day240 まだまだ自己否定は消えてなくならないようだ。
ハッピーちゃんの『能力開花プログラム』に参加中で、その中で自分の存在状態を掲げるワークがある。
わたしは( )である。
わたしは( )な存在。
これを自分なりに書き出して、わたしはスマホの待受に設定した。
スマホを手に取るたび目にするので、浸透させるにはちょうどよい。以前、情熱の源泉を発掘していただいたときも、スマホの待受にして浸透させたのだった。
しかしながら。
昨日相方さんと会ったとき、なかなかに自己否定が強めに出てしまっていた。
ちなみに相方さんは歳下で干支が同じなのだが、今更ながら自分自身の年齢や、経年変化に対してネガティブな気持ちを抱いてしまうことがある。わたしの相方さんになってもうすぐ7年、あの頃のわたしとはだいぶ違う。いや勿論、相方さんも同じく歳は重ねているけれど。
こんなわたしが愛される筈がない、美しくもないし、若くもない。などなど、うじうじ。
分かっているのだ、自分で自分を曇らせていることは。
そしてまた別の場面で、多くの仲間たちに愛されている人を見ては、わたしなんてどうせなぁと勝手に比較して落ち込む。
あー、わたしのエゴキンマンがだいぶ暴走しているようだ。
『お前なんかが愛される訳がない、愛されるべき存在ってのは、可愛くて美しくて素直な、お前とは真逆のタイプなんだよ。愛されたいなんて100年早いわ』
と、エゴキンマンの声が聞こえてくる。
ふ。でもわたしはこれをエゴキンマンだと見抜いているから、もはや勝利宣言。完全にソースから外れていただけなのだと気づいている。
何度も何度も、自己否定の誘惑はやってくる。これをエゴキンマンの仕業だと気づいて『我に返る』ということを、しっかりとやれば良いだけのことだ。
わたしはすべてにおいて愛される存在
わたしは国宝級に扱われる大切な存在
わたしは愛を受け取り循環させる
わたしは愛のエネルギーの中心点
この存在状態も追加しておこう。というよりわたしにとって、愛についてがいちばん大事なのかもしれない。