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明治ベーゴマ奇譚(ベーゴマ考106)

上方 (郷土玩具號)

江戸時代の「ばいまわし」の記録は数々あれど
明治から昭和にかけて
つまり「貝製」の独楽から
「鋳物」にかわっていく頃の様子を記述したものは
ほとんどない。

その記録として
貴重なのが1936年昭和11年1月1日に発行された
『上方 上方新年号 第61号』

…貴重なものをまた手に入れてしまった。

上方は大阪の戦前の郷土研究雑誌で
各号に、テーマが設けられ
そのテーマに沿って様々な人が寄稿している。

この61号の中に
明治期のばいまわしの思い出がでてくる。
pp.22-25 中堀夜詩道“『ばい』の話”

大阪松島天神

筆者は明治大阪生まれとして明治時代の子どもらしい遊びは日露戦争直後に確かにあり、特に「ばい」「ねんぎん(ねっき)」「べつた」「めんこ」は大人の模倣ではなく、確かに子どもの中に達人がいて、明確な文化と技術があった。とのべている。そして、明治に少年期を過した土地「大阪松島天神附近」における、「ばいまわし」の様子を記している。

このなかで、すでに、他の土地ではいろんなルールや呼び方が異なるし、東京地方では大分違うと記している。

読み解きながら
本文の内容を太字私の分析やつぶやきは→の後に書いていきたい。

▪️真鍮バイ(しんちゅうばい)

眞貝と呼んでゐるが多くは銅で造られ、最も高價なもので子供だけの勝負にはあまり使はれない、愛玩品にする。
→ほんまか!あれ銅なの??見極め方がむずかしい。削ってもらうか…とか井出先生のやとおもって好きなことを言ってみるw

▪️あまくさ

九州天草から大阪ざこばに着く「貝」の殻で造られ、下の種類がある。
→雑魚場‥‥安い小魚や貝類などを扱う市場

▪️「鯛ばい」「菊ばい」「海老ばい」

其他模様によつて名があり、各々特別の感じを有し、作者の特質が出てゐて、子供心にも何店の「菊」は強いとか「赤」は強いなど極め付けられたものである。
大五十銭、中二十銭、五十銭の分は子供が使はない、「中」は仲々強い。同じ大きさの色無地のものよりは段違ひに強い。

▪️「十せんばい」「五せんばい」

共に値段から名称が出来ている。
十銭貝は中型、五銭貝は小型。
以上の鯛、菊、海老、十せん、五せんのばいは總稱して「あまくさ」と云つてゐる、「あまくさ」は貝の外面が青味かつた色で艶なしのかさついた感じで、又貝が分厚いのとの中底に鉛が仕込んであるために同寸法の他貝より勝負に強い、そして並
のばいより少し小振りで廻すと貝の切口の白い色と際の色とが交り合って一種の品格と重みがあり、いかにもどっしりしている 

産地によって表面の色が違う可能性が出てきた。

「一銭ばい」中の大きさで最も使用される標準的
「ニ銭ばい」大の大きさで子供はあまり使はない。

以上「あまくさ」「一せん」「二せん」の各貝は貝殻の上部をすりへらして、中に蝋をつめたもので、中盤は、ねばりのある黒いものを用ひ、上盤は赤、青、銭の三種がある、赤は赤色、青は緑色、鐡は郡青紫の色で蝋特有の美くしい色をして
居り、菊等の模様は上蠣に色々な色蠟を使って象限式に描いたものである
→大阪で発掘されたものは、かなり上まで鉛が入っていた。上方で紹介されているものは中程からほぼ蝋ということかとおもいます。一番下に鉛を入れていることから、各職人によりこだわりをもって中の充填する素材をかえたり、表面を絵付けしたりしているということと思われる。

▪️からばい

「ばい」の中の蝋をあえて取り去って空にしたもので一種の特長がある、自分で造るので、蝋を取ると中心を失ふか廻りよいものが中々出來ない。
→東京側はからバイが主であり、そこからおちょこベーの形になったと言われるが、ここに記載がある「からばい」はもとの貝独楽から、自発的に方を取り去ったものとされている。自力で蝋を取るとバランスが崩れてうまく回らないため、良いものができないとおもうが、なぜあえて取り除くのかが不明である。考えられるのは、歴戦を戦う中で、充填してある蝋が欠けたことで、安定を求めて中を削り「からばい」を作るのではないかと考える。

