サラリーマンレンズとフリーランスレンズ
フリーランス塾主催で2024年9月7日(土)に開催した「重富ビールで乾杯!フリーランスフェス2024」。
この日のために長い時間をかけて準備をしました。そういうプロジェクトに参加すると、色々な感情がわきおこり、色々と思うところが出てきます。
が、そんな感情も思うところもプロジェクトの終了とともにだんだんと記憶が薄れ、やがては忘却の彼方へと消えてゆきます。ですから、消え去ってしまう前に記録として残しておきたいとツラツラと書き始めました。
ところが、あまりにも学びが多かったので、まずは「経験を通じた成長」にテーマを絞った記事を書きました。
この記事は、前の記事には書ききれなかったフリーランスフェスでのワタクシ個人の学びの記録です。ちなみに、今回もビールの話は出てきません。
アイデアを出すことと実行すること
フリーランスフェスをやることが決まって、自ら手を挙げたメンバーがスタッフとして参加しました。スタッフメンバーのオンライングループが作られ、オンライングループの中で企画がだんだんと固まっていきました。
あー、思い出してみれば、こんなことをやったらいいんじゃないか、あんなことをやったらいいんじゃないかと、オンライングループの中でほんとに色々なアイデアが出ました。会社ではアイデアを出せと言われてもなかなか出てこないことも多いものですが、やっぱり会社のように誰かに参加を決定されるプロジェクトと自ら参加するフェスは違うんだなあと思ったものでした。
けれども、悲しいかな、実際にフェスで実行に至ったアイデアは一部でした。言うは易し、行うは難し。それを目の当たりにしました。アイデアを実行に移すのは、やっぱり簡単なことではありませんでした。今回のフェスのように仕事としてやっているわけではないイベントの場合は特に。出したアイデア実行への強制力は働かないわけですから。
強制力の働かない環境でアイデアが実行されるには何が必要なのでしょうか?ワタクシは、「できたら楽しいね」のアイデアであることが必要じゃないかと思います。アイデアの実行に人が突き動かされるのは「できたらいいね」ではなく「できたら楽しいね」だからです。
自分がその実行推進を想定したアイデアを出すことも必要じゃないかと思います。アイデアを出した本人がその実行に突き動かされないのならば、やはりそれは「できたらいいね」のアイデアだったということではないでしょうか。
一方で、会社の中で求められるのは、「できたら楽しいね」のアイデアではなくて「できたらいいね」のアイデアです。ですから、アイデアを出すというと、知らず知らずのうちに「できたらいいね」のアイデアを出してしまうのかもしれません。また、会社では上からふってきた計画を現場が実行することは珍しくなく、アイデアを出すことと実行することは別ものと考えてしまうのかもしれません。
フェスで求められていたのは、「できたら楽しいね」のアイデアを出し、それを自ら実行推進することでした。会社の中で求められることとはまるで違っていました。
部分を見ることと全体を見ること
当然のことですが、フェスの準備も当日の運営も役割分担を決めて進めました。その点については、会社の中で役割を分担してプロジェクトを進めることと何ら変わりはありませんでした。決められた分担をいかに効率よく進めるかについてのスキルやノウハウはフェスでもいきました。
ただし、違う点がひとつありました。自分の役割だけでなく全体を見ることについてです。
大きな組織の会社にいると、あまりにも組織が大きすぎて、全体を見ることが難しいことがよくあります。全体を見るためには全体がどう動いているのかの情報へのアクセスが必要ですが、これがなかなか難しいのです。ですから、自分の役割部分だけを見ることに慣れてしまって、それが当たり前だと思ってしまいます。
フェスでは、自分の役割部分だけでなく全体にも目を向けることができました。なぜなら、オンライン上のファイルですべての情報を共有し、定期的なミーティングでフェスの全体にわたって確認をしたからです。
全体を見た上で部分を見るのと、部分だけを見るのとでは、とれる動きが違いました。
例えば、このタスクは自分のチームに割り振られているけれど、他のチームがやった方がうまく回るんじゃないかというようなことがわかります。いや、決して、他のチームにタスクを押し付けようというわけではなくてです(キッパリ)。例えば、自分のチームでこれをやるには、他のチームの誰に協力を依頼すればうまく回るかが見えます。例えば、このタスクはどのチームにもアサインされていないから自分がやろうという動きがとれます。
会社の中では、自分のチームの役割はここまでとはっきりと線をひく傾向があります。ものごとをはっきりさせてから動く傾向が強いのです。それゆえに、はじめに決めた役割分担を変えようとすると摩擦が生じることがあります。
