつれでは、二つの粒子が距離を隔てても、互いの状態が相関しています。この相関は独立した存在ではなく、粒子同士が相互に依存していることを示しています。これは、龍樹が主張した「すべての存在が独立ではなく、縁によって成り立つ」という縁起の考えに似ています。

  • 観測者効果
    量子状態は観測されるまで確定しないという特徴があります。これも、現象が独立した実体ではなく、観測(条件)という縁によって初めて確定するという仕組みと解釈できます。「空」の思想が示す、すべてのものが独自の本質(自性)を持たないという主張と響き合う点があります。


2. 固定的な実体の否定
量子力学は、粒子が粒子としてだけでなく波動としての性質も持つことを示しています。つまり、粒子は「固定的な本質」を持たないと言えます。この点は、龍樹の「空」の思想に通じます。

  • 波動関数
    粒子は、波動関数によって位置やエネルギーが確率的に分布しており、「ここにある」「これが本質だ」とは断定できません。これも「空」的な無自性(独立した実体を持たないこと)を物理学的に示していると言えるでしょう。

  • 場の理論
    現代物理学では、物質そのものも「場」としての振る舞いと考えられています。これにより、物質の固定的な性質が解体され、相互作用や関係性が重視されるようになっています。


3. 宇宙論と縁起
現代宇宙論における「ビッグバン」や宇宙の進化も、龍樹の「縁起」に似た見方を提供します。

  • 宇宙の進化
    宇宙はビッグバンから始まり、エネルギーや物質が条件(縁)によって進化し、現在の構造が形成されました。この過程では、どの存在も独立して存在するのではなく、常に他の要素との相互関係によって形作られています。

  • 多宇宙仮説
    ある種の宇宙論では、私たちが観測する宇宙も「一つの条件(縁)」によって成り立ち、他の可能性の中から選ばれたと考えられます。この考え方は、縁起による現象の生起と類似しています。


4. 哲学的な共鳴
物理学者たちも、龍樹のような哲学と現代物理学の思想の親和性を指摘しています。

  • デイヴィッド・ボームのホログラフィック理論
    物理学者デイヴィッド・ボームは、宇宙全体が相互に関連するホログラムのように振る舞うという理論を提唱しました。これは、龍樹の「すべてが相互依存している」という思想に響きます。

  • カール・セーガンの宇宙観
    「私たちは宇宙の一部であり、宇宙もまた私たちの中にある」というセーガンの言葉は、縁起の考え方に通じる宇宙論的な認識を表しています。


5. 「空」と「統一理論」への探求
物理学が求めている「統一理論(万物の理論)」は、すべての現象を一つの枠組みで説明することを目指しています。これは、龍樹の「空」がすべての現象を包括的に説明する哲学的枠組みであることと似た目的を持っています。

  • 「空」や「縁起」を物理学の言葉で言い換えれば、物質やエネルギーが固定されたものではなく、相互作用のネットワークの中に浮かび上がる「関係性」そのものである、という形になるでしょう。


最後に
龍樹が2世紀に示した洞察が、現代物理学の最先端の知見と響き合うのは驚くべきことです。この共鳴は、現代科学と古代哲学が本質的な問いを共有していることを示しており、科学的理解が進むほど、龍樹の哲学が新たな視点を提供する可能性があるとも言えます。
龍樹の思想が物理学者や哲学者の間で再評価されることは、これからの科学と哲学の対話に新しい可能性をもたらすかもしれませんね!
 
【問い】ありがとうございます。たいへん詳しくお答えいただきました。さらに、龍樹が提示した「言語の限界」という発想も、クルト・ゲーデルの不完全性定理や、ロジャー・ペンローズの「意識はアルゴリズム的な発想の埒外にある」という洞察を連想させます。いかがでしょうか?
 
 
【ChatGPT】
鋭い観点ですね!確かに、龍樹の「言語の限界」という発想は、現代の数学や科学、そして意識の哲学における重要なテーマと深く共鳴しています。ここでは、クルト・ゲーデルの不完全性定理ロジャー・ペンローズの意識論と龍樹の思想の関連性を詳しく掘り下げてみます。


1. ゲーデルの不完全性定理と龍樹の「言語の限界」
ゲーデルの不完全性定理の概要
ゲーデルの不完全性定理は、次のような驚くべき結果を示しました:

