84歳の母を泣かせてしまったお正月
2025年初めての投稿です。皆さんの新年の抱負を読み、私も、年の初めらしく、前向きなことを書こうとしたのですが、手が止まってしまいました。まずは、この心の中のつっかえを書いてみることにします。
年末年始は、息子と私の2人で神戸の実家に帰省していました。弟一家も帰ってきていて、11歳の息子と3歳の姪っ子中心の、賑やかな毎日でした。
発達がゆっくりな息子は、実年齢は11歳だけれど、精神的には5〜6歳くらい。姪っ子にとっては、ちょっとお兄ちゃんで、ちょうどよい遊び相手です。息子は、下の子の面倒を見るのが好きなので、お兄ちゃん気分を味わえて楽しそうでした。
お正月には、いとこ2人が大阪から遊びに来ました。その1人、まーちゃんのことが息子は大好き。5年ぶりの再会に半端ないテンションの上がり方で、1日中ずっと、まーちゃんに張りついていました。
そんな息子の様子を見ていて、私は心配でした。こんなに楽しいと別れるのがつらくなります。「帰り際、大丈夫だろうか」と。その不安は的中してしまいました。電車に乗って、途中の駅まで一緒に行くと言い出したのです。
こだわりスイッチが入ってしまうと、理詰めで言っても通じません。なんらかの形で、息子のこだわりを満たす方法をとらなくては。
弟と知恵を絞り、電車で2駅のところにあるレストランで食事をすることにしました。帰りは、実家の最寄り駅まで、みんな一緒に電車に乗ります。そこでバイバイすれば、途中の駅で見送りできたことになるわけです。
どうにか息子も納得してくれて、ホッとひと安心。息子のこだわりに付き合うには、頭を使います。しかし、これだけでは済みませんでした。
息子にとって、非日常の楽しいことも刺激(=ストレス)になります。そして、日常に戻るのにもエネルギーを使います。東京に戻る日が近づくにつれ、ちょっとしたことで泣き出すなど、情緒不安定な様子が見られました。
そして、東京に戻る日。息子が前日に、気になることを言っていたんですよね。「僕、疲れてるから、東京に帰る日は、すぐに起きられないかもしれない」
そして、その言葉どおり、普段は、5時半や6時に起きるのに、7時になっても起きてきません。やっと起きてきたと思ったら、朝ご飯を食べ終わるとすぐに、「また眠くなってきた」と言い出し、ソファにごろん。
「じゃあ、アラームが鳴るまでね」と30分後にセットしてはみたもののの、予想どおり、まだ眠いと言って動こうとしない。
あの手この手で声をかけども、いっこうに態度は変わらず、時間はどんどん過ぎていきます。かなり余裕をみていたけれど、新幹線の時間が迫ってきて、さすがに焦り始めました。
そんな私たちの様子を見て、母は耐えきれなくなったのでしょう。感情的になって、ものすごくきつい口調で「いい加減にしなさい!」と息子に怒鳴りつけたのです。
「あー、やってしまった…」と私は思いました。案の定、息子は火がついたように泣き出し、ますますこちらの言葉が耳に入らない状況に。
私は、母に対して苛立ち、思わず言ってしまったのです。「こういうのは一番やったらあかん対応なんよ。お母さんは、なんも言わんでええから!」
そして私は、泣きじゃくる息子をそのままにして、帰り支度を始めました。姪っ子は、「また泣いてるー」と苦笑いしながら息子を見ています。
玄関で靴を履いて振り返ると、母が泣いていました。「もうすぐ中学生になるのに、情けない…」
そんな母の姿を見て、悲しい、申し訳ない、というより、「なんでわかってくれてないの?」という気持ちの方が強かった。
「○○ちゃん(息子)は、普通の子じゃないんやから」と言うしかありませんでした。母は「わかってるよ」と言ったけれど、その瞬間、私は、「いや、わかってないよ」と思っていました。
玄関での母とのやりとりの間に、弟がうまく声かけしてくれたようで、私を追いかけるように息子が出てきました。
息子も、わがままでやっているわけではないのです。その証拠に、実家を出て駅に向かう途中、「さっきはごめんね。泣いちゃってごめんね、ほんとにごめんね」と何度も謝っていました。それを見ると、本当に意地らしくて、こっちが泣きそうになります。
少し落ち着いてから思い返すと、母の気持ちもわかる気はするのです。母には、息子の障害のことは伝えています。
でも、幼いうちは、発達の遅れが目立ちにくい。これからもっと成長するだろうと期待があったのかもしれません。
しかし、年齢とともに、定型発達の子との差がはっきりしてきます。自分の身長を追い越しそうなくらい身体は成長したのに、3歳の孫よりも幼いところがある、11歳の孫。
障害があると頭ではわかっていても、期待に沿わない孫の姿を受け入れることができなかったのだと思います。
高齢の母に少しでも孫の顔を見せておきたい。そう思って帰省したけれど、結果的に84歳の母を泣かせることになってしまいました。
これって親孝行になっているんだろうか。なんとも言えない苦しさが、胸のあたりにまだ残っています。