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032 総合的な探究の時間の分掌担当者の苦悩


配信の方が生き生きと苦悩を語っていますw

以下はChatGPTに整えてもらったものです。

9月も終わりに近づいていますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?まだ暑さが残る中、私はちょっとぐったりしながら、2学期も1ヶ月が経過し、バタバタしつつ秋に突入している感じです。

今日は、少し国語教育とは離れた話になりますが、「総合的な探究の時間」について、私が担当してきた中で感じたことや、思い、そして少し愚痴を交えてお話ししたいと思います。

「総合的な探究の時間」が導入されたのは、おそらく今から8年ほど前です。広島県は他県に先行して、さらに3年前倒しで探究型の時間を取り入れていました。私が当時勤務していたのは総合学科で、総合学科の立ち上げ時から探究型の学びが大きく取り入れられていて、既に活発な取り組みが行われていました。

探究型の学びというのは、生徒が自ら課題を発見し、それを解決するために調査・研究を行い、最終的にはプレゼンテーションまで行うというプロセスです。6年目くらいから進路指導担当から探究の時間の担当に移り、その改編を任されることになりました。なぜかというと、従来の「総合的な学習の時間」がうまく機能しておらず、生徒が主体的に取り組まなくなっていたからです。

私はその時までに、研修会や学校視察、県外の視察も含めて、年間50回以上の研修に参加し、探究の時間について学んできました。長年の経験の積み重ねもあって、ある程度の知識と経験があったのですが、それでも苦労は多かったです。

まず、探究の時間を推進しようとするのは、私と一部の熱心な同僚だけで、全体の1割程度でした。多くの先生方は、正直なところ探究の時間に対して否定的で、「なんでこんなことをやらなければいけないんだ」という感じでした。新しい取り組みを提案しても、固まった空気や冷たい目線、重いため息が返ってくることも多々ありました。

研修会を開いても欠席者が多く、参加しても興味を持ってもらえないことがしばしば。中には、寝てしまう人もいました。準備を進める中で、気づいたら誰もついてきておらず、私一人が準備を進めている、という状況も何度も経験しました。

特に退職間近の先生方は「もう自分は新しいことはやらない」と宣言される方もいて、新しい取り組みを推進するのは大変でした。

それでも、探究の時間をどうにか軌道に乗せるために、他校の事例を参考にしながら、等身大の生徒が取り組める探究の時間を考えました。学校全体で「どんな生徒を育てたいか」を共通認識として持ち、教職員全員が同じ方向を向いて進められるようにしました。

当時の校長先生もこの考えに賛同してくださり、生徒像を明確にし、それをもとにカリキュラムを逆向き設計で組み立てました。3年生では個々で課題を設定して本格的な研究を行う一方、1年生ではチームで身近な問題に取り組む、といった形で段階的に探究力を育てるカリキュラムを整えました。

この取り組みを支えてくれたのは、管理職の方々や、同じ目標を共有する同僚たちでした。管理職の方は視察に送り出してくれたり、サポートしてくれたりと、とても協力的でした。また、一緒に頑張ってくれた仲間たちがいたおかげで、少しずつ学校全体に探究の時間が定着していったと思います。

「楽しそうにやっていると周りも協力的になる」というのは本当で、仲間と楽しく取り組んでいると、次第に周りも「これ、面白そうだな」と思ってくれるようになったのです。

今日は、そんな「総合的な探究の時間」を担当した私の経験や苦労についてお話ししました。次回は、「総合的な探究の時間で生徒が生き生きと取り組むためには、どんなテーマ設定が必要か」についてお話ししたいと思います。

それでは、今日はこの辺で。聞いてくださり、ありがとうございました。またお会いしましょう。

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