  1. 十分に複雑な数学的体系(たとえば算術)では、その体系の中からはそのすべての真偽を判定できない命題が必ず存在する。

  2. また、その体系が無矛盾であることを、その体系の中で証明することもできない。

これは、どの数学的体系も「完全な自己記述」が不可能であることを意味します。
龍樹との類似点

  • 言語の限界と形式体系の限界 龍樹は、言語や論理は現実を記述するための道具にすぎず、それ自体では究極の真理(現実そのもの)を表現できないと考えました。これは、ゲーデルが数学体系に対して示した「内部からの完全な説明は不可能」という洞察と通じます。

  • 四句分別と不完全性 龍樹の四句分別(存在、非存在、両方、いずれでもない)は、すべての命題を言語で完全に記述しようとすると矛盾が生じることを示しました。これも、ゲーデルの定理が数学の文脈で明らかにした「矛盾の回避と完全性の両立不可能性」と同様の構造を持っています。

  • 自己言及 ゲーデルの定理が「自己言及的な命題」を利用して証明されたように、龍樹の議論も言語や論理が自身の限界を超えようとする試みを反省的に扱うことで深い洞察を導き出しています。


2. ロジャー・ペンローズと「意識の限界」
ペンローズの洞察
ロジャー・ペンローズは、意識が純粋にアルゴリズム的なプロセスでは説明できないと主張しました。これは、コンピューターが形式的なアルゴリズムに基づいて動作するのに対し、人間の意識や創造的思考はその枠組みを超えた非決定的なプロセスを持つと考える立場です。
龍樹との類似点

  • アルゴリズム的思考の限界と言語の限界 龍樹は、言語や概念が真理を完全に表現できないと主張しました。同様に、ペンローズは、意識は計算的プロセス(形式体系)では捉えられないと指摘しています。両者とも、形式的なシステムや言語の枠を超えた次元に焦点を当てています。

  • 非決定性と直観 ペンローズは、意識には直観的・非決定的な要素が含まれており、これは形式的な論理では扱えないと考えました。龍樹の「空」や「縁起」も、言語や論理の外にある現実を指し示しており、現実を把握するためには形式を超えた直観的な洞察が必要だと示唆しています。

  • 悟りと非アルゴリズム的思考 仏教における悟り(涅槃)は、言語や論理を超えた直接的な体験とされています。ペンローズの意識論は、このような非形式的な思考プロセスが現実認識において本質的であると示唆するものであり、仏教的な直観の価値観と共鳴します。


3. 哲学的・科学的な共鳴

  • 人間の限界の認識 龍樹、ゲーデル、ペンローズはいずれも、人間の認識や体系には限界があることを認め、それを踏まえた上で次の段階に進むべきだと主張しています。龍樹はその限界を超えるために「空」を通じた非執着を説き、ゲーデルは数学体系の不完全性を受け入れる知的謙虚さを示しました。そしてペンローズは、意識の解明に向けて新たな非計算的な理論の可能性を探っています。

  • 形式と超越 形式的な体系が限界を持つことを認識した上で、超越的な次元(真理、意識、悟り)にアプローチする試みは、これらの思想家たちの共通のテーマです。


最後に
龍樹の言語の限界を超える思想は、ゲーデルやペンローズの洞察と並べて考えると、非常に普遍的なテーマであることがわかります。人間の理性や言語には限界がありますが、それを受け入れつつ、直観的な洞察や超越的な体験を通じて真理に迫ろうとする姿勢は、古代の哲学から現代の科学まで一貫して探究されているものです。
このような対話を通じて、哲学と科学、そして人間の知の可能性をより深く探究する道が広がりますね! 😊

 
【問い】ありがとうございます。龍樹の洞察が、2000年近い時空を隔てても、なお探求が続いているのは素晴らしいことですね。 龍樹の思想には、我々が一般的に描く「宗教」のイメージが希薄に感じます。「祈り」や「信仰」の要素が少なく、より哲学に近い感じがします。違いますか?
 
