ぼくが見たサンクトペテルブルク 第5章 『罪と罰』を歩く
朝4時、オレンジをくすませたような、見たことのない色の空に驚き、カメラと三脚を持って部屋を飛び出した。それはロシアの朝焼けだと思った。
答えはネフスキー通りを一色に染める白熱灯だった。やられた。
せっかく起きたものだから、まだ暗い朝方の街を歩き、ネヴァ川沿いまで行ってみよう。
誰もいないネフスキー大通りを通り、ネヴァ川にたどり着いた。
ネヴァ川のほとりには、凍った大河に沿ってライトアップされた歴史的建造物が立ち並んでいる。ネヴァ川は中国語で書くと「涅瓦河」。涅槃の涅は「黒く染める」、瓦はタイルを意味するらしいが、凍った大河は数々の照明を反射して、白いタイル敷きの道のようだ。
充実した朝活だ。人がいないから気兼ねなく三脚撮影ができる。
生来の内股が雪に刻む足跡が、まるで踊っているようにも見えた。
ネヴァ川の叙情的な風景には人を歩かせる力がある。1人旅でしか成就できない衝動性に身を任せ、約2km先のエルミタージュ美術館まで夜景を撮りにいくことにした。
右側、対岸のペトロパブロフスク要塞を様々な角度から撮影しながら歩いて行くと、時間も距離も忘れ、あっという間に美術館に到着した。
エルミタージュ美術館前にはペテルブルクを象徴する淡いエメラルドグリーンの本館と、半円形で淡い黄色の新館に囲まれた広大な広場がある。宮殿広場と呼ばれている。その中央には対ナポレオン勝利を記念するアレクサンドルの円柱が誇らしげにそびえ立つ。建物の色合いは、淡いにも関わらずその存在感を示しつつ、一方で暗い空に伸びていく円柱の神聖さを引き立てた。
東京ドームいくつ分かわからない広さと東京ドームで広さを表すことが憚られるほどの威厳に満ちたこの広場に圧倒されつつ、それを今ほとんど独占できている優越感に浸った。
時刻は朝7時にもなっていた。空はまだ夜のままだ。
朝が朝らしくなったのは10時前。二度寝から身を起こして今日のメインとなる『罪と罰』聖地巡礼へと向かう。
物語の鍵を握る場所にして、他の巡礼スポットへの起点となるのがセンナヤ広場。この広場にたどり着いた時、つい数時間前に歩いた世界と、自分が今立っている世界の差に絶句した。
他所者の僕には、宮殿広場も、センナヤ広場も、同じ広場としてクラスメイトのようなものだと思っていた。しかしわずか数km離れたこの場には、およそ威厳などという言葉はその影すら見当たらない。
ペテルブルクの数々の名所が観光客のためのそれであるならば、この広場の周囲にある空間は生活者にとってのそれだ。日本では歌舞伎町界隈でよく走っている「バニラトラック」にあたる車両が真っ先に視界に入った。「バーニラバニラで高収入」でおなじみのアレ。広場に停まっているトラックは、コンテナにエナメルのカバーをかけただけの質素なものであったが。
今まで背負っていたバッグを体の前に持ってきた。当然、警戒してのことだ。Ms.alexの車でシートベルトをつけた時と同じ防衛感覚。
警戒しているのはぼくだけではないのだろう。カメラを構える僕を、ぼくが想像していたロシア人らしい凛々しく鋭い目で牽制しているように見える。
壁の代わりに電灯を背にし、タブレットを見る。目的の、主人公ラスコーリニコフの家を確認した。
地図に沿って小道へ入り、再び絶句した。あるいは旋律した。暗い冬のペテルブルクでも、この一画は飛び抜けて「沈んで」いた。明け方の絢爛たる夜景で肺を満たした感激が、呼吸するたびに鼻を抜け、冬なのに立ち込める異様な臭気に乱暴に呑まれていった。
ドストエフスキーが、『罪と罰』の季節設定を7月にしたのは実に巧妙だと思う。ラスコーリニコフの周囲の陰惨な空気を演出するには、暗い空から振り注ぐ漠然とした不安感ではなく、この通りの地面から滲み立ち込める、より具体的で不衛生なオーラが適当に思われた。それはきっと、美しい白夜とも華麗に相対化される。
いかがわしい店が立ち並び、歩道には白墨で四角くレタリングされた数々の文字列。この白墨は、風俗嬢の連絡先なのだそうだ。交差点に必ずといっていい頻度で塗られている。
一眼カメラをバッグに厳重にしまった。この空間で、芸術的な写真を撮るほどの腕と度胸など持ち合わせていなかった。ただの記録用の写真として、携帯電話で足下の白墨と、黒ずんだアパートを収めていく。
いったい、この街に神などいるのだろうか。昨日カザン聖堂で味わった高揚や、ロシア人の精神性についての浅薄な考察は瞬時に否定された。この一画では、雪さえも茶色く、路上の白墨と融雪剤だけが浮き上がって見えた。
期待通りに『罪と罰』の世界に入り込むことができたぼくは、禁止されているはずの路上飲酒の残骸と横たわる吐瀉物の横で、おもむろに観光地図を開く。
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