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25年越しの ビターエンド
2月になると、思い出す。
高校生の頃、初めてお付き合いをした彼のことだ。
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地元の公立進学校に通っていた私だったが、成績はいつも中の上か下。トップクラスとは、ほど遠い生徒だった。
何をしても上手くいかない。
単身赴任中の父親は、帰ってくるたびに、私の進学先を決めつけたような物言いをしてくる。私の意見なんて、聴く耳を持たなかった。
それに当てつけるように、私はますます勉強から遠ざかった。
学校を、サボることもあった。
高2の時、ラグビー好きが高じてラグビー部のマネージャーをしていたのだが、そこでも、上手くやっていくことができなかった。
どうしたら、みんなみたいに、器用に生きられるんだろう。
自分が、どうしようもなく不器用で、情けなかった。
同じ高校に通う小学校からのバス友が、そんな私に声をかけてくれた。
「私立の男子校の学校祭に行かない?」
彼女は、大のジャニーズ好きで、そのときも、「イケメン」漁りに出かけたのだと思う。私は完全に、オマケだった。
その「オマケ」が、気に入ってしまったのが、三輪車に乗って、上半身裸で、くそ真面目にレースをしていた彼だったのだ。
「だれか、気になる人 いた?」
一通り校内を見てから、彼女が言った。
「いやあ。。。 あの人かなあ。。。。?」
私がそんなことを言うとは思っていなかったので、ビックリした彼女は私の腕をぐいっと引っ張って、「その人、どこ?!」と素っ頓狂な声を出しながら走り出した。
「ああ、、、 あの、ラグビーのかっこして、三輪車乗ってる人」
「??」
私の視線の先を確かめた彼女は、ゲラゲラ笑い出した。
「マジで?!」
「うん。」
その夜のイベントにも、私は連れ出された。
「ミス○○高」 男子校なのに、かわいい女子に扮した男子のコンテストで、その彼が、特別審査員として登場してきた。
その登場の仕方も、キワモノだった。
水泳パンツ一丁で、大八車に乗り、オイルでテカテカにした筋肉を誇示するポーズで入場してきたのだ。180cmを超えるマッチョ男子。
「趣味は、筋トレです。」
ステージ上で笑いを誘い、どんどん調子に乗っていく。
「あああ、やっちまったな。。。」 隣にいた友人は、苦笑いをしながら私に言った。
それでも、私は、そんな彼に一目惚れをしたのだ。
それから、どこからどうつながったのかは良く覚えていないが、とにかく、私たちは付き合うことになった。
彼は、とにかく頭が良かった。
ラグビーもキャプテンを務めて、早くから優秀な選手として、大学からも目をかけてもらえるような存在だった。
寮生だった彼に、電話をかけるのも一苦労。毎日会えるわけでもなく、1~2週に1度くらいで、ようやく会える。そんな状態だった。
お金もない、時間も無い。でも、楽しかった。
そんな中で、彼は菅平の大学ラグビーの合宿に参加したり、着々と自分の進路を定めていった。
今でこそ、花園常連となったチームだけれど、その当時は、弱小チームで、彼だけが、スーパープレイヤーとして知られていたのだ。
でも、彼は決して偉ぶることも無く、最後の高体連まで、チームをまとめ上げ、キャプテンとしての務めを果たした。
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高3の秋口だったと思う。
電話口で、彼が言った。
「W大の推薦入試を受けようと思う。」
「そうするべきだと思う。」
「がんばるよ。」
「うん。」
東京に向かう彼を、空港で見送って、私は泣きながら帰った。
もう、彼とは会わない。
これで、おしまい。
一通、手紙を書いた。
「私も、がんばるよ。 もし、東京で、同じ大学に行けたら、また会おうね。」
それは、叶わなかった。
それっきりになってしまった私たちは、もう2度と会うことはなかった。
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大学ラグビーのテレビ中継や、雑誌や本は、決して見ることはなかった。
どこかで、彼の活躍を確かめたい、という気持ちもあったけれど、
東京に行くことも叶わず、地元の大学におさまってしまった自分が情けなくて、確かめる勇気がなかったのだ。
母を看取り、大学を卒業し、教員になり、結婚し、
子育てに追われ、
そのまま、20年以上が経った。
彼のことなど、すっかり忘れた気がしていた。
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でも、東日本大震災で、東北の津波の映像を見たとき、心がざわついた。きっと、知っている誰かがいる その場所に。
でも、誰だかわからないんだ。苦しいよ。
その後、東北へ修学旅行に行ったとき、「釜石まで、あと〇キロ」という自動車道の看板を見て、何か、「行かなければ」という気持ちがわき上がった。
きっと、わたしにつながる誰かが、そこにいる。
そして、数年前。
図書館でたまたま見つけた本の中に、彼の名前を見つけたのだ。
W大を卒業した後、彼は 釜石のチームにお世話になっていた。
被災後は、チームから名前が無くなり、選手としても引退したようだった。
本の中で、彼の名前を見つけたとき、涙が止まらなかった。
あの空港の日から、25年。
私の知らなかった時間
ラグビーを続けてきてくれて、良かった。
最後のチームが、釜石で良かった。
あの震災を乗り越えて、生きていてくれたら それでいい。
私たちは、あの日から 別々の人生を歩んでいるけれど、
君と過ごした2年間は、私にとってかけがえのない時間だった。
二人とも、不器用で、上手くいかないことばかりだったけど、君の存在は、私にとっての希望だったよ。
あの、ほろ苦くて甘いビターチョコのような時間があったから、
私は今を生きていられる。
痛くて、キラキラと輝いて、苦くて 甘い。
宝石のような、ビターチョコレート。
もう取り戻せない時間だからこそ
わたしの中で 今も 輝き続ける。
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