若松英輔『生きる哲学』から考える「読む」と「書く」
「読む」と「書く」
批評家・若松英輔さんの『生きる哲学』。特に、「読む」と「書く」に関する終章の記載の数々から、自身が書き手・作り手になることの後押しを受けるように感じられた。
ここに記す言葉は、もしかしたら、将来の自分に宛てられた手紙となるかもしれない。「コトバとの出会いは、一回的な邂逅である」という記載のとおり、また別の瞬間に自分がこれらの文章を目にしたときにも、想起されるイメージは今とは異なるはずである。
本書内部で、カタカナ表記される「コトバ」とは、広義の意味での言葉を指す。すなわち、『言語の姿にとらわれない「言葉」』として、たとえばジェスチャーや音楽、また、哲学まで包含すると解釈している。
本書からの引用
本書からの印象的な文章を書き残す。
すなわち、「書く」とは文章を記すことに限らない、広い意味での創作活動。そして、「読む」とは作品を通して、作者と対話しつつ、自身の解釈を新たにそこに重ねること。
言語学者の井筒俊彦さんは、『意味の深みへ』の中で「読む」ことの今日的意義について、以下のように記しているという。
文中の「こういう人達」とは、ロラン・バルトやジャック・デリダといった、「読む」こと自体に哲学的な意味を見出したヨーロッパの現代思想家を指す。そして、一見ネガティブに捉えられる「誤読」を、創造的な営みとして肯定する。
その他、ゲーテの『色彩論』から派生する、色を重ねること・布を編むことの記載や、神谷美恵子さんから展開する「生きがい」への考察などが印象的。また別の機会に書き残したい。
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