フェスでも役割分担を決めはしましたが、それを確たるものとして進めようとはしませんでした。直前になって担当の役割が変わったメンバーもいましたが、まるではじめからその役割であったかのように見事な対応ぶりでした。分担チームを超えた協力が、押し付け合いではなく気持ちよく進むことを体験しました。
最終的には全体としてどうかが問われるのですから、部分と全体の両方を見た方がいいに決まっています。フェスに参加して、そんな当たり前のことに改めて気づきました。
「旗を掲げる」の意味を再考する
フリーランスフェスには、自ら参加を表明したフリーランス塾生がスタッフとして参加しました。普段は、塾生は「いつかは学部」と「すでに学部」に分かれて講義やディスカッションに参加しているため、「いつかは学部」と「すでに学部」の交流はあまり多くありません。また、同じ学部内でも自分の住む地とは離れた場所から参加している人とは会ったこともなく、お互いのことをそれほどよくは知らない場合もあります。
しかーし、です。フリーランスフェスというプロジェクトを一緒にやるからには、否が応でも学部の垣根を超えた交流やコミュニケーションがおこります。通常ではなかなか見ることのないくらいに活発なコミュニケーションを目の当たりにして、「あぁ!」と思ったことがあります。
1対1でのメッセージのやりとり、オンライングループでのコメント、オンラインミーティングでの発言、それらを通じて、その人となりが自然と立ち現れてきます。ひとつひとつの小さなコミュニケーションの積み重ねが「旗を掲げる」ことになるんだなあと。
これでは、なんのこっちゃかわかりませんよね。ご安心ください。順を追って解説します。
「旗を掲げる」は、田中塾長が提唱しているフリーランスとしてお声がかかるためのPFCサイクルのステップの一つです。
お声がかかるためのPFCサイクルとはこれです。
「旗を掲げる」とは、SNSやHP等の手段を使って、自分がやろうとしていること(ネタ)を伝えることです。
自分が声をかける立場になったことを想像してみてください。掲げられた旗の何を見て声をかけるでしょうか。その人のネタ(スキルと言い換えてもいいかもしれません)がはずせないことに疑う余地はありません。ですが、見るのはネタだけでしょうか?
プロジェクトをともに進めるとなれば、その人との間にコミュニケーションが発生します。コミュニケーションが気持ちよく進む人と、ストレスを感じる人と、どちらの人に声をかけたいでしょうか?その答えは明白ですよね。
「ネタ」が突き抜けていて余人を持って代えがたいという人でもない限り、「ネタ」に加えて「人となり」の旗によってお声がかかるのではないでしょうか。「ネタ」の旗は意識して掲げるけれど、「人となり」の旗は知らず知らずのうちに掲げてしまっている。これが、フェスでのコミュニケーションを観察して、ワタクシが「あぁ!」と思ったことです。
会社の中にいると、お声がかかるを意識することはありません。途切れることなくタスクがアサインされるからです。ワタクシが、PFCサイクルを知らずにフェスのプロジェクトに参加していたら、おそらくは「旗を掲げる」の意味を再考することもなかったでしょう。
サラリーマンレンズとフリーランスレンズ
ここまで書き綴ったものを整理してみると、あーら不思議。フリーランスフェスとは何だったのかが見えてくるじゃあーりませんか。
会社のプロジェクトとフリーランスフェスでは、そもそもの前提が違います。まず、プロジェクトの実施、参加、タスクの割当が他者によってなされるか、自分(たち)で決定するかの違いがあります。タスクの実行に強制力があるかないかも違います。
前提が違えば、プロジェクトでの動き方が異なるのは当然です。フリーランスフェスのスタッフとして動くことは、会社のプロジェクトと同じように動いてもうまくいかないことが多くありました。ワタクシは長年の会社員生活で、プロジェクトをサラリーマンレンズで見ることが当たり前だと思っていたのです。きゃー、こわーい!
でも、それが当たり前ではないプロジェクトがあることをフリーランスフェスは教えてくれました。フリーランスフェスでは、サラリーマンレンズとは違うレンズでプロジェクトを見て動く必要がありました。このレンズをフリーランスレンズと呼びたいと思います。
ワタクシにとってフリーランスフェスとは、サラリーマンレンズとフリーランスレンズの違いを知る場であり、サラリーマンレンズをはずして、フリーランスレンズをつけて動くことを実践する場でした。
サラリーマンレンズとは異なるフリーランスレンズを手にいれるために必要なのは、本を読むことでも誰かの話を聞くことでもなく、フリーランスレンズをつけて動く経験をすることなのだと思います。動いてみないことには、深くしみついたサラリーマンレンズをかけていることにも気づけなかったと思います。
これからもフリーランス塾でフリーランスレンズをつけて動く経験を積み重ねていきたいと願います。その先になりたい姿も見えてきました。
サラリーマンレンズとフリーランスレンズを状況に応じて自由自在につけ替えて動ける。そういう人にワタクシはなりたい。