雨空に合う、中田裕二「DOUBLE STANDARD」に想うこと。(全曲感想)
2020年4月15日、中田裕二の最新アルバム「DOUBLE STANDARD」が発売されました。
前作「Sanctuary」からおよそ1年。待望のアルバムです。
先に言ってしまうと今作、雨空によく似合います。
梅雨入りもしたところですし、オススメとして感想を書いていきますので、良かったら読んで、そしてアルバムも聴いてみてください。
今回の感想は、「Sanctuary」発売時にもやった全曲感想を書いていきたいと思いますので、良かったらこちらも。
前回の感想はこちら。
前回は発売されて割とすぐに、初見のファーストインプレッションを大切に感想を書いてきました。
今回発売から少し時間が経ってしまった理由は、アルバムがストッと腹落ちしたな、と思うタイミングで書きたいと思ったからです。
今回は腹落ちした瞬間やそのシチュエーションのこと、
全曲に対する感想、
その二つを踏まえての締め。
この3部構成でお話ししたいと思います。
ではまず腹落ちしたな、と思った瞬間をまず話して行きましょう。
小雨の中の緑と、「DOUBLE STANDARD」のマリアージュ
ある日小雨の中、公園を歩いていると目に映る情景とアルバムの楽曲が絶妙に合うことにふと気付きました。
先に言ってしまうと、僕はこの「DOUBLE STANDARD」、1枚通して異なる二つの感情を葛藤だったりその先にある喪失感だったりが描かれていると思っていて。
この時の雨によって水分を含んだ空気や、雨粒を湛えた新緑の深い緑が、人間的な湧きたつ感情を包んでその人ごと抱きかかえているように感じてしまいました。
見上げた空は堪えきれない涙を目に溜めたようで、厚い雲はあふれ出した雫を降らせて。
空気までもたっぷりと水分を含んで、歩くにはそれをかき分ける必要があって。
緑は濃く、悲しみを包んで隠すように佇む。
彷徨うように移ろって。
水面に広がる波紋は、頬を伝う涙のあと。
それでも、ああ、悲しみを抱く貴女は美しい。
(急にポエムスイッチ入りましたすいません)
楽曲の主人公たちの悲しみや苦悩に寄り添うような歌声とメッセージ、深い緑、雨の気配がMVのように映像としてしみ込んでくるのが分かりました。
あ、このアルバムは中田さんが色々な立場での相反する心の葛藤やすれ違いによる、憤りや悲しみ、諦めにも似た喪失感に寄り添ってくれるものなんだなと。
まるで悲しみを隠す雨のようなアルバムだなと、腹落ちしたのです。
「DOUBLE STANDARD」全曲感想
今回も妄想満載でお送りいたします。相変わらずとても映像的な楽曲たちだったので、想像したシーンや登場する主人公について感じたことが話題の主になります。誰得でもない俺得です。(俺得って死語だなきっと)
ではまいりましょう。
1. DOUBLE STANDARD
重めのサウンド。静かだけれど、低音が効いていて力強い印象。しかし物事とか人や物を憂うような視線が凄く中田裕二!と思わずにはいられない導入曲です。
歌声の視線のなんと憂いを含んでいることか。
それ以上求めたら 痛みを伴うだろう
見る世界も 知る世界も 違う生き物
だけど離れられない 君にしか語れない
その言葉が 時に僕を打つのさ
手を伸ばせば傷つくことも、多くを求めれば予想や期待が外れることもわかっているのに、人はなぜ手を伸ばし続けるのだろう。
どうして人はいつだって思いあがって、欲張る生き物なんだろう。
前作「Sanctuary」の導入は諦めの色の濃い憂いだったけれど、今回はもっと自分の足をしっかり地面につけている人の憂い。
自分以外の人に語り掛けているようで、自分への戒めとしての語りのようにも感じた。
こと、他者に対しては「もっと優しく在ればいいのに」と言いたそうにしているというか。
「君」にしか語れない秘密は本当は他の誰かにも語りたい、明かしたい秘密なのかもしれない。
君以外にも話せたらいいのに、なんて。
そんな思いがふつふつと沸いているのを押し殺しているから、アップテンポではけしてないのに静かに迫りくる激情を感じるんだろうか。
「求めたい」「求めてはいけない」
全く相反する感情がここで彼が描きたいDOUBLE STANDARDなのだろうか。
2. 海猫
不甲斐ない夜に 背中を預けて
ため息を燻ぶらせていたのさ
