福岡の音楽シーンを支えたメディア、ライヴハウスについて〜その①
昔から「日本のリヴァプール」とか「めんたいロック」などと言われ、独特の音楽文化を形成して来た街、福岡。その一大ムーブメントの成功には、地元メディアを中心に、ミュージシャンに理解を示す方々のサポートが大きかった。放送局のディレクターがアマチュア・ミュージシャンに声をかけて番組に出演してもらい、曲をかける。喫茶店のオーナーが発表の場を作ろうと思いライヴハウスを開く。エンジニアがアマチュア・ミュージシャンが録音出来るスタジオを作る。レコード屋の店主が「これ聴いてみたら?」とバンドマンにレコードを勧める。こうした方々の音楽愛、無償の応援があったからこそ盛り上がったのだと思います。気合い入れて書きましたので、お時間ある時に、お読み頂けたら幸いです。
というわけで、福岡のミュージシャンの発表の場となったライヴハウスやテレビ・ラジオ・雑誌の動きを中心に整理してみました。
<主な参考文献>
〇博多に強くなろうシリーズ No.62(1996年3月発行)
「日本のリバプール・福岡を出現させたフォークの騎手と『照和』物語り」
お話:九州朝日放送(KBC)ラジオ本部局次長 岸川均(注:発行時)
〇雑誌BLUE-JUG 1979年8月号
「ライヴ・ハウス座談会」(司会:ますやおさむ)
さて、福岡のミュージシャンを応援する動きは60年代の後半から活発化します。
1967年
・第1回TNC「フォークソング・フェスティバル」(後に「サンデー・フォーク」)
1968年
・RKBラジオ『ユーアンドミー』スタート
・福岡で『フォークソングフェスティバル』開催(1回目は玉屋デパート屋上。2回目より『レッツ・ゴー・フォーク』となり場所も中洲の明治生命ホールへ)
・須崎公園で野外演奏始まる
1969年
・RKBラジオ『スマッシュ・イレブン』KBCラジオ『歌え若者』スタート
1970年
・照和が開店
照和のスタートより先に地元放送局のデイレクターがフォーク・ミュージシャンを登場させていた。
そして約10年後
1978年
・照和閉店(同年ライオンズ福岡を去る)
1979年
・5月、今泉の徒楽夢でライヴがスタート
・5月6日、TNC『L-モーション・ラグ』放送開始
なにせ、まだアマチュアだったモッズやロッカーズ、ルースターズの演奏シーンが見られるのですから、貴重な番組でした。デビュー間もない頃のシーナ&ザ・ロケッツや、福岡で既に人気だったモダン・ドールズやフルノイズらも出演してました。
また、地元のミュージシャンを応援する音楽誌『BLUE-JUG』もこの1979年に発刊。当然ネットもSNSも何もない時代に、アマバンのライヴ情報や紹介記事、インタビューが満載。有難い存在だとだった。
・FM福岡『ミッドナイト・ライヴ』。これはライヴを収録し放送していた番組。後に『ライヴ・エクスプロージョン』(土曜日の深夜というか日曜日の早朝午前3時から放送)に繋がる。また、この1979年には『スタジオ19』という、アマチュア・ミュージシャンもデモテープを録音出来るスタジオがオープンしたことも特筆に値する。石井聰亙監督の映画『狂い咲きサンダーロード』用のTHE MODSのレコーディングも行われている。
また、『ライヴ・エクスプロージョン』は公開イベントも数多く行われていたし、80'sや冨士映劇等でのライヴも収録されオンエアされていた。ともかく、貴重な音源を毎週エアチェックしてた。当時のテープはまだ沢山取ってある。こちらもいずれ紹介したい。
・8月、長浜公園横に80's FACTORYオープン
1980年前後、福岡市内で営業していた主なライヴ・ハウスは、80's FACTORY(長浜)、徒楽夢(今泉)、多夢(当初は友泉亭で後に大名へ移動)、DIG(西新)、ダーク・サイド・ムーン(須崎)、イヴェント・ハウス(赤坂)、ジャック&ベティ(片江)。天神や博多駅ではなく、ちょっと離れたところに点在しているのが分かる。
60年代の終わりと70年代の終わり〜つまり1969年と1979年〜は、新しいディケイドに向かうエポック・メイキングな出来事がこの街で生まれたようです。
(続く)