図書館訪問録No.3 福島県富岡町図書館 2020年3月7日
打ちっぱなしのコンクリート×ガラスカーテン×木目調×LED間接照明。
ここ数年のトレンドというか、教科書どおりのモダン演出で迎えてくれた富岡町図書館。この図書館を含む複合文化施設「学びの森」は、電源立地地域の長期発展対策交付金で建設されているようだ。この交付金は、原子力発電関連施設の立地市町村に交付されるもの。いわば原発立地に対する心なしの対価だ。
綺麗な外観/内観からは想像もつかないが、オープンはH16年とのこと。築15年とは思えない美しさを保っている。
東日本大震災のあった3月11日を前に、この双葉郡の図書館で震災関係の本を読まないわけにはいかないだろう。ここ富岡町は、震災の際には高さ21mの津波に襲われ、また目下の福島第一原発の事故による放射能汚染に苦しめられてきた町だ。
ところで、私は福島県福島市に在住で、東日本大震災も高校3年生として福島市で経験した。自宅周辺はライフラインが止まったり、食材がスーパーから消えたりしたが、ブロック塀が一部崩れていたことを除いては、地震の直接的ダメージはほとんどなかった。
なかっただけに、「福島県人」の看板を背負っていながら震災のことは正直なところ画面の奥の世界だった。
だから今日は手始めに、震災のイメージをつかむべく、震災の写真集を手に取った。
石川梵『THE DAYS AFTER 東日本大震災の記憶』飛鳥新社、2011年。
本の見開きいっぱいを使ったワイドな写真たちが、震災後の絶望感と、それに無関心かのような空や海の静けさが1ページ1ページから目に飛び込んでくる。止まった被写体を止まった写真で写しているのに、津波の勢いが伝わってくるような写真がたくさんあった。
津波被害の大きかった岩手、宮城の沿岸の写真のダイナミズムや絶望感と対照的に、福島県の南相馬を写した写真には、一見インパクトは感じない。
この地域は、津波はもちろんだが、その後の原発事故の甚大な被害を被っている。その恐怖は、写真を一瞥しただけでは到底理解できない。だがその「察知のできない恐怖」こそが原発事故、放射能の恐ろしさなのだと改めてわかった。
少しだけ話を逸らすと、新型コロナウィルスの怖さも、「怖さを察知できないこと」にある気がする。
震災からもうすぐ9年。福島県民のぼくでさえ「震災」は過ぎたことだという心理を抱えていたのだと思う。甘い。
震災や原発事故の記憶を風化させてはいけない、させないことが福島に住む「書き手」としての使命だと肝に銘じる。だいぶ、おこがましいけど。
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