見出し画像

【書籍紹介: 西部戦線異状なし】

レマルクの「西部戦線異状なし」を紹介します。

「西部戦線異状なし」の著者はドイツ人のエーリヒ・マリア・レマルク(1898〜1970)です。
この作品は第一次世界大戦後の1929年に発表されました。ちなみに1929年は「世界恐慌」の起こった年です。そして、この本を原作とした同名の映画が1930年にアカデミー賞を受賞しています。激動の時代に世に出たのです。

この本は、第一次世界大戦で「西部戦線」での戦いに参加したドイツ人兵士とその戦友たちの愛と死を描いています。戦争経験のない僕らにはあの時代を学ぶことは困難です。しかし、本がそうした部分を僕らに教えてくれるのです。

「西部戦線」とは、第一次世界大戦における激戦地域であったベルギーからフランス北東部のことです。イギリス・フランスの連合軍とドイツ軍が激しい戦争を行った地域です。

この物語で、主人公たちは恐らく高校生か大学生くらいの年齢で戦争に参加しています。終戦間際の一節で、世代間の断絶に関するものがあります。紹介します。

「人はおそらく僕らのこの心持ちをわかってくれないであろう・・・僕らの前の時代の人たちは、同じく僕らと一緒に、この戦線で幾年かを過ごしているけれども、その人たちは寝床と職業を持っている。今はただ昔の位置に帰ってゆけばいいのである。その位置につけば、また戦争なんてものを忘れてしまうであろう。僕らの後には、また新しい時代の人たちがいる。それは昔の僕らと同じような人たちだ。それは僕らにとって全く何の関係もなく、僕らを傍へ押し除けて進む人々である。僕らは僕ら自身というものに対してすら、まるでよけいな人間になっている。僕らはこれからいよいよ成長するであろう。ある者はうまく順応してゆくであろう。あるものはたくみに身を処してゆくであろう。けれども多くの者は、まったく途方にくれるよりほかはない・・・そのあいだに年月は消えてゆき、僕らは結局滅びてしまう他はないのである。」

僕はこの本の最後の一節がとても好きです。紹介します。

「僕は立ち上がった。
 僕の心はすっかり落ち着いた。幾月、幾年と勝手に過ぎてゆくがいい。月も年も、この僕には、何も持ってきてはくれない。何物も持ってくることはできないのだ。僕はまったく孤独だ。何の期待も持ってない。僕はなんの恐れもなくこの月と年とに相向うことができる。僕の過ごしてきたこの幾年かの生活は、まだ僕の手と眼の中に生々しく残っている。僕がこの生活に打ち勝って来たのかどうか、それは僕にはわからない。けれどもこの生活が、僕の手と眼の中にあるかぎり、それ自身の行く道を求めるに相違あるまい。僕の心の中に、僕自身、とみずから言っているものが、同じ道を求めようと求めまいと、そんなことにはかまわずに。」

「西部戦線異状なし」を読むことの意義は下記の通りです。
①「戦争」という「不条理」の中で生きた人たちの経験を追体験できる。
②戦争で命を失うことの虚しさ、儚さが理解できる。
③戦争を経験した人たちの「喪失感」が理解できる。
④戦争が世代間の「断絶」を生むことが分かる。

よろしければサポートをお願いします。🐥より良い作品作りのための励みにさせていただきます❗️