この二行の情景、天才。
気だるくて妖艶。
The中田裕二な1曲。
この曲は先行してMVもYouTubeで公開されていたから、発売前から既に聴いている曲で。
不甲斐ない夜に 背中を預けて
ため息を燻らせていたのさ
天才。(2回目)
イントロから歌いだしの清々しい喪失感。描写も相変わらず静寂のドラマを秘めていて美しい。哀愁たっぷりだ。
嫌いになれない 憎たらしいのに
あれほどこじれて ヤケになっても
想いは自ら 操れないのさ
それなら全てを明け渡して
海猫でのDOUBLE STANDARDは、このあたりかな。
嫌いになりたい、嫌いになれない。二つの感情を行ったり来たりし尽くした先に、この曲があるように思う。
主人公はこの自問自答を繰り返しただろう。
羽ばたいていく海猫のように自由に、この重苦しい気持ちを手放して身軽に飛んでいくことを夢想しながら港町をひとり、歩く。
その重苦しい気持ちを抱きながら、向き合うことでほんのりと希望も湧いてくる。愛情は裏返しなのだ。おそらく嫌いになれない相手が少なからず愛しくて、煩わしくも愛しさを捨てきれなくて。引かれた後ろ髪に身を委ねて、またその人を愛してしまうんだろう。
主人公は男性とも女性とも、それ以外ともとれる。
嫌いになりたいのに嫌いになれない、最愛の人への想いは誰もが抱く。その想いにそっと、寄り添う曲だと思った。
3. どうどうめぐり
2曲目までの雰囲気をガラッと変えて。
掴みどころのない、フラッと気まぐれに現れてはその魅力を無邪気に振りまいてしまう。そんな一面を思い浮かべてしまった。ニクい男ですよ。中田裕二と言う男は。(好き)
この曲の主人公も飄々とした印象で。まるで此方を煽って試すような。
勝手に分析してプロファイリングしたところで、きっと主人公の真意にはたどり着けなくて。たどり着けないことも、きっとお見通しなのでしょう。
そんなに辛いならば そんなの不安おさらば
未開の世界に向かって 身体ごと歩かせ
新しい価値を抱いて
ばらまいて
価値観を服やコートに見立てて、「古い価値観を脱ぎ捨てる」なんて言うことがあるけれど、直接的に「古い価値観を脱ぎ捨てなよ」なんて言わずに示唆している気がした。いや、価値観でなくても。固定観念とか錆びついたプライドのことでもあるようにも思うけど。
此方のプライドも保身も剥いで、新しい場所へと誘っているような。
ここでのDOUBLE STANDARDを抱いているのは聞き手側。煽って誘おうとする主人公の伸ばす手に、手を乗せて誘いに乗ってしまいたい。しかし今持っている価値観や固定観念、プライドに二の足を踏んでいる。言葉にするなら、好奇心と保身、かな。
これは恋愛だけではないと思う。
結局知れば知るほど、炎が上がるような勢いで心では手を伸ばしたくなるし。
二の足を踏んでいる心のままでは単なる確認作業で、誘いに本当の意味では乗れていない。それを哀れと言うのなら、きっと誘いに乗るしか答えなんて、初めからなかったのだろう。
4. 蜃気楼
儚い。儚い。めちゃくちゃ儚い。中田裕二って儚いんですよね。可憐というか。
アラフォー男性に向けた言葉ではないと思うんですが、可憐。儚いんですよね。(急に喪失する語彙力)
一曲通して、情景の描写がやけに繊細で映像的な歌詞なんですよね。
この曲で映画一本撮れるでしょうきっと。
主人公は女性かな。美しい情景を巡っていって、手を引く愛しい人と共に行けば今いた場所には帰れなくなる。今いる場所にも大切な人はいて。それでも手を引く人と共に居たい気持ちが止まらない。その人との未来を求めてしまう。そんな様子をちらりと見せて。
それからまた美しい情景にカメラワークを移して。けれど最初の情景よりは確実にざわめきを孕んでいて。
愛せば誰もが
我を忘れるだろう
どうしたらあなたと
ひとつになれるのか
思い巡らせた
なんて、ズルい。最後にこんな告白するように吐露するなんて。
一番好きな曲かもしれない。
ここでのDOUBLE STANDARDは…大切な人たちを裏切って(残して)ここから逃避行してしまってもいいの?と思っていることだろうか。
だってどうしたいか、此方にはバレバレで。
心が決まっているのに相談をしているようなものなんだもの。
背中を押してほしいから、聞いているのでしょう?
5. グラビティ
はいイントロカッコいいー!!!
