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伝えるとはどういうことか

「伝える」がテーマのセミナーにわざわざ福岡まで行って参加してきました。かくして、2025年最初の記事は「伝える」について書くことになりました。


「伝えることを好きになろう」セミナー

「伝える」をテーマにしたセミナーが開催されたのは、まだ新春気分の2025年1月11日に福岡市にて。

2人の講師が3つのPartを分担する形でセミナーは進行しました。講師の1人は、講師や作家として伝えることを生業としている田中靖浩先生。もう一人の講師は、グラフィックレコーダーとして描いて記録する楽しさを伝えているひめさんこと岸智子さんでした。

Part1:読み書きのはじまり

話すと書く。言葉で伝える仕事をしている田中先生が開口一番に言いました。

「伝える=言葉」だと思っていませんか?それではせまいんですよね。

意表をつくはじまりに注意がぐっと惹きつけられます。

そんなはじまりに続く話は、落語の枕のような「気配」にまつわるエピソード。笑いをさらって会場を和ませた後は、いよいよPart1の本題に入っていきます。

読み書きのはじまりは、長い人類の歴史の中でわずか500年前のことです。

読み書きのはじまりで重要な役割を果たした3人の人物の名前がスライドに映し出されます。

  • グーテンベルグ(1400‐1468)

  • マルティン・ルター(1448‐1546)

  • ヤーコプ・フッガー(1459-1525)

グーテンベルクと言えば、言わずと知れた活版印刷の発明者。彼のおかげで、今、私たちは多くの人に書いて伝えることができるようになりました。

グーテンベルクとはどんな人だったのか。どうやって活版印刷を発明したのか。本作りでグーテンベルクは何にこだわったのか。グーテンベルクが1番最初に活版印刷で作って売った本は何だったのか。

田中先生はグーテンベルクについて、まるで実際に見てきたかのように語ります。さながら講談師のようでありました。

マルティン・ルターとヤーコプ・フッガーについてもグーテンベルクと同様に、その人物像、時代背景、功績が流れるように語られます。

「へえぇ」「ほおぅ」「はあぁ」。そんな感嘆詞が会場に渦巻きます。今、ワタクシたちが当たり前のように行っている読み書きが、そんなはじまりの上に成り立っているのかと思うと、なんだかとても尊いもののように思えてきます。

3人の人物を通して見る読み書きのはじまりの詳細は、田中先生が現在執筆中の新刊で読めるそうなので、乞うご期待!

田中先生は、Part1をこんな言葉でしめくくりました。

500年前にはじまった読み書きの歴史は、きっと「伝える」喜びのはじまりでもあったと思うんです。

これを聞いて、ハッとしました。「伝える」の原点って伝える喜びなんだよなぁ。忘れかけていた一番大事なことを思い出させてくれた瞬間でした。

Part2:プチグラレコ講座

Part2の講師はひめ(岸智子)さんです。夢中になって耳を傾けたPart1とは対照的に、参加者も手を動かして描きながらの時間になりました。

特に印象的だったのが自己紹介タイム。

16個の手描きイラストが映し出されたスライドを提示して、ひめさんはこう言いました。

この中からイラストを選んで自己紹介をしてください。選ぶのは1つじゃなくても構いません。

画面に映し出されていたものと同じ1つのイラストを描いた紙を見せながら、ひめさんご自身が自己紹介の見本をみせてくれました。

あー、なるほど、そういう感じでやればいいのね。 と、見本を見てやり方を理解をしたワタクシたちは、しばしスライドを眺めた後、白い紙に向かってさらさらと絵を描き始めました。

イラストつきの自己紹介タイム。思った以上にその人となりがわかって楽しい時間になりました。同じイラストを選んでいても、それぞれに違う意味をのせた自己紹介を聞いて、絵は言葉よりもずっと抽象度が高いことにも気づかされました。

16個のイラストから選ぶという制約つきの自己紹介と聞いたとき、正直、「えーっ」と思いました。ところが実際にやってみると、自己紹介が大の苦手なワタクシにもすんなりとできてしまったのです。何の制約もない自己紹介よりも、自由にイラストを描いてと言われるよりも、16個のイラストから選ぶという制約が自己紹介へのハードルをぐんと下げてくれたのです。

セミナーのPart2で、ひめさんは、瞬間で消えてしまう感情を絵に描いて残すのだと何度も繰り返しました。

Part3:歴史から見る「伝える」ということ

Part3では、再び田中先生に講師のバトンが渡りました。著者でもある田中先生は、本を書いて伝えることで世界が広がったと喜びを表す笑顔で言いました。そして、伝えることにまつわる嬉しかったエピソードを紹介してくれました。

わたしが書いた「会計の世界史」に3種類のしおりがついているというXの投稿を見たんです。1冊の本を3世代で読んで、それぞれにしおりをつけたんですね。自分が書いた本について3世代で会話できるって、とても嬉しいことです。

田中先生は、セミナーのまとめとして、伝えることについての重要な視点を提示してくれました。

伝える内容には事実と感情がありますが、これからは事実よりも感情を伝えることが大事になります

田中先生がこう力説する背景には、生成AIの急速な発達と浸透があります。いやほんと、事実ならAIの方がはるかに正確に速く伝えられますよね。あやつは時々、嘘をつくこともありますが(笑)

インターネットしかり、生成AIしかり。言葉で伝えることに関して、まさかこんなに劇的な変化が起こるなんて、グーテンベルクが知ったらどう思うでしょうねえ。

田中先生は、歴史から見る「伝える」ことの変化をホワイトボードに書きました。

「伝える」の歴史的変化

読み書きがはじまった500年前は、モノも不足していましたが、情報も不足していました。活版印刷が登場したとはいえ、伝える手段も限られていました。

それに対して、今は、モノだけでなく情報もあふれかえる情報過多の時代です。伝える手段も500年前とは様変わりしました。インターネットやSNSの発達で、誰でも簡単に情報発信が可能になりました。

伝えることの歴史的な大変化をもとに、田中先生界隈ではおなじみのBモードとDモードにも話題は及びました。

ご存知ない方のために解説しておくと、Bモードは「◯◯がしたい動機で動くモード」であり、Dモードは「不足を埋める動機で動くモード」です。

情報が不足していた500年前、その不足を埋めんとして伝える(=Dモードで伝える)のは当然の成り行きです。それに対して、伝える背景が500 年前とは対照をなす今は、Bモードで伝える時代と言ってよいでしょう。

わざわざ福岡まで行った価値はあったのか?

とまあ、福岡で開催されたセミナーを思いっきり端折って書くとこんな感じでした。

セミナー開催日の数日前に見た福岡の天気予報は、腰が引けるほどの低い気温を示していました。なんなら雪マークも出ています。「福岡ってこんなに寒いの?」と、セミナーに申し込んだことを少しばかり後悔するほどにビビりながら天気予報を眺めたことを思い出します。

福岡に行くことを告げた家族からは、当然のことながら「何しに行くの?」と聞かれました。「セミナー」と答えたワタクシには、無言であきれた眼差しが向けられました。地方に住んでいれば、東京でしか開催されないセミナーのために遠路はるばる参加することもあるでしょう。が、東京に住んでいながら地方開催のセミナーにわざわざ参加するワタクシへの家族の反応は、まあ無理からぬことでした。

果たして、わざわざ福岡まで行ってセミナーに参加した価値はあったのか?気になりますよねー。えっ、気にならない?まあ、そうおっしゃらずに聞いてくださいよ。

結論は、わざわざ福岡まで行った価値は、










ありました!

それは、このセミナーに参加して、伝えるとはどういうことかを自分なりに掘り下げられたからです。

福岡まで行ったおかげで、九州在住の勉強会仲間とリアルに会うこともできました。ワタクシにとっては、モチロンそれも価値あることでした。

伝えるとはどういうことか

ここからは、セミナーで得たヒントをもとに、伝えるとはどういうことかを考えてみたいと思います。

「伝える」にもBモードとDモードがある!

セミナーでのワタクシの感動ポイントはコレでした。

ワタクシは、田中先生が主宰する勉強会で幾度となくBモードとDモードについて学びました。ブログを書いて伝えることを続けてきました。しかも、BモードとDモードの話題を含んで書いたブログの数は21本にものぼります。そのワタクシが、あろうことか、「伝える」にもBモードとDモードがあることに福岡で初めて気づくことになったのです。

おっと、あまりの興奮に話が少しそれてしまいました。伝えるとはどういうことかの話にもどりましょう。

情報過多であり、伝える手段の制約から解放された今。この時代に伝えるモードがBモードは本当か?

ワタクシは、ココにひっかかりを感じました。

今の時代にも「Bモードで伝える」と「Dモードで伝える」の両方の場合があるのではないか。だとしたら、その違いは何か。福岡から東京に戻っても、それについて考える日々が続きました。

そして、出した結論がこれです。

「伝える」の結果


Bモードで伝える場合は、伝えた結果として期待するのは受け手の評価です。受け手に「おぉ!」と新たな気づきが生まれたり、「そうそう!」と共感が生まれたりすることに思いを馳せながら伝えます。

一方、Dモードで伝える場合は、伝えた結果、自分の承認欲求を満たすことを期待しています。そのことを意識している場合もあるし、無意識のうちにそう期待していることもあるでしょう。誰でも情報発信可能な環境は、情報過多なのにDモードで伝えることを生み出したと言えるでしょう。

「Bモードで伝える」と「Dモードで伝える」を整理してはみたものの、いまひとつしっくりきません。なので、ここからさらに考えを巡らせる時間が必要でした。ここから先の答えにたどりつくためのヒントは、セミナーの最後に感想を聞かれて直感で答えた言葉にありました。

ワタクシ、セミナーでこんなことを言ってたんです。

伝えたいという衝動がないと伝わらないんじゃないかと思います。だから、伝えることを好きになるには、自分の心が動くものに触れ続けることが大切だと思います。

ひめさんの「感情を絵で描いて残す」や、田中先生の「事実よりも感情を伝えることが大事になる」が心に残っていたこと。そして、何より、「読み書きの歴史は伝える喜びのはじまりだった」という話を聞いて、ものすごく心を揺さぶられたこと。それらが相まって、とっさに口をついて出た感想でした。

伝えた結果の期待と同じくらいに、いやそれ以上に、この感動を伝えたいという内なる衝動に突き動かされるのが伝えるということではないかと思うのです。

「伝える」の起点


「伝える」のBモードとDモードの違いは、「伝える」の起点にもあるというのがワタクシの結論です。

Bモードで伝えるということは、自分が感動したことが起点となってそれを表現します。感動が起点なわけですから、その表現は必然的に感情がのったものになります。

対して、Dモードで伝えるということは、「行った」「見た」「聞いた」「食べた」などの行動した事実が起点となって、それを表現します。ワタクシは、飛行機に乗ってわざわざ福岡まで行