ギモーヴ
それは、母の再婚がきっかけだった。
父と別れて五年、母は馴染みの酒場で知り合った男と再婚した。もう五十代も終わりになろうとしていたし、父との離婚で散々な思いをしたから、何でいまさら? と思った。
ハルがたずねると母は嬉しそうに言った。
「話が面白いのよ。あの人の話、もっと聞きたくって」
年頃の娘がいる家に男を住まわせることを、なんとも思わない母も不思議だったが、娘の心配より男のことで頭がいっぱいだったのだろう。
しかし、知らないオッサンがいきなり同居し始めた家は、ハルにとっては決して、居心地のいいものではなかった。
ハルは勤めていたカフェを辞めて、パリの製菓学校へ留学することにした。なんとなく、自分で作ったババ(*)を食べてみたいと思ったし、家から出て、日本を離れて新しい世界を見てみたいとも思った。
ハルは神楽坂のフランス語学校に通いながら、留学の準備をした。
始めてみると、フランス語は難しいしフランス人は不親切だしで、ハルの気持ちは揺らいだ。が一緒に住み始めてますます、再婚相手に夢中になっていく母を見るにつけ、留学するしかなかったのだ。
気持ちが悪すぎる。自分の母親が女であることを見せつけられることほど、娘にとって嫌なことはない。
そうこうしているうちに季節は変わり、ハルは予定通りパリ行きの飛行機に乗り込んだ。パスポートを作るのも飛行機に乗るのもこれが初めてだったが、JALだったからか、機内では悠々としたものだった。しかし・・・。
シャルル・ド・ゴール空港に着くと、フランス人が密になってタバコを吸う姿に圧倒された。煙たいだけでなく、吸い殻をぽんぽん投げ捨ている。
「ゲホッ、ゲホゲホっ」
咳き込みながら、やっとの思いで空港を出、市内行きのバスに乗った。
重い荷物を抱え、たどり着いたホームステイ先で、ニコリともしないマダムが迎えてくれた。 高齢で痩せギス、眉間の皺の深さから、一筋縄ではいかないばあさんであることがうかがえた。
参ったなぁ、と思いながらもハルは、覚えたてのフランス語で、
「ボンジュール、ハルです」
と挨拶した。マダムは表情を変えず、
「ボンジュール、アル」
と言った。フランス語ではエイチは発音しないのだ。
アルじゃね~。と思いながらも、その説明ができるほどハルはフランス語が達者ではなかった。付け焼刃のフランス語入門コース、からの初級コース履修では、現地では何の役にも立たなかったのだ。
フランス語を話せない彼女は、現地では犬扱いだった。
レモンティーを頼みたくても「シトロン」が通じず、注文出来ない。肉屋では待っても待っても番がまわって来ない。ここでは、肉一切れ買えないのだ。フランス語ができないと。
フランス語が通じないことを知られた後、肉屋のオッサンからシッシッと追い払われたとき、ハルは、パリに来たことを心から後悔した。
学校が始まるまでの数週間、寂しくて暇で、元カレに国際電話をかけては嫌がられた。もう用はないのだ、日本からいなくなった女なんて。
穴があくほど、部屋の鏡を見つめる日々だった。フランス語が出来ないため友達は一人も出来ず、大家のマダムは一言も口をきかない。フランス語が通じない相手など、犬以下なのだ。
乾燥して水質の悪いパリに来てしばらくすると、肌はボロボロ、目の下の乾燥シワは、もうすぐ還暦の母を思い出させた。
「頭、おかしくなる。外、出よう」
授業の登録もあったので、学校へメトロで向かう。途中、メトロが地上に出て、とてつもない開放感を味わった。
左手にエッフェル塔が見えた時、自然に口から、フランス語が出た。
「美しい、トレビアン!」
周囲のフランス人には見慣れた光景のようで、皆、無反応。ハルはまさに異邦人、ジャパニーズ・イン・パリスだった。
フランス語ができないため誰にも道を聞けず、グーグルマップのある時代ではなかったので、右往左往しながら、学校を目指した。
「あったあった、トレビヤーン!!」
トレビアンの発音は、既に片仮名になっていた。
やっとの思いで辿り着いた製菓学校。受け付けでハルは、日本人女性とぶつかりそうになった。
「ごめんなさい」
相手は、地味な服装に化粧っ気のない、地味な女だった。
「日本の方ですか?」
日本語が喋りたくて、思わず聞いた。
「そうです」
相手も里心ついたか、二人は近くのカフェでお茶を飲むことになった。彼女の名前は、ひろみといった。
「お菓子ですか、料理ですか?」
ひろみも日本人と会えて嬉しそうだった。母国語で話せることがこんなに嬉しいなんて、パリに行くまでハルは知らなかった。
「お菓子です」
「私も。東京出身ですか?」
「うん、門前仲町。下町っ子よ」
あっという間にふたりは打ち解け、ワインが進んだ。
「私は茨城。家を出たくて、お金貯めてこっちに」
ひろみは苦労人のようだった。ひろみだけじゃない、パリに来て勉強したり、無給で研修を受けたりしている人は、日本で何年も働いて、お金を貯めて来た人が多かった。
ハルの場合は能天気なものだった。
「パリに行こうかな」
と母に告げると、
「慰謝料から、少し出そうか?」
と言って、ポーンと300万円だしてくれたのだ。自分の貯金と合わせて、すぐにパリに飛べたのは、母のおかげである。貯金も小さい頃からのお年玉で、相当額あった。
「それじゃあ、また来週からよろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
製菓学校の授業の進め方は、まず講師がデモンストレーションで完成品を作り、その後、生徒自身が一人で作り上げる。
LE CORDON BLEU-----。ここのディプロマは世界で通用するので、クラスメイトは世界中から集まっていた。逆にフランス人は少なかった。
学校にはひろみの他にあと二人、日本人がいた。めちゃくちゃ金持ちのサクラと、苦労人のゆきだった。
この四人の組み合わせが、のちに不幸をもたらす。
* イースト菌の発酵作用で膨らませた生地を円環形もしくは円筒形の型に入れて焼き上げ、ラム酒風味のシロップをしみ込ませたケーキ。
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