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基本、自分が主体
私は、思えば昔からすごい人を好きになる傾向にありました。
昔からずっと結婚願望がありました。
私が思うすごい人は
仕事ができて、頭がキレて、誠実そうなそんな人。そんな雰囲気の人。
そんな面をみたらどこかしら
『あっ、素敵❤️』ってなってました。
そこには、そんな雰囲気の人は
仕事ができるから、頭がキレるから
=思いやりがある(に違いない)
誠実そう
=真面目に向き合ってくれる(に違いない)
と思い、無条件にそんな雰囲気を出していた人に惹かれていたような気がします。
最近私の中と内観している習慣で
やっと気づいたことがあります。
それは、その理想が創られた裏にはメッセージが隠されていたということ。
『私にはどうせそんなことできないから』
『そんな風にはなれないから』
私は、自分がなりたい像を人に期待して
その人についていけば、幸せになれると
幸せにしてくれると思っていたこと。
信じて疑わなかったこと。
本当は私自身が、
仕事に対しても、目の前の人に対しても、誠実にまじめに取り組める人になりたかった。
人生をしっかり自分で楽しく切り開く人になりたかったんです。
そう認識した後から
そして、それら=思いやりがあり誠実な人
とは違うってわかりました。
仕事ができて、頭がキレて、誠実そうな雰囲気の人で無条件に、惹かれることはなくなりました。
その人がそうなっていった、そうなりたいと思っていた信念が、思いやりではなかったら
単に仕事ができても、ずる賢く出世したかもしれたい。
頭がキレてても、それを自分の利益のためにしか働かせないかもしない。
誠実そうにみえても、そうみせるのがうまい人なのかもしれない。
そうみえる、その根本は何か?
が大切で
それはちゃんと自分で触れ合って
そうやって感じて、受け取って、そして惹かれていくもの。
今は自分の合う人
一緒にいて心がやすらず、幸せや苦楽も一緒に乗り越えていこうって想える人
そんな人がいいなぁって想います。
人生焦ってたらそこを観るの、見落としがちになるんです。
その人のそんな人柄を創り出してる、
根本的な信念はなんだろう?
その心の奥底に大切にしている部分
そこをみていける人でありたい。
その基準が違うだけで、色々な人に対しての見方も変わります。
心のセンサーが変わるものですね。
そしてそんなことを色々気づいてから
年齢が〜とかそんなことで、何かに追われるように気持ちが焦っていた私は、生きていて一番今が年齢が高いにもかかわらず、、
焦っていない。笑
でも、そんな自分になれたことが嬉しくて
そう感じたら
どれだけ『結婚』という世間一般の幸せのカタチが私にも無条件に当てはまると思い込みに縛られていたのか。
私の人生を幸せにしてくれると思い込んでいたのか。
どれだけ相手に期待して、自分をダメだと思い込んでいたのかがよくわかりました。
今を楽しめない育めない自分を否定し
世間一般で幸せと言われるカタチにしがみつき
自分の能力を信じれず、相手に期待して寄りかかることで幸せを獲ようとしていたこと。
きっとそんなカタチでもし仮に結婚していても
私もその相手も幸せにはならなかったでしょう。
だから、ホント独身でよかった、、笑
ホントは
自分で切り開きたい
お互い補い合える支え合える大切な人に囲まれて、育んでいきたい。
寄り添って、そうやって ”自分自身で” 切り開いていける人でありたい。
そんな在り方であれば、きっとカタチばかりにとらわれず人生もっと自由に描けて、自由に動ける。
そんな毎日がどんどん楽しくなる
やっぱり基本は
自分のことは自分で幸せにする
こと。
そんな勇気も自信もなかった私は
今、そんなことを考え取り組もうとしている私自身に期待しどこかワクワクしています。
それが、自分で立つということ。
それが、人を幸せにするということ。
それが、自分で切り開くということ。
いつも自分の人生は、自分が主体である様に。