ぼくが見たサンクトペテルブルク 第8章 凍った川を渡る

サンクトペテルブルクの歴史はパブロフスク要塞から始まった。今日はここから。

サンクトペテルブルクはピョートル1世がヨーロッパ進出を夢見て泥沼の上に作った人工都市。その開拓は困難を極めた。
繰り返す洪水とフィンランド軍の脅威、数多の犠牲の上にこの街は成立している。
また、パブロフスク"要塞"とはいうものの、監獄としての顔を持った時代があり、ドストエフスキーも、思想犯としてここに囚われた。観光客としては一粒で二度美味しい。

岩だらけの平原と大河を眺めて、現在のような街並みを作る決心をしたピョートル大帝の慧眼と決断力はすさまじい。今のぼくに必要な力だ。
そしてその無茶振りに命がけで応え、実現させてきた人々のタフネスも。彼らのタフネスが、DNAとしてか、神話としてか、今日までのロシア人の"おそロシアの精神"に繋がっているのかもしれない。

大帝がそうしたように、要塞からネヴァ川を眺め、験担ぎ。凍ったネヴァ川は巨大な鏡となり、ぼくの全身に光を浴びせた。

要塞から橋を渡って帰ってくると、そこにはピョートル大帝の銅像、「青銅の騎士」が待っていた。この像がある広場が、デカブリスト広場だ。
ペテルブルクの街は、皇帝の専制からの解放を目指すデカブリストの乱に加え、第一革命の契機となる血の日曜日事件など、国のあり方を変える数々の重要な事件を見届けてきた。農奴制の廃止など大改革を行なったアレクサンドル2世ですら、改革が不十分だとして急進派の手にかかってしまう。
歴史を物語る街並みとは裏腹に、この街には変化に対する底知れぬエネルギーが秘められている。
この街の絶えず変化していこうとするエネルギーが、ぼくの成長への欲求を掻き立てていることは確かだった。

改革、変化、成長というのは、観念上の死と表裏一体だと思う。古い自己を破壊して、あるいは破壊されて、そこからの復活の過程で別の形を作り上げる。一番身近なのが、おふざけじゃなく筋トレだと思う。筋トレは観念上の自殺だ。

破壊のあとには再生が必然で、この街でその再生の力を漂わせている施設のひとつが、血の上の救世主教会だ。改革者アレクサンドル2世の慰霊のための教会である。

内壁の殆どがモザイク画で彩られたこの教会だがそのモザイク画の多くが「復活」にまつわる宗教画となっている。『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフが、心を許した娼婦ソーニャに「ラザロの復活」を読み聞かせるように言った名シーンがあるが、この「ラザロの復活」もそのモザイク画の1つとなっている。
血の上の救世主教会がエルミタージュ美術館と並ぶ街の顔となっているのきっと偶然ではなく、「再生(復活)」がこの街のテーマの1つだからだと思える。

トライ&エラー。スクラップ&ビルド。時には自己破壊を伴う死と再生を繰り返し、この街は、この国は強くなっていったのか。そしてそれを可能にしているいわば源泉こそが、信仰と、勇気ある先人たちが紡いできた歴史と言えるのではないだろうか。

夜の帰り道、凍った運河を歩いて渡ってみた。『罪と罰』で絶望した娼婦たちが身を投じた運河。
一歩目が一番恐ろしかった。二歩目からは踏みしめる度に恐怖が遠のいた。川の中央まで来た時には、寝そべる余裕まであった。この時見上げた雲一面の夜空と背中から伝わる滑らかな冷気は、一生忘れない。ようにしたい。
川を渡りきった。これをキリストの水上歩行みたいなどと口を滑らせたら、過激派に本当に三途の川案件にされてしまうだろうか。

渡りきった今ここがふりだし。いや、既に一歩踏み出している。もう一度サイコロを振る。

最終日の午前中を最後の観光にあてるため、荷づくりを進める。お土産の隙間に、大切な経験と学びを税関に引っかかるギリギリまで詰め込んでいく。

積極的な優しさ。
動じない心。
軽薄な言動を慎むこと。
決断力。
貫徹力。
変化と再生の追求。

来る時には極寒の地へ赴くとは思えないほど密度の低いスーツケースだった。今度はそうじゃない。目一杯買ったウォッカのせいもあるけど。

次に開けるのが楽しみだ。
どうか、ロストバゲッジだけはしませんように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?