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トイレでご飯を食べてもおねしょは治らない。

弟がいる。

今はアフリカで妻子と共に暮らしている。
一年中仕事で忙しくしていて、ごくたまに会うことがあっても、付き合いで呑んでいたりで、殆ど素面の状態じゃないので、今ではきちんと話をすることもなくなってしまった。

ただ、数か月前、ふいに妻と姪を連れて私の家に遊びにきて、数時間過ごして帰っていった。
久しぶりに素面の、昔の弟と再会した感じだった。
特別、何かに就いて話したわけではない。
多分、今現在、親と絶縁状態になっている私を心配して、様子を見に来てくれたのだと思う。
そういう子だったよな、とふいに思い出した。
基本的に優しい、いい子なのだ。
彼の妻である義理の妹のKちゃんも素晴らしい女性だ。
美しく、朗らかで裏表がない。
接していて、いやな気持になったことが本当に一度もない。
今の彼は私から見ると幸福で、立派な父で、夫だ。


だから、この記事はただの感傷だ。
私自身のエゴイスティックな回顧録だ。
今日の雨がそうさせるのかもしれない。
或いは、いつか書きたかったことなのかもしれない。
ほんの少し、昔のことを語りたくなったのです。

弟について


弟は、トルーマン・カポーティが亡くなった年に生まれ、彼が18になるまで一緒に暮らした。

幼い頃の彼はとにかく可愛くて、おねえちゃんおねえちゃんと何処にでもついてきた。
いっしょにお風呂に入り、タルカムパウダーをはたいてやったり、寝る前にレゴで遊んでやったりした。
私が自分の服を着せて、着せ替え人形にして遊んでもにこにこしていたっけ。
私と違って、愛想がよくて、親戚連中にも評判が良かった。
小学校に上がってからは、野球と冒険が何より大好きな、ごく普通のどこにでもいる活発な少年になった。
下水道を通って隣町の高校まで行ったり、雀やネズミの死骸を学習机にしまいこんで親にみつかり、大目玉を食らったりしてたことなんか今でもよく覚えている。

歳が4つ離れていたので、私が大学生の頃なんか、まだ中学生だった彼は背伸びして夜更かしして、よく深夜アニメやカウントダウンTVを一緒に観て笑い転げていた。
そういうのが楽しい時期だったのだろう。
スナック菓子とコーラと。
あの頃はいくら深夜に食べても2人とも全然太らなかった。
進学とか、夢とか。
そんなことを合間にぽつぽつ話していた。

特に彼に関して忘れられない出来事がいくつかある。

夜尿症と変なまじない

私たちが幼かった頃、実母は、何故か妙な占い?的なものにハマっていて、
霊能者を名乗る女性のもとによく連れていかれていた。
今では、どちらかというと無神論者で科学的根拠がなければ何事も信じない母が、なぜあんな胡散臭いものに縋っていたのか、今でも謎だ。
その霊能者は念仏めいたものを唱えながら突然白目を剥いて低い声で天啓を伝えだすんだけど、小さかった私たちには、ただただ恐怖でしかなかったし、今思うとカルトだよね完全に。
弟は5歳とか、それくらいだったと思うんだけど、その頃なかなか夜尿症が治らなくて、それでなくても弟の言語の発達の遅れや幼すぎる振る舞いを気にしていた母は、こともあろうに霊能者に弟を見せたってわけ。
で、なむなむ霊と交遊していたその先生、
「1週間、トイレのなかで御飯を食べさせれば治ります」
とのたまった。
…えええ!!!!!?

