関係性
私は大切な人とは
“本音を語れる付き合い“ をしたい。
と想ってます。
でも、本音の付き合いを好む人はこの世の中に、もしかしてあまりいないのではないか?
とも思ったりもします。
その場で当たり障りの無い会話をして過ごしていけば、なんとなく上手く付き合いができて
なんとなく楽しい感じで過ごせる。
それは、私も昔よくしてて経験しているからよくわかるんです。
それはそれは、上手くそつなくこなせます。
でも、ホントに大切にしたい関係
両親だったり、親友だったり、恋人だったり
そんな関係にまで
ホントは大切にしたい関係にまで
その、そつなすこなす関係を築いていた時
私は、訳の分からない苦しさに悩まされていました。
なぜ私は満たされないのだろう?
なぜ苦しいのだろう?
私は大切にしたいが故に、
壊したく無いが故に、
“そつなくこなす“
そのことを第一優先に考えて
関係性を築きあげていました。
それが、苦しめている要因とは知らず。
私は昔から何故か
『感覚を言語化したい』
そう想って生きていました。
その気持ちは今でもあります。
私の気持ちをコトバで表現したい。
なぜなら、
私の気持ちを伝えれるから。
私の本音を伝えれるから。
そんな想いがあったこと最近になってようやく気付きました。
そこには
ホントは
『本音を語り合える関係性を築きたい』
そんな想いがあったことに気付きました。
大切な人とは
本音で語りたい。
そして、深いところで繋がっていたい。
それが私の想いです。
しかし、それを望まない人は当然います。
それはその人の生き方や考え方は
自由で、それをその人が幸せのカタチと想うなら
私がどうこうするものではないから。
だから、私が
『この人と本音の関係性を築きたい。』
そう想っても
それは互いに想わないと成立しないもので
だから、そこにはきっと勇気がいることなんです。
大切な人と
“そつなくこなす“ 関係性を選んでいれば
ずっとどんなカタチであっても繋がれるだろう
その可能性を
“本音で語り合いたい“ そこを大切にするが故に、壊れてしまうかもしれない、そんな関係性。
でもそれであっても
やっぱり私は
大切だなと想う人とは
“本音を語れる関係性“
“深く繋がれる関係性“
それを求めているのです。
深く繋がれた会話から生まれるものは、
お互いを認め合えたという喜び、
心が満たされて、次への希望が生まれること。
『次の日も、もっときっと楽しくなる!』
そんな感覚を知ってしまったから。
その楽しさを知ってしまったから。
だからこそ、そんな想いを
大切な人と共有したい。
きっとそうやって築けたときは
きっと今よりもっと楽しいはずだから。
大切な人には、その楽しさを知って欲しいから。