▪️「ぶつばい」「どこばい」

ぶつばいは出來そこないのもので静かに廻らないもの。どこばいは、使い古して底がぬけたもの。
共に長く廻らないうえに変な勝ち方をするから恐れ、いやがられる。場合によっては適用しない。
→現代の鋳物の場合は基本壊れないけど、貝独楽のときは勝負でぶつかった時、トコ外ししたときに割れたりなどは多々あったとおもわれる。

▪️「赤ばい」

「あまくさ」と二銭ばいの中間に位するもので貝の外面が赤味を帯びてつるつるしてみて廻しにくい。
→産地によって「黒バイ」の色など外見や、殻の厚さ等はことなる気がする。

▪️貝バイの衰退

貝で作った美術的な貝ゴマも、鋳物製の「カネバイ」の出現でなくなっていった。
貝のバイを手に入れたいと松屋町にでかけたが
ほとんど完璧のものは残っていなかった。
元の職人にあったら、いつかまた流行した時のために一万個をお寺の本堂の下に隠してある。

赤は焼失地域。お寺は囲まれてたり木があったことで延焼をを逃れたかもしれない。全部の本堂の下見せてくれ

→この作者が寄稿のために昭和11年に製造元の娘さんに会いに行ったところが大阪市下寺町。その近所に住んでいた元の職人が寺の本堂の下に一万個を隠したという。当時の戦災地図をみると、同じ下寺町とすると半分くらいのお寺が焼失してないことがわかる。お寺の木々が火の手から守ったのかもしれない
もしかしたら今もどこかの本堂の下に貝独楽1万個があるのではないかというロマンすらかんじる。

▪️京都四条河原町の大競技会

京都、大阪、神戸の一流のばい屋が集まり大会を開いた。
→筆者が明治時代の玩具文化の華やかな一面と評している。このことをまた別でイラストをつけて書きたいといっているが、わかっている限り、そのような文献は残っていない。竹矢来で囲い、屋号の幟がたった大会風景を見てみたいものだ。
京都や神戸にも職人がいたことがわかる。

▪️かねばい

かねばいも、最初のものは良いもので、その後時間をおいて三種類良いものが出た。現在(昭和11年時点)で誰も持ってない
→この3種がどれを指しているかがわからない。
表面に貝独楽の名残である「J」型が残ったものではないか。

▪️ぼん(床)

ばいを廻し入れて勝負を与ふ座をいう
多くは当時使用された石油缶二個入の空箱でたいていの家に「ごもく箱」に使用されていたもの、その上に間中巾のゴザを箱の巾位に折り中央部を凹まして置く。ばい廻りの位置がよく落ちるようにゴザの凹部を水でぬらす。
ぼんを貸したものには御禮にばいを興へる。ゴザ以外に帆木綿を使ふ場合もある。
家庭で一寸やる時は座蒲団の兩側を少し折り凹地を造る。
→「ごもく」とは「ゴミ」のこと。つまり一斗缶が二つ入った木箱をゴミ箱として利用していたようだ。それにゴザを乗せて床にして使ったということだ。
ゴザとともに帆布をつかう場合や、座布団を使ったとある。ここでいう座布団は他の文献にある夏座布団でイグサを使った平べったいものであろう。

古い江戸期の文献は、たらいなどの丸いものにゴザを引いてつくっている。その形状から「ぼん」と呼ばれている可能性がある。

▪️巻き方・投げ方
(ベーゴマ考105に記載)

▪️「勝負の仕方」

ぼんの中に互ひに廻し入れて勝負をする。同格のばいを以て争ふ。即ち一銭ばいと一銭ばい、天草は天草と、新らしいものは新らしいものとする。又同格以外の勝負をする事もある。
→すなわち、今で言うと角六には角六で戦えということ。また、お互いの同意があれば異種格闘技戦で、柔よく剛を制すはアリアリ

普通には一人と一人と勝資をする、そして勝ち残ったものに次々とかかってゆく場合もある、この時あわてて、二人同時に廻し入れたときは二人とも負けとなってしまふ。

又、二人が入れて三人貝となった時そのま、勝負をする場合もある、この時は始めに「三人ばいあり」「四人ばい」「五人ばい」ありといつて定めておき、最後に残つた一人が勝となる。
→基本は一対一だが、複数名でやる時もあってその際は先にルールとして決めておく

▪️じゃらけ

勝、負け共にばいのやりとりをしない場合
→うそんこ。勝ってもバイを取らない


▪️本勝負

勝てば相手の負ばいを自分の所有にする場合
→ホンコ勝負のこと。勝ったら相手のバイは獲得する

「術語いろく」(言葉の説明)

