【子育て奮闘記】親の顔色を伺いながら
三人兄弟の末っ子で育ち、大きな雷をもらった記憶もなく、のびのび自由に育ててもらった。
今振り返ると、幼い頃からこうすれば叱られないだろう!
ああやれば褒めてもらえる!
と言ったことが、自然と身についてしまった。
学校でも友達の行動をみたり、先生の動きを見て、褒めて貰えそうな行動をしていた記憶がある。
ただそれは、心から行動していたわけではなく、良い人間と見てもらいたい思う表面の上の自分だった気がする。
年数が立つに連れて、今度はこの良い人間を演じなければならない日常が当たり前となっている。
自分の心を見失ってしまう時がある。
一体何がしたかったのか。
☆☆☆
子どもたちには、自由に生きてもらいたいと思い、
常日頃、「やりたいことをやっていいよ」
「ドンドンチャレンジしていきな!」
と言っているが、子どもたちの感性は敏感だ。
大人の私の言ってる事と行動に矛盾があることになんとなくだがモヤモヤしているようだ。
長男の行動や発する言葉を聞くと、幼い頃の自分を見ているようで、親や周囲へ優等生回答を並べることがある。
親の前ではいい息子!勉強している!
しっかり運動している!といったアピールをするが、よくよく話を聞いたり、実体をみるとそうではないようだ。
息子を信用しなければしないほど、距離が出来てしまい、彼は自分のように仮面をかぶることになる。
☆☆☆
社会で生きていくためには、要領良く生きていくこともスキルだが、心を潰してまで生きてほしくはない。
バランスが大事だ。
ゆっくりでいいが息子としっかり対話して自分も成長していきたい。