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『上手く喋りたい』のその向こう側

『上手く喋りたい』

と思うがあまり、喋れなくなる自分がいました。


上手く喋れた時は、
とても清々しく

『楽しー✨!』
ってなります。


会話にリズム感がうまれ
互いに楽しみを共有できた気がして


幸せな時間が過ごせた気がして


それはその時間が過ぎた後でも
心地よい空気感をまとって



その感覚が生きる上での
深く深く愛おしい時間になったなと
思い出として刻まれます。




でも、
上手く喋りたい
そう思うあまり
上手く喋れなかった時


落胆する自分がいました。

上手く喋りたい
楽しく喋りたい


そう想うがあまり
コトバが出てこない自分がいました。



そんな時、ある人が教えてくれました。

『結局は、愛が伝わればいいんだよ』
『内容じゃないよ』
と。



それから、私はただ内容にフォーカスするのではなく

『ただ、愛を伝える』
『ただ、愛を共有する』

そう想いながら、話すように心がけました。



そうすると
私が欲しかった
あれほど
“上手く喋りたい″
と願い、喋れなかった時
落胆していた自分がウソのように


ペラペラとコトバを発している自分に気付きました。

上手に話せる内容にこだわっていた自分が
なんともない日常の会話で、心を通わせれている自分がいることに気付いたのです。



”愛おしい時間を共有する″


会話は、内容は
そのツールにすぎず
手段にしか過ぎない


ただ、その時間を
愛おしく
楽しい時間を


これから先、
生きる上での
活力になる時間を
繋がりを

共有するためのツールでしかなかった。


そんなことに気付きました。


会話は手段に過ぎない。


内容よりも
中身

ただ、そこに
愛を共有できれば


ただ、それでよかったのです。


私はそんな経験を通じて常に愛を意識して
生きていこう!
と想いました。


愛は世界をきっと救う。


まずは私から愛を発していこうと想います。
自分なりに。
少しづつ。


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