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遅れてきたバス

わたしは毎朝通勤でバスを利用しています。
いつも決まった時間に乗って向かうのですが、
電車みたいに時間ぴったりに来ることは珍しく、大抵2〜3分ほど遅れてやってきます。
もうそれが平常運転として、バスだからしょうがないものとして認識していたのですが、昨日は10分強遅れてやってきました。

バスが近付くと案内板が点灯するのですが、待てど暮らせど点灯しないし、次発の時間に食い込んでいたのでわたしの後ろには長蛇の列が出来ていました。

何も予定が無く、自分自身で時間の調整が利く場合は遅れてきても何も気にならないのですが、タイムリミットがあることや出勤してからやっておきたいこと、何よりも自分以外の何かのせいでいつも通りじゃなくなるという事にイライラしていました。

何度も時計と前方のアップダウンを繰り返し、
全身にイライラを溜め込んでいると、やっと案内板が点灯し、バスの先端が前方の曲がり角から顔を出しました。

これだけ来ないともう永久に来ないんじゃないかと頭をよぎった不安が安心に変わり、これで間に合う!と気持ちを切り替えたのですが、バスに乗り込むと
「 ドアが閉まります、ドア付近のお客様はご注意下さい。」と爽やかな声で、それも遅れてないですよみたいな調子で運転手が言ったもんですから、乗れて落ち着いてきていたイライラがまた戻ってきました。

わたしは列の先頭に並んでいたので難なく乗り込む事が出来ましたが、後ろの方の人たちはぎゅうぎゅうの車内でどうにか隙間を探しそこに入り込んでいたり、乗れなかった人たちは次を待つといった様な状況でした。

入り口の扉ギリギリに人が立っていると扉が閉まらない仕組みになっているので何度も開閉を繰り返し、終いには扉付近に立っている人が奥に詰めて下さいと叫びました。
いやいや、運転手さんよ〜アンタが言えや
バス停に着くたびにその流れが繰り返され、
車内にイライラが伝播していくのを感じました。
もちろんわたしも例外ではなく、何度か正気か?と
運転手に言いに行く自分が顕現しましたが、グッと堪え、間に合うよ〜間に合うんだからと自分に言い聞かせました。

運転手はそれからもそのままの調子で、
わたしが降りる終点のバス停に着きました。
乗り込む時に奥に詰めたので必然的に降りるのが最後の方になったのですが、誰1人として何で遅れた事に対して何の説明もないんだとか意見する人がいなくて、さっきまで苛立っていた自分を恥じました。


わたしはいつも思うのですが、何も言わないからオッケーだろとされている事があまりにも多い。
信頼関係を自分の都合の良い様に使って、平然と待ち合わせに遅れて来るとか極端に返信が遅いとか、
他の人には頼みづらい事だったり、言えない事を力加減なく言ったり...。 
いい加減にされてる、なめられてるな〜と感じる事が多いんです。
わたしはそんな時もういいやと思ってその人たちと距離を置いたり、この人はこういう人だと割り切ったり、当たり前に誠実を尽くしてくれる人たちの存在をより大切に思っています。

これからもイライラだったり、なんだかなぁ〜と寂しさが生まれていくことでしょう。
だけど、その度に今まで強く持ち続けてきた大切を自分の周りにいるかけがえのない存在を信じていたいです。


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