できないのならば、仕組みを変えろ!
先日のキングコング西野さんのボイシーを聞いていて、このような内容があった。
☆☆☆
どうしても時間が守れない。頑張っても、努力しても遅刻してしまいます。
最悪な場合、現場に行けないこともある。どうしたら良いか?
西野さんの回答はこうだった。
⇒いっそのこと、遅刻するのを当たり前にしてしまえばどうだろうか?
時間通りに来た時は、それはレアケースでその時に立ち会えた人は奇跡に近いと思わせることができればいいのでは。
そう例えば「オーロラ」のように。
オーロラは滅多に見ることができない。ただ見れたらラッキー。見れる価値を高めて、当たり前を当たり前にしなければいいのでは。
といったニュアンスの回答だ。
なるほど、発想の転換がすごく素晴らしい。
努力したが、解決できないのであれば仕組みで解決しよう!!素晴らしい内容であった。
☆☆☆
時間が経過し、この問題についてモヤモヤしたことが残った。
確かにこの解決策は素晴らしいのだが、周囲はこのラッキーマンを受入れ、理解しなければならい。
もちろん、そのずば抜けた技術やスキル・他者にはない才能を持ち合わせているので、遅刻OKなのだろう。現場ドタキャンOKなのだろう。
ただ、一般市民の自分たちにとって、時間を守ることは最低ラインの中の最低ラインだ。
つまり当たり前だ!
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