耳触りが心地良い。タイプ違いの少し引力の強い楽曲がここまで続くので、適度な軽さのこの曲が挟まるのはいい。すごくいい流れなんです。天才。
これも主人公女性っぽいな。ん、そうでもないか。物腰柔らかそうな男性でもいいな。
なんてかわいい歌詞なんだろう。
主人公が思いを寄せる人への「好き」がダダ漏れ。
しかもなんの後ろめたさのない恋心。中田裕二、こういう楽曲も良きですね。天才。
気を許しちゃいけない
笑顔見せちゃいけない
待ち受ける落とし穴
ここら辺でひとまず
あなたのそばから 離れなきゃ
なんて、好きすぎて戸惑ってるようにしか見えないよ!その後の歌詞にもあるけれど「どれだけ惹かれてるの」!
人の惚気を聴くのが大好きマンなので、ちょっとにやりとしてしまう1曲でした。
目の前で恋バナ聞いてるような気になった。
曲の軽さというか、ふわっと口当たりの優しさがその恋心をさらに愛しい空間にしてくれている。
自然と体を揺らしたくなる。早くライブで聴きたい。最後のサビのところのドラムが目立つところ、好きです(唐突に)
これ以上好きになったら困る!なんて言いながらもう既に好きになりまくってる。そんなDOUBLE STANDARD。
6. UPDATER
超かっこいいです。ハードボイルドな印象。めちゃくちゃ中田裕二(カムバック語彙力)
めちゃくちゃカッコいいのに、Windowsとかのサポート終了を思わせる歌詞にちょっとくすっとする。なんとなくそのバランス感が中田作品の中では珍しい気がした。もちろんそれが例えであることはわかってるんだけど。
新旧がDOUBLE STANDARDかな。新しいものは素晴らしいけど、絶対にこの主人公はそれらへの切り替えがめんどくさいとか思ってそうだし、
僕らすっかり過去なんだね
未来なんて何もないだろう
のくだりなんて、切り替えが上手くいかなくて匙を投げかけているようにも感じる。
「前の方がいいじゃん」って絶対に思ってそう。
低音がカッコいいです。漢って感じ。すごく男性的な曲。ライブでのリズム隊が楽しみ。
7. 火影
またしっとりにハンドルを切ってきた。アルバムの最後へ向かっていくことを予感させる1曲。
まるで夜更けに月明かりの中、一人で冷たいシーツを手繰り寄せるような曲。
アルバム前半戦で恋や愛を追いかけている最中や、追いかけたいけれどどうしよう、という主人公を歌ったけれどこの曲はその先にある様に思います。
愛を追うという夢の叶った先にある現実、虚無感。楽曲終盤に差し掛かる頃には鳥肌が立った。
なんて静かな中に愛と悲しみを一遍に歌い上げてしまう人なんだろう。
中田裕二の楽曲は妖艶さや儚さ、気だるさがあると前も書いたと思う。けれど同時に、静かな曲調の中に激しく強い激情を閉じ込めてしまえるところも特徴の一つ。
奇麗なものたち
いずれは去りゆく
それならわかってる
とても分かり過ぎるからこそ
大切にしてきた愛情も砂のように形を失って、指の間から零れ落ちていく。それを止めることが出来ないことはわかりきっていて。それでも必死に掬い上げることしか、主人公にも我々にもできない。
それがDOUBLE STANDARDであると、わかっていても本能的に愛を求めてしまう。
8. 愛の前で消えろ
タイトルからして中田裕二、中田裕二でございます。曲名からして楽しみでした。ありがとうございます。
イントロもちょっと懐かしいハードボイルドさがあってすごく中田裕二。
サビではひたすらに愛を叫ぶのに、どうしてこんなに諦めてるような印象なんだろう。
差し出された手は愛にみえるけど、もしかしら愛じゃないのかもしれない。
本当の愛の前で消えろ(だから今のこれは愛じゃない)
ということなのかな。
本当の愛と否定される見せかけの愛というDOUBLE STANDARD。
基本は誰もが受け身でしょ
差し出された手を引いて
手を差し伸べる側からしたら、あまりに受け身な相手から感じるものは、愛とは感じ難いのかもなぁ。なんて。
だって、手を差し伸べられるのを待ってたなら、もしかしたら自分以外でも良かったのかもなんて思ってしまうから。
自分は与えられている愛にちゃんと返せているだろうか、と思わされた。
だってきっと、手を差し出されるのを待ってる人より、手を掴みにくる人のほうが差し伸べる側は愛を感じられるもの。
9. 長い会話
深い色味の木目、ツルッとした丸いカフェテーブルに向き合う主人公と恋人。違うかもしれないけれど親しい人の会話劇で、主人公のモノローグで構成された様な世界観。
ゴシップに花を咲かせる「君」はかつてはそうではなかったのかもしれない。
いつからか“そういう話をする人”なってしまった、もしくは親しくなるとそういう話をするようになるタイプなのか。
そうじゃない わからず屋
君はまた 違うこと
打ち返して明後日の彼方へ飛んでいく