▪️ひく

先にぼんに廻し入れる時「ひく」といふ、相手を先きに廻さす時「ひけ」と命する。普通には交互にひく定めである。
→これにちかい掛け声が「ツギトコ」と言う遊び方に残る。

▪️ま

相手が廻し入れてあるのにすぐ廻さず、間をおく事「ま」をみると云ってきらはれる。
→「あっごめんタイミングあわんかった」とかいうただのカッコ悪いやつ

▪️はり

両方ともぼんの外に出た場合をいう
→パッカンのこと

▪️じやう

いつも先きにし入れる事、大体先に廻すものは、一割方不利であるから一種のハンデキャップ方である。
→先入れ、以前高橋さんから、年長者が床の上で強さのバランスを取るため、先に入れて年少の子に対してハンデをつけて勝負をしたと言う話を聞いたことがある。

▪️ぶく

廻りやんだ時にばいがうつむきに伏せつた事をいぶ。
→ひっくり返った負け(金魚・おかまのこと)

▪️もう

静かに廻る事を「もう」がよいといひ、荒々しく廻る中を「もう」が悪いといふ。
→現代ではこれにあたる言葉はあるかな?
ええコマ、あかんコマとかはいうかもしれないし、「軸がたってる」とか「軸がブレてるとか」
また、まるで止まっているような独楽は「眠り独楽」といったりする。

一こつとび

ーとつとびは一番始めて打合った時にぼん外に出た時、二つ目の時は二こつとびといふ。
→床いれして、お互いがぶつかり合う一発目で吹っ飛ばされた時の呼び名と2回目で吹っ飛ばされた時の呼び名だとおもわれる。

じゃう、はり、一こつとびまんべん

これは主として格ちがいのばいを承知で勝負する時、たとへば相手が真鍮ばいでこちらが並のばいで勝負をするなど、相数では勝てないからハンデキャップしてもらふ事。
→すなわち、勝負を面白くするための年長者や巧みな子とのバランスを考え、様々なハンデの方法があったと言うことだ

すなわち「じゃう」はいつも先へ廻さす、
→常に強い人が先にまわしてねということ
「はり」は兩方が出た時とちらの勝
→パッカン(両方とも床から出た場合)は勝ち
「一こつとび「は勝買無し等の約束を云る。
→一発目の当たりで飛んだ場合は仕切り直し

「勝と資」

▪️ぼんより外へはじき出された方が負。
▪️「はり(パッカン)」の時は先入れの方が勝。

▪️ぼんを出て地に落ちる迄に手で受け止めたら其方が勝
→このルールはご当地ルールとかでも結構聞く。ゴザを使った床の場合、U字型に湾曲してるので飛び出す方向が一定になりやすい。なので常に床の飛び出し方向に手をおいて構えている人もいる。

▪️兩方が受けたら先入れの方が勝
→いまよりも同時入れより。順にいれる遊びも多かったのかもしれない。

▪️「ぶく」となったら負け→ひっくり返ったら負

▪️廻し入れる時「ぼん」に入らず地上に落ちたら負これはゆるされる場合もある。
本勝負となると大てい負として緊張味を加へる。
→床外しは負けとなるが、仕切り直しにする場合もある。これも同じ。ホンコの時は床外しは負けということだ。


▪️或る程度の打合があつても勝負のつかぬ時は引分けとする。
→これも現代もある。「とめるでーえぇか?」

まとめ

この他高等技術が澤山あるが限りがないのでこの位 にてこの稿を終る。
この文で投稿はおわっている。
明治生まれの長堀さんという投稿者は四条河原町の大会も絵付きで描きたいというていることから
この挿絵は本人が書いたものであろうし、
相当、バイ回しが好きだったことが文面からも伝わる。
ネッキやメンコ、そしてなによりも貝独楽の高等技術を聞きたかったし、床を囲みたかったと思う。この寄稿で書き残された風景は戦争によって多くの人も街並みも思い出も燃えてしまった。
そして、この「上方」のこの文が残ってなければ、ばいまわしの文化自体も、多くの背景を読み解くことはできなかった。

歴史を記録して残す価値を
改めて認識する。

昔遊びという言葉は好きではない。
人から人へ
口伝でつたわり
土地によってルールの変更や工夫が加わる。
ベーゴマは「伝承遊び」である
ベーゴマの文化が100年後も残りますように。

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