【暮らしたい未来のまち】お金の概念がない未来・分け与えるまち
私が暮らしたい未来のまち、それは「アンパンマンの世界」のまちだ。
ついに、中二病を通りこして、幼児化してしまったと思うかもしれない。
確かに精神年齢は低いのだが、今回はそうではない。
皆さんも、一度はアンパンマンを見たことがあるだろう。
争いもなく、平和で、唯一あるとすればバイキンマンが自分のやりたいことを押し出し、まちの皆に迷惑をかけてしまう。
そこで、まちの保安官であるアンパンマンが自主的にまちを守っている。
私が共有したいところは、保安官がいるアンパンマンやカレーパンマンがいてほしいわけではない。
”まち”の人たちが当たり前に行っている行動・考え方そのものが、「暮らしたい未来のまち」のすべてだと思っている。
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彼ら、彼女たちは、毎日自分たちができることを一生懸命になって働いている。
畑を耕し、お米や麦、野菜などを育てている。ジャムおじさんのような、パン職人もいる。また、牛乳を配達しているうし君もいる。そんな彼らには、お金という概念がない。全て無償で提供しているのだ。
畑でとれた食材をジャムおじさんへ無償提供し、ジャムおじさんは新しいパンを作り、子どもたちや、おなかが空いている人たちへ無条件であげてる。
誰もかれもが報酬を求めていないのだ。
唯一、自己欲求・報酬を求めしまうバイキンマンだけが悪者のように描かれている。
私たち人間社会、否、生き物の世界は弱肉強食の世界だ。
弱い者は生き残れない。
強者はどんどん強くなっていく。
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平等の価値であるお金の概念をつくったことで、畑仕事が一日いくら分のお金になるのか、パンを販売したらいくらになるのかが皆同じ基準でわかることができる。
この”お金の概念”の発明は、とても画期的だと思う。しかし、この概念がない世界でしかも皆の仕事や生きていることへのリスペクトをそれぞれがしている世界がアンパンマンのまちの世界にはある。
本当の平等となんなのか。
彼らを見ていると、自己犠牲にしているわけでもなく、どんな人でも皆同じ生き物なのだから助け合って生きていく。これが当たり前なのだ。
最先端の技術があるまちもいいだろう。
しかし、まちの空間をつくるのは最後はそこに住む住人生き物たちだ。
その彼らが、私利私欲で生きているより、
生き物はみんな同じという概念があり、分け与えていくことが当たり前だと考えている”まち”に私は暮らしたい。