平凡を愛せない僕へ。20代に得られなかった“僕だけの何か”
ちょっと暗い内容です。
6/23中田裕二さんのTOUR Sanctuary横浜公演。
※別途レポ更新予定です。
2時間のライブの中で数多あった歌詞の中で、「ONLY I KNOW」のこの歌詞がとてつもなく“刺さった”。
誰に愛されたいの?
好きに選べないのに
誰に愛されたいの、それは僕には「何で愛されたいの?」そう言われている気がした。
僕は、
絵を描くことが好き
文章を書く事が好き
タップダンスが好き
写真とカメラが好き
ぬいぐるみの服作りが好き。
文章も、
詩を書くこと
レポや考えていることを書くこと
ショートストーリーを書くこと
舞台の脚本を書くことが好き。
20代目いっぱいまで、それらの全部に手を出した。
脚本を上演してもらったことも、
アートイベントに出展したことも、
同人誌の即売会に出たこともあった。
その全部が中途半端で。
ひとつひとつはやりきった。
本を完成させる、イベントに出る、とか。
でもそれ以上でも以下でもなくて。
気付けば、20代は終わってしまった。
どれか一つをもっと力を入れてやっていたら、もっと違った今だったんだろうな。
オールマイティー
そう言ってもらえるほどひとつひとつが粒の立ったものでもない。
10代、性別に対して違和があって、他人との違いを強く感じるから地元にも居たくなくて。
東京に出て生き難さをどうにかしたくて、それなりに努力はしてきたと思う。
時間をかけてカムアウトする人を増やして、理解してもらってきた。
幼馴染、地元から出てきた友人、大学での友人、バイト先の同僚、会社の同期、上司、嫁さんの親族、僕の両親。
オープンで居られる場所を足がけ10年以上掛かって増やしてきた。
好きなことで表現することは、こういう生き難い自分を生きやすくする手伝いをしてくれていた。
だから後悔はしていないはずなのに。
なんて平凡なやつだろうと思う。
嫁さんは僕に、
「何かを表現しなくなっても、あなたの価値は変わらない」
と言ってくれた。
それで十分なんだと思う。
それで十分でなければと思う。
いつだって、何者かになりたいのは誰よりも僕自身なんだ。
「これだけは負けない」と言えるものが欲しかった。
色んなことに手を出した僕には、それがない。
何も突出したものは持っていない。
なんて平凡なんだろう。
だから、「それ」を持っているアーティストや作家にはとても惹かれる。
羨望する。
心から
「お前はここに来れない」
って思い知らせてほしい。
諦めたいのかもしれない。
でもきっとどこまで行っても諦められないんだと思う。
平凡な自分を愛せたら、どんなに楽だろうか。
「生きている殆どの人が、そんなもの持ってない」
そう言われればそうなんだろう。
でも、僕は欲しかった。
10代では「他人と違うこと」に悩んだ。
なのに30代に突入した、今。
平凡であることに悩んでいる。
皮肉だね。僕は何がしたかったんだろう。
「自分だけの何か」を持っている人は才能だけじゃなくて、それまでのその人の努力やその人に関わった周りの人だったり、色んなことのおかげで在るものだって、頭だけじゃなくてちゃんと分かるくらいには大人になったよ。
だから妬みとかじゃなくて、
「持ってない」自分にただただ、
「お前は何やってたんだよ」って思ってしまう。
「僕だけの何か」で、誰かに愛されてみたかった。
恋愛とかじゃなくて。
そっちは、嫁さんが居てくれるだけで満足どころの話じゃない位満足出来てるから。
愛されたかったんだ。
誰に愛されたいの?
誰だろう。
わからない。
書いたら少し落ち着きました。
また少し、書くことで救われる。
この記事はその内消すかもしれないし、戒めに残すかもしれない。
それだけの話。