愛するときの注意点
ここ連日、私は『愛』について考えている。
『愛する』『愛を与える』とはどういうことだろう?どうすれば、『愛』は伝わるのだろう?
人それぞれ個性があるように、愛する愛の形もそれぞれある。どう表現するかは、当然それぞれ違う。
だけど、『愛する』上で大切なことは
雑味のない純粋な自分でいることだと思う。
例えば、愛する私が寂しい場合。
寂しい状態でいて、でもその″寂しい″の声を無視してそれでも愛を与えようとしてた場合。
与えたい。その気持ちはとてもステキな行為だけど、その奥底のベースに寂しいがある。
そんな場合の私が、愛を与えたいその人を観たとき、きっと寂しいベースで観てしまう。
きちんと本質が観れなくなってしまう。
そうすると、与える行為も変わってくる。
そうすると、受け取るその人も充分な愛は伝わりにくくなってしまう。
それだけではなく、時にはお節介になってしまうかもしれない。
もしくは、寂しいが故、愛を与えていると思っていても、どこか見返りが欲しくてやってしまうかもしれない。
与える時の私の状態は、どんな状態?
私は、ネガティブな感情をそのままにしてしまいそのネガティブを連れて行動してしまうところがある。
だからそんな時は、なぜか晴れ晴れしない。
なぜか、思う存分楽しめない。
きっとそんな時は、ネガティブが奥底に眠っているかもしれない。
言うなれば、ずっと前から楽しみにしている旅行なのに、やり終えてない仕事を気にしながら旅行している。そんな感じてはないだろうか?
そんなの、楽しめないに決まっている、、
そんなの、本質が観れないに決まっている、、
モヤモヤするような気持ちも、気分転換でネガティブな気持ちもスッキリさせる!
仕事は片付けて、晴れ晴れした気持ちで旅行に✨
ネガティブは片付けて、晴れ晴れしたポジティブな気持ちでその人を愛する✨
きっと、そのポジティブな存在はそれだけでもその人にとっての愛となる。
そして『愛を与えたい』というあたたかな気持ちも相乗効果となって、その人に最大限の愛は伝わるのではないかなと想う。
愛を与える時は
自分純度100%、
出来ることならポジティブオーラ全開で。笑
きっと、そんな人達の存在が世界を救う。