9年ぶりにジェルバ島へいく 3
この島に住んでいたのはかれこれ、、13年前くらいになるのかなあ。
その時に友達になった人が何人かいる中で、マルワはひときわ、私自身に興味や関心、親愛の情を注ぎ続けてくれていた。
その熱い親愛の情は、私が日本帰国後もずっとずっと続いていた。
なので一年に何回か電話が来たり、メッセージのやりとりをしてきた。
彼女の人生の大きな節目に連絡を貰ったりしてきたが、昨年遂に待望の赤ちゃんを授かったことも聞いていて、今回の旅で初めて彼女の子どもにも会えると期待していた。
彼女の兄弟姉妹には先に彼女の実家を訪ね、突然の訪問をして再会を喜び合ったが、彼女には彼女の子供の誕生日会まで私の訪問をだまっていてもらい、突然訪問して驚かせるつもりだった。
それが昨日。
彼女の姉・メリウムとともに驚かせる目的でサプライズ訪問したところ、
彼女、マルワは私をみるなり名前を呼んで号泣。。。
それをみて姉のメリウムも涙、、、。
周りの人たちも騒然となっていたが、私は何年経ってもこんなにも自分のことを想っていてくれる人がいるんだな、、と泣けてきた。
マルワは実家の近所の人たちや旦那さんの家族含め親族、友達たちにも私の話をかなりしてきたようで、マルワよりも先に周りから、『あなたの話は聞いている。ずっとずっとマルワがあなたのことを話すから、あなたのきょうだいの子どものことまで知ってるわ』と言われてびっくりした。
思えば何気なく13年前に持ってきた饅頭の包み紙をその数年後も私から貰ったものだと書き添えて、大事なものを入れている箱に入れているのを見せてくれた。
1度目の結婚を彼女がしたとき、贈り物をすべきなのは私なのに逆に伝統服をプレゼントしてくれた。
彼女の実家のみんなも、ひとりひとりが涙ながらに大歓迎してくれた。
長姉リムには三人の子どもがいたが、みんな美しい女の子に育っていて、かなり豊かな暮らしをするようになっていた。
長兄ロドアンは昔から日本製のものが大好きで天才的な機械いじり力を発揮し、世界中から要望された機械修理をこなし、生計に繋げていて裕福になっていた。
次姉メリウムは変わらず穏やかで優しくて、物分かりが良すぎて人に譲ることを優先してしまう性格は変わらないなあと思った。痩せていた。
弟アハマドはカッコよかったのに髭を生やして太っちゃってた。でもやはりイケメンでらメリウムと同じ、人に譲ってしまう生来の優しい性格はかわらないようだったけれど。
私が大好きだった、彼らのおばあちゃん、オンミ・ヘッディーは一昨年亡くなっていた。
サハラ砂漠の街・ドゥーズから娘たちを訪ねて1人でバスやルアージュを乗り継いでいつもジェルバまできていた。
とても楽しく朗らかな人でいつも一緒におしゃべりしては大笑いしていた仲だったから、ヘッディーが亡くなったときいた時は悲しかった。
彼らのお母さんも愛情深い人。
お父さんも優しく、頑固さもあるが天然さもある人。
みんなのことを覚えていたが、私が思うよりも強く想い続けてくれていたことに心が揺さぶられまくった。
ありがとう。
日本であんまり人との関わりを持とうとせずに暮らしているので、こんな遠いジェルバに逆に関わりを持とうとずっと想い続けてくれていた人たちがいたことを忘れていた。
マルワの子の誕生日会で女性で踊りまくり、騒ぎまくり、子どもたちと折り紙をしたり、カリフォルニアからきているアメリカンチャイニーズとも知り合いになり、なんだか人間関係が活性化してきた。
毎日どこかで昔懐かしの知り合いに再会出来ている。
この日常が、わたしの非日常であることを忘れる。
10日ほどしか経過していないのに、まるで今が日常。
今日は小休憩。
フルーツ買って、海辺でボーッとするかな。