day303 何を学ぶかよりも、誰から学ぶかが大切なのだ。
昨日、絵を描きFacebookで公開してみる、というミッションをしてみたのだが、ふわコミのお仲間さんたちが皆、コメントしに来てくれた。嬉しくて、心がじんわり温かくなる。
仲間ができる、仲間と一緒。
この言葉に、今までどうもしっくりこなかったのだけれど、今回の件でやっと、あぁ『仲間ができる』ってこういうことなんだなぁと感じたのだった。
そう、しっくりこない場に身を置いて、仲間をつくろう増やそうと動くのは、精神衛生上よろしくない。そんなの、結局のところ上辺だけの[仲間]でしかなり得ないし、楽しくもない。
ふわコミ4の中で、わたしがクビもげしたことのひとつに、これがある。
自分にとって
しっくりくる人から学ぶこと。
例え教わる内容が同じだったとしても、あーこの人好きだなぁとならなければ、最終的には途中離脱することになりかねない。
実は、ビジネスの学びの場に別の友人から誘われていたのだけれど、オンライン説明会で話すその人の姿(顔、声、話し方、使う言葉、話す内容、態度など)を画面越しに見て、うわぁ無理!と思ったのだ。しかも、成果優位の考え方がベースにありそうだった。
要するに、他の人には良くても、わたしには合わないということだ。
翔ちゃんのふわコミに参加していなかったら、「とは言え、この人の言うことはきっと正解だし、ちゃんと成果を出せるのだろうから学ぶべきなのだ」と判断していたに違いない。
ふわコミに参加していたからこそ、そちらに参加することをお断りできたというのがあった。そこを決断できた自分にグッジョブ。
しっくり感の判断基準は、居心地の良さだ。講師や仲間たちと、心地よい関係性が築けるのがいい。少なくとも、極端なディスりやイジりみたいなのは、わたしにとっては心地よくない。
どんなに凄い人でも、成果を上げている人でも、その人自身やその人が作り出す場を、心から好きになれないならば、無理なものは無理ということ。
それを、今回しみじみ感じたのだった。違う意味で、良い学びの場ではあった。
それを踏まえての、明日は翔ちゃんと個人セッションがあるのだ。こちらは楽しみで仕方ない。果たしてどんなふうに着地するだろうか?