当時10歳にも満たなかった私でも、これはちょっとないやろ…という感じだったのだが、なんと、母、それを実行してしまった。

うちの実家は、その時代にしては近代的な造りだったとは思うけど、それでも今のトイレとは清潔感から照明の暗さまで、何もかも違う。
和式だったし。

思い出すだけで気分が悪くなるんだけど、めちゃくちゃ泣きながら、ごはんに塩で焼いた鰯を乗せて食べていた弟の気持ちを想うと、今でも私は堪らない気持ちになる。
結局、母方の祖母がすごく母を怒ってくれて、2日くらいでそのクソ儀式は終了したんだけど、もし、弟自身がそのことを忘れているとしても、私は忘れないし、弟の辛かった気持ちを抱えて生きていこうと思っている。
親に「ダメ」の烙印を押されることほど、辛いことはない。

結局、その妙なイニシエーション抜きに、成長するにつれ弟の夜尿症は治ったし、母もその会とはすっぱり手を切ったから良かったものの。
治りませんから。トイレでごはん食べてもおねしょは。

母は、その当時30代半ばくらい。彼女も未熟な人間だったし、未熟な人間が未熟な子育てをして、未熟な人間を生育していたんだな、と思うと切なくなります。
そんな環境で育ったにしては、彼は立派な人間になったし、彼の子育てが(殺人的に忙しい割には、すごく育児をしている方だと思う。これも我々の実父とは少し在り方が違って興味深い)私にはとても頼もしい感じがしている。
昔から、自分も子供なのに幼子が大好きな子だった。
彼に子が授かって、本当に良かったと思う。

鏡像段階?妖精は鏡をみる

もうひとつ、彼に関して忘れられない思い出がある。
あれは、彼がちょうど3歳くらいのときのことだ。
家族で行った夏の旅行で(なぜかそういう行事は欠かさない我が実家)弟の取った行動が、今でも私に衝撃を与えているのだ。
あれこそラカンのいう「鏡像段階」を≪体感≫した出来事だったのだと、今ではよく解る。
行ったのは長野県上田市にある美ヶ原高原美術館だった。
記憶違いなら恐縮だが、確か、あれは野外彫刻のうちのひとつ、
榎本康三氏による「曲面における位相空間」だったとおもう。
巨大なステンレスの鏡が左右に分かれて小道を形成しており、
外側は風景の歪像を映し出し、中に入ると体験者の意外な姿が映し出される仕組みだ。
弟は、他の彫刻には目もくれず、その作品に夢中になった。
己の鏡像に、まさに「酔いしれている」といった感があった。
『まんまるちゃん、こんにちは』
『ねえ、まんまるちゃん、あそびましょ?』
『まんまるちゃん…まんまるちゃん…』
そのころの弟は少し肥満気味で、ぷっくりしてはいたが、
故意に曲げられた鏡の内側の弟は、ほんとうに風船のようにまんまるで、
異世界の風変わりな妖精のようだった。
だから、彼の歓喜が、本当に自己と鏡像の同一視による身体的統一感だったのかどうかはわからない。
しかし、直感でしかないが、弟は確かにそこに「自分の意外な姿」をみていたのではないかと思うのだ。
あの、湧き上がるような歓喜の泉。
抑えようとしても抑えきれない「自分」と「世界」の平和で美しい分離が、弟の身には起こったのだなと。
逆に、私は、はっきり覚えているのだが、鏡を意識しはじめた段階で、いつも自分とは違う【他人】がうつっている感覚がずっと消えなかった。
感覚というか、写っている者が、私の主観では完全に「別人」だった。
まあ、その辺はややこしいし、この記事に関係がないので、割愛してべつの機会に譲るけれども、私の精神疾患は案外、こういうところの認識の異常さからきているのかもしれないと、少し疑っているところだ。

終わりに

話を戻すが、今では、もうおじさんな弟のことを想う時、私の中では
トイレで御飯を食べさせられて泣いていた弟と、鏡を見て歓喜していた弟が
交互に現れるのだ。

そのことを想うと、やっぱり少し切ない。
現実に流れる時間は不可逆だということ、今の彼は、もう私の弟である側面よりも、社会的立場のある一人の男性である側面の方が強いのだという事。
どうか、いつまでも家族で楽しく幸せに生きていって欲しいと思う。

それでも、こういう雨の日は、家族について、そのダメな部分も美しかった色々も、こっそり思い出すことを許して欲しいと思うのだ。


ささ

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なおむ
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