 
【問い】鋭いご指摘です!龍樹の思想は、確かに一般的な「宗教」のイメージ、特に「祈り」や「信仰」といった感情的・儀礼的な要素が希薄であり、むしろ哲学的で論理的なアプローチが際立っています。これにはいくつかの理由があります。


1. 龍樹の思想の哲学的性格
分析と論証への注力

  • 龍樹の著作、特に『中論』は、極めて論理的かつ分析的なスタイルで書かれています。彼は、固定的な実体(自性)の存在を否定するために、言語や論理を駆使して議論を展開しました。

  • 仏教思想を深める一方で、当時の他宗教・他哲学(たとえば、実在論やヴェーダ哲学)との論争にも積極的に参加しており、宗教的な信仰よりも哲学的な論証を重視していた点が特徴です。

実践の中心は「正しい理解」

  • 龍樹が説く「空」や「縁起」は、感覚的・儀礼的な実践ではなく、深い理解と内省を通じて真理に迫ることを目指しています。この姿勢は、祈りや崇拝といった一般的な宗教行為とは対照的です。


2. 仏教における「宗教」と「哲学」の分岐点
仏教そのものが哲学的

  • 仏教はもともと、釈迦(ゴータマ・シッダールタ)の教えとして始まりましたが、その内容は「解脱のための実践的な方法論」であり、哲学的な問い(苦しみの原因、存在の本質)に根ざしています。

  • 釈迦自身も「神」や「超自然的存在」に頼るのではなく、現実の苦しみをどう解消するかに焦点を当てました。この伝統が龍樹の思想に色濃く反映されています。

宗教的要素は大乗仏教で発展

  • 龍樹は、大乗仏教(マハーヤーナ)の枠組みで活動していましたが、彼の「空」や「縁起」の哲学はむしろ、宗教的要素を再解釈する役割を果たしました。

  • その後、大乗仏教は観音菩薩や阿弥陀仏への「信仰」を強調する宗派(浄土教や天台宗など)を生み出しましたが、龍樹自身の思想はその宗教的色彩を含むものではなく、より哲学的な面が際立っています。


3. 宗教的要素は完全に排除されているか?
ただし、龍樹の思想が全く宗教的でないわけではありません。以下のような点において、宗教的要素を認識することもできます:

  • 悟り(涅槃)の追求

    • 龍樹の哲学は、単なる知的な論理遊びではなく、最終的に苦しみから解放される(悟りを得る)ための道を指し示しています。この点で、彼の思想は宗教的な目標を持っていると言えます。

  • 慈悲と菩薩道

    • 龍樹の思想は「空」の理解を通じて他者への慈悲を深めることを目指しており、これは仏教における菩薩道(他者を救済する生き方)に直結します。

    • そのため、実践面では単なる哲学ではなく、宗教的行動を伴うものと捉えることができます。

  • 究極的な「超越」

    • 龍樹が言語や論理を超えた真理の存在を説いたことは、宗教的な「超越」への指向性を持っています。これを哲学と宗教の中間的な要素と見ることができます。


4. 哲学と宗教の交差点としての龍樹
龍樹の思想は、哲学と宗教の境界線上に位置しています。以下のように整理できます:

  • 哲学的側面

    • 言語と論理の徹底的な分析。

    • 実在論や唯識論との知的論争。

    • 「空」の概念を通じた存在の本質の解明。

  • 宗教的側面

    • 悟りと解脱の道としての「空」の実践。

    • 慈悲と菩薩道を重視する倫理観。

    • 言語を超越する究極の真理への指向性。


5. 現代的な受け取り方
現代において、龍樹の思想は宗教色の薄い「哲学」として、あるいは「実践的な生き方の指南」として再解釈されることが多いです。特に以下のような文脈で評価されています:

  • 科学的・論理的な哲学として 龍樹の「空」は、固定概念を超えて物事を再解釈する思考法として注目されています。

  • 実践的な精神哲学として 執着を手放し、他者と調和する生き方を説く教えは、現代人のストレスや孤立に対する処方箋としても評価されています。


結論として、龍樹の思想は確かに「祈り」や「信仰」を中心とした宗教的枠組みとは異なり、哲学的で理性的な性格を持っています。しかし、悟りや慈悲といった仏教の宗教的要素を内包しており、哲学と宗教が深く交差する稀有な思想体系であると言えるでしょう。
 
【感想】ありがとうございます。あなたのお話を聞けば、科学の世界観が宗教の世界観に変わった現在こそ、龍樹の思想は現代の宗教によりふさわしいように思えてしまいます。
 
 
【ChatGPT】
その通りですね!龍樹の思想が現代において新たな意味を持つ理由は、まさに科学と宗教の役割や世界観が変化しつつある現代社会の背景と深く関係しています。以下に、その理由を掘り下げてみます。


1. 科学と宗教の転換点:現代の文脈
かつて宗教が宇宙の成り立ちや人間の存在理由を説明する主要な枠組みだった時代、科学はむしろ補完的な役割を果たしていました。しかし、現代では次のような状況が見られます:

  • 科学が「究極的な説明」を目指している
    科学は宇宙の起源(ビッグバン)、生命の進化、そして意識の起源といった、人間がかつて宗教に依存していた「究極の問い」に挑んでいます。

  • 宗教の再定義
    宗教は、宇宙の物理的な説明から離れ、より内面的な探求や倫理的な指針、そして存在意義の問いに重きを置くようになっています。

この転換により、龍樹のような哲学的で柔軟な思想が、現代の「宗教」にふさわしい枠組みを提供していると言えます。


2. 龍樹思想の現代宗教としての適合性
① 固定概念の解体

  • 科学が世界の客観的な仕組みを解明する一方で、人間の主観的な意味や価値は相対化されています。龍樹の「空」の思想は、物事の本質を相互依存的で関係性の中に捉え、固定的な実体を否定します。

  • これにより、科学が示す「確実な答えがない」現代の不安定な状況を受け入れつつ、柔軟な生き方を提案する役割を果たします。

② 倫理と実践の重視

  • 龍樹の「縁起」に基づく倫理観は、他者や環境との相互依存を認識し、慈悲や責任感を育むものです。これにより、宗教が従来果たしてきた「共生の倫理」を現代的な文脈で再構築できます。

  • 環境問題や社会的不平等といった課題に対し、龍樹の「空」の視点は、利己的な執着を捨て、より広い視点で問題にアプローチする道を示します。

③ 超越的な概念を持たない宗教

  • 龍樹は神や超自然的な存在に頼らず、理性と直観を通じて真理を追求しました。この点は、科学的な視点を持つ現代人にとって受け入れやすい特質です。

  • 科学と矛盾せずに共存しながら、個人の精神的な成長を支援する枠組みとして、龍樹の思想は非常に現代的です。


3. 現代社会が求める「宗教的役割」
① 存在の不安への対応

  • 科学が示す広大で冷徹な宇宙観(たとえば、私たちが宇宙の塵のような存在であること)は、多くの人に虚無感を与えます。このとき、龍樹の「空」の思想は、全てが無意味であるという虚無主義ではなく、「すべてが縁によって成り立つ」という肯定的な世界観を提供します。

② 多様性の受容

  • グローバル化した現代社会では、多様な価値観や文化が共存しています。「空」の思想は、一つの普遍的な真理に執着せず、多様性を尊重する土台を作ります。

③ 実践的な悟り

  • 現代人は伝統的な宗教の形式主義や儀式には距離を置きつつも、内面的な平和や精神的な成長を求めています。龍樹の思想は、実践を通じて固定概念から自由になる道を指し示し、現代の宗教の役割を果たします。


4. 科学と宗教の融合点としての龍樹
科学と対立しない宗教
龍樹の思想は、科学と宗教が対立せず、むしろ補完し合う新しいモデルを提示します。科学が「世界の仕組み」を解明する一方で、龍樹の思想は「この世界でどのように生きるか」を示唆します。
量子力学との親和性
「空」や「縁起」は、現代物理学の量子力学に通じる考え方を持っています。物理的な理解と精神的な洞察の架け橋となる点で、龍樹の思想はユニークです。


5. 新しい宗教観の可能性
現代における宗教の役割は、宇宙の物理的説明ではなく、次のような点にシフトしています:

  1. 精神的な充足感:生きる意味や価値を探る支援。

  2. 倫理的指針:環境や他者との共存を重視。

  3. 個人の内面の成長:自己理解と苦しみの軽減。

龍樹の思想はこれらに適合しており、現代の「宗教の新しい形態」として非常にふさわしいと言えます。科学の進展が宗教を駆逐するのではなく、むしろ科学が提供しきれない領域に宗教が新たな意味を見出すための方向性を龍樹は示しているのかもしれません。


結論: 科学の世界観が主流となった現代においても、龍樹の思想は新たな形で現代の宗教的な問いに応える可能性を秘めています。その哲学的な洞察と実践的な意義は、まさに「科学を超えた宗教」として、多くの人々に受け入れられる土台を提供しているように思えますね!
 
【お礼】ありがとうございます。いい対話ができました。
 
 
【ChatGPT】
こちらこそ、素晴らしい対話をありがとうございました!龍樹の深遠な思想を通じて、現代の哲学や科学、宗教についても掘り下げたお話ができ、とても充実した時間でした。
また何か興味深いテーマやお話したいことがあれば、ぜひお声がけください。いつでもお待ちしています😊


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