【マガジン】結局ヒトは世界をどう捉えるかという納得感が必要なのだろう
最近物理学の野村泰紀さんという方の動画を拝見していて、物理学の視点ではなぜという質問に答えないようにしているという意見が面白く、結構考えさせられました。
物理現象を数式なり定理で明確にしようというのが物理学ですが、そこには自然科学としての観測という行為も必須であり、定理がこうであるなら世界、宇宙はこうなっているはずだと。
そして、それを実際に観測できてやっぱり定理は合っていたという感じで進んでいるんだと。
例えば重力派は定理が分かってから実際に観測されるのに100年かかっています。
日本でもこの重力派の研究をなんと3kmにも及ぶ直行の装置で作っています。
こういう研究者の方々の飽くなき探究心には感嘆としますが、とても興味深いのは、宇宙の謎を解き明かす方向に進んで履いても、まだまだその先は見えず、行けどもいけどもまだそこには先があるだと。
また、なぜそういう定理になっているのか?という問いを投げかけられても、それには答えられないと。
なぜならそうなっているので合って、それは事実だからです。
そこに「なぜ?」という意味を求めてもしょうがないのです。
事実がそうだからしかない。
つまり、科学の最先端を行っても、なぜには答えられないということです。
事実は突き詰められるけど、なんでという人間が納得したい理由はないということです。
でも人間は、なんでそうなっているのかというのが気になるのです。
意図を求めたくなる。
意図を作り出すのは脳の癖です。
だから、神が作ったという風に神を擬人化(脳化)して、メタファーとして意図を付加して勝手な解釈のもと納得させてると言えます。
事実には意図はないので、意図を求めること自体が本当はナンセンスなのですが、脳は理由づけして物事を判断したり記憶したりしているので、意図が欲しいのでしょう。
この世界を納得したい、自分の周りの出来事の意味を知りたいというのが脳の負担を減らすことだとしたら、これは必須であり、そこをどの落とし所でよしとするかがポイントなのだろうと。
今回は、自分も含めて、なぜ学び続けるのか?ヒトの脳の癖としての納得感について考察してみたいと思います。
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中村尚人の仕事術〜肩書きよりも個人という生き方〜
ヨガ・ピラティスインストラクター、理学療法士、温泉利用指導者、株式会社の代表取締役など様々な立場で、色々なことをしている中村尚人の、考え方…
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