謝ることの効用
去年の夏のことだった。
仕事を終えて、いつものように娘と共にマンションに併設されているスポーツジムに足を運んだ。
夜の10時近くになっていたけれど、まだ結構人がたくさんいた。簡単に体をほぐしてから、娘とおしゃべりしながらランニングマシーンに足を乗せた次の瞬間・・・
どん!
気が付いたら私はランニングマシーンから投げ出され、床に倒れていた。
一瞬の出来事で、何が起こったのか分からなかったが、隣でいた娘が「キャー!」と声を上げて駆けよってきた。
立ち上がろうとした途端、膝やひじ、顔がひりひりするのを感じた。痛い所を触ると、手に血がついた。
娘が「このランニングマシーン、動いてた!」と言った。
私の前にマシーンを使った人が停止ボタンを押さずに終えて行ってしまったのだった。マシーンのベルトは真っ黒で、止まっているのか動いているのか遠くからは識別できない。小走りできる程度のスピードで動いでいるマシーンに知らずに足を乗せようとしたので、弾き飛ばされたのだった。
ジムの大鏡の前に立つと、私は額、唇、肩、ひじ、膝が擦り切れて血が滲み、唇は少し切れてパンパンに腫れ上がっていた。
このジムはマンションの共同施設のため、夜間はスタッフがいなかった。ジムで運動していた人たちが心配そうに見守る中、娘に寄り掛かるようにして家に帰って応急処置をした。
翌朝、皮膚科に行って治療を受け、その足でジムのスタッフに会いにいった。
スタッフが昨夜のCCTVを確認すると、私が乗ったマシーンを少し前に使った男性がマシーンを切らずにそのまま飛び降りて帰ったのが映像に映っていた。
「この人を呼び出して厳重注意してほしい」と言ったら、スタッフは何だかんだと説明しながらも、結局は「ランニングマシーンに乗る前に動いていないかどうか確認する義務もあるので」半分は私の責任だといって、「治療代は保険から出ますから」と、淡々と事務手続きを進めた。
私はやり場のない怒りを覚えながら、書類を作成した。
1か月後、私は実際かかった治療費の2倍近くのお金を受け取ったが、この時の苦々しい思いは、身体についた擦り傷の跡がきれいに治るまで消えることがなかった。
この事件で、私は「謝ってもらえない」ということがどんなに恨めしく心の傷になるか、身をもって実感した。
いくら弁償してもらっても、慰謝料をもらっても、心からの謝罪がなければ恨めしさを手放すことは難しい。
最近、あるメディアで誰かが「世の中の犯罪や事件の大半は、『ごめんなさい』と言ってもらえなかったことで起こる」と言っていた。
以前なら気にも留めなかっただろうこの言葉が、今はすごく納得できる。
どうして謝れないのか?
夫婦や親子のあいだでも、「きちんと謝らなかった」ことが、関係を悪化させたり、その後尾を引いて長~い葛藤の原因になることが、非常に多い。
こちらに非があって、相手が怒っているとき、きちんと謝れないのはどうしてだろうか?
・謝ったら自分の立場が弱くなる気がする。
その怒りを認めたら攻撃されるんじゃないかと思うので自己防衛に走ってしまう。
・相手の怒りが正当だとは思えない場合。
自分だったらそこまで怒らないのに・・と思う。
・罪悪感や自責の念が強いから。
自分はダメだ、自分が悪い、という観念が強いので、余計に感じてしまうのがつらくて避けたくなる。
でも、人って、「分かってもらえない」ことが一番つらいのだ。
傷つけられた、被害を被った、という自分の痛みを認めてもらえないと、怒りがわく。なかったことにされたり、過小評価されると、怒りはますます燃え上がる。
さらには、同じ痛みを味わわせてでも、自分の痛みを分からせたくなる。
相手の心に届く謝り方
だったら、どうやったら相手の気持ちが治まるように謝るのか?
1.相手の痛みを理解すること。
相手がそのことで怒っている場合は、それは正当な怒りであると認める。「分かってもらえた」と感じれば、怒りはすっと消えるものだ。
相手の言い分を、誠意を込めて積極的に聴く。この時、相手の言い分が自分の考えとは違っていても、ジャッジせずそのまま受け入れること。ネガティブな思いを吐き出せたら、心が軽くなる。
2.誠意を込めて謝る。
「申し訳ありません」「ごめんなさい」という言葉をきちんと使って謝ること。「君の気持ちは分かった」とだけ伝えて謝ったつもりになっている人がいるが、それはいけない。
3.言い訳をしない。
自分の非を認めたくなくて、こちらの言い分を並べて弁明したくなるが、それでは相手の気持ちは収まらない。
自分ならこんなことで怒らないのに、と思っても、自分の価値観は横において、相手の気持ちに共感しよう。共感と同意は違う。
自分の何が悪かったのかを理解して、伝えよう。
4.行動で示す。
二度と繰り返さないことを約束し、もし埋め合わせできることがあれば提案しよう。それによって相手はこちらが反省だけでなく、お互いの関係を重要視していることが伝わる。
5.自分のした行為は反省しても、自分そのものを責めないこと。
「謝る」という行為は、自分を卑下しない人だけができること。謝るとは、自分のした行為を反省し、その結果に責任を持つということであって、自分そのものを責めたり、自分の価値を認めないこととは全く別物だ。
誠意をもって謝ったのに、相手が許してくれないときは、もう一度、それでもだめならさらに謝ろう。それでもダメなら仕方がない。相手が許してくれなくても、自分が自分を許そう。
謝りたい相手がすでに他界しているなど、直接謝れない場合は、自分が何を間違えて、その結果相手がどのように傷ついたのかを理解しよう。そしてもし償える方法があれば償おう。
自分の罪悪感や自責の念から抜け出せない場合は、その人に対してではなくても、周囲への奉仕や寄付など、何かできることがないか考えてみよう。
謝るという行為は、愛することや感謝することと同じぐらい、人間関係で大切なことなのかも知れない。