「君」は少し気難しくて、反論しようとすると主人公の傷つくポイントを付いて言葉を放つ。「君」の為を思って言った言葉はどれも真っ直ぐには受け止めてもらえず、それどころか意図しない言葉で打ち返してくる。
それが刺さってもなお、なんとか「君」にわからせたくて。
また「君」に笑ってほしいから。今はただ、綻びが出てしまっているだけだから。
きっと僕が主人公の友人だったら、「やめときなよそんな人」なんてありがちなアドバイスをするだろう。
でもきっと、主人公にとってはそれでもまだ大切な人なんだろう。
この曲でのDOUBLE STANDARDは「わかってほしい」「どうせわかってくれない」だろうか。
10. 輪郭のないもの
昨年のロマン街道の川越で聴いた、当時の未発表の新曲でした。
ストレートに聴くと、恋人なんてラベリングが合っているかはわからないけれど…曖昧だけれどその二人の中ではとても大切で想い合う者同士の曲。
ラベリングできない理由にクローズアップすると色々な「ふたり」に重なるように思います。
僕は最近読んだ「わるいあね」の主人公とその弟が過りました。
もしくは、何かを「つくる」人の歌。
本来のベースにある自分と、「作り手」としての自分。人の目に触れる「自分」とその奥にいる「自分」。どちらを「表層」として考えるかはその人次第かもしれませんが、片方は物質としての輪郭はない。しかし確かに存在していて。つくってもつくっても満たさない想い。でも満たされるとかそうじゃないとかってことではなく、自分とつくり手としての自分のあるがままに。
…というのは深読みしすぎですね。これに関しては引用すると歌詞の全文になってしまいそうなくらいなのでリンク先の歌詞参照で。
ここでのDOUBLE STANDARDは、どんな形であれ「あなた」と「私」。
この曲を最後に持ってくる、というのは曲調としてしっくりくる。だけれど、それ以上の何かを感じてしまう。
これまでのDOUBLE STANDARDが、「誰か(何か)」と「自分」や「自分の心」的な外部と自己の色が濃いように感じたので、最後が完全に自己の中で完結する、自己に集約されていくという構成だとしたらと考えるのもいいなと思った。
悲しみに寄り添う中田裕二の音楽
「Nobody Knows」「Sanctuary」の2作がとても開けたイメージだったのにまたcloseな印象のアルバムだなぁと思った。しかしそれはある種、前2作という旅から帰ってきたようでもあって。
以前の記事にも書いたように思いますが、中田さんの音楽は落ち込んでいる時に聴くと、“落ち込んでいる自分”をそのまま肯定してくれる気がして好きです。
元気づける音楽っていろんな種類があると思うんです。
「そんなこともあるさ!」と友人のように声をかけたり「落ち込んでる暇なんかねぇだろ」と奮い立たせたり。「君の辛さわかるよ」って一緒に泣いてくれる音楽もありますよね。
でも中田さんの音楽って、「落ち込んでていいよ」ってただ黙って隣にいてくれるようなタイプの音楽なんですよね。
落ち込んでる自分も、ちょっとドラマチックにしてくれるというか。
「あぁ、自分は無理に今立ち上がらなくていいんだ」と思える安堵感がある。
だからこのアルバムが沸き立ってどうしようもない、交差する感情に寄り添ってくれる、しかも雨のようにただ包み込んで。というのはとても自然なんだと思います。
開けた世界観でも、今作のような世界観でも寄り添ってくれる音楽のスタンスは変わっていないように感じました。
雨が似合う、とこのアルバムを称したのも。
一言に雨と言ってもしとしとと降る悲しみの色をした雨、温かくてやわらかな優しい雨、世界から遮断するような垂直の檻のような厳しい雨、声も両腕も振り回して強く訴えるような激しい雨と色々あるとおもうのですが、ひとつ共通していることは。
ただ傍に在るということで。
色んな色をしながら傍に寄り添ってくれる。泣き止むのを待ってくれているような、そういう種類の優しさを感じた。
派手でないかもしれないし、直近の2枚のアルバムとも印象が違うと思う。でも根本では変わらないし、
やっぱり中田裕二は儚くて強くて可憐で。
ライブが感染症の影響で延期になっても(僕個人は参加できない日程になってしまったので中止ですが)、こうして今日も今日とて推さずにはいられない男です。
年末のライブは行けるかなぁ~
ご興味持たれましたら視聴でもサブスクでもご購入でも。
ぜひこの雨の季節にこのアルバムを添えてみていただきたいです。
試聴はこちらから。
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「スキ」はnote未登録の方も押せます。
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