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ぽかん

コロナである。

いやほんとに、もうこの際コロタンとかコロニャンとか、あだ名をつけてもいいくらいの仲なのです。

コロナはたくさんの物・事・人を世界から奪い、たくさんの新しい思考・生き方なんかも与えてくれた。それって多分、恐竜たちがなんだかんだやってる時に、急に隕石が落ちてきて、あれよあれよとみんな滅びちゃって新しい世界がきちゃった的な、どうしようもなく無力でぽかんとしたものなんだろう。いろんな憶測はあるけれども。

もちろん、この事態に真っ向から立ち向かっている医療現場の方々や罹患し自らの体でその脅威を経験された方々からは、「ぽかんとはなんだ!ぽかんとは!」とお叱りを受けるかもしれない。それでもただただ、じぶんにとってのコロナは「ぽかん」な印象だった。

3月いきなり「学校休校」「外出自粛」「マスクありません」から始まり、まるで正座のあとのしびれた足で感覚もなく歩いているような、心を置いて体だけが時間と共に移動していく感じ。がらっと生活は変わっているはずなのに、どこかふわふわと宙に浮かんだまま過ごす日々。日々のよしなしごとをこなし、ただただマスクをつけ口に入れるものを買いに行き、スマホの光る画面を眺める。

見ないようにする、気にしないようにする、考えないようにする。

空中に視線をやり、無表情のマスクの下で、晩ご飯は何にして朝ごはんはあれで昼ごはんはなんだ。何かをぐっと掴んで体感したり、深く沈んで思考したり、そういった重力のあることができなくなってしまった。ほんとうにぽかんと。

それでも毎日変わりなく、ベランダにはスズメがえさをせびりにやって来て、鉢植えのトマトはぐんぐん蔓を伸ばしていく。子は背が伸び、長袖が半袖になった。          

思考とか使命とか仕事とか、「し」のつくものが薄くなった先に見えたのは、なんか生きてるなぁってことであり。うまい事言えなくもないのだろうけど、「し」の次の「すきま」がみたいなのが色んなところに見えてきたように思う。ぽかんとしてたっていいじゃん。みんなそのままの姿でも結構いい感じじゃん。

今日も風が吹いてます。

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