『今、私たちに出来ること。』
能登半島地震のニュース映像…
避難所で過ごす方たちの姿を見るだけで、
身体の芯に残る
凍えたあの日の寒さが蘇って来る。
1995年1月17日 阪神淡路大震災。
震度7の激震地区で被災した。
古い家屋が立ち並ぶ街で
周りの家々はほとんど全壊。
聞こえて来る…
隣のおばあちゃんのかすかな声。
命がけで家から這い出した近所の人たちと一緒に、
折れた太い梁や重い瓦を素手で掘り起こす。
誰かを助ける道具などなかった。
一瞬にして
水、電気、ガス。
生活に必要なものを全て失う。
関西は地震が起こらない、
そんな都市伝説を信じて
備蓄すると言う概念がなかった。
倒壊した家々に電気が戻った。
思わぬところから火が出る。
電気が復活するとき火花が散ることがある。
『通電火災』。
そんな言葉も知らなかった。
防火用水は30分しかもたなかった。
命を守るために必要なことを
知らなかった。
阪神淡路大震災で、
自ら被災しながら学んだ沢山のこと。
伝えることで
その後の震災の犠牲者を少しでも減らしたい。
伝えることで
震災で避難する人たちの辛さを減らしたい。
大災害が起こるたび、
私たちは学ぶ。
しかし、
東日本大震災では津波が…原発が…
能登半島地震では大規模な土砂崩れが…
大災害は
起こるたびに新たな苦難を私たちにもたらす。
備えることの難しさを
厳しい現実を突きつけられる。
それでも、
私たちは備えるしかない。
伝えて行くしかない。
悲しむ人を少しでも減らすために。
阪神淡路大震災。
能登半島地震。
全ての震災で亡くなられた皆さんのご冥福を
心からお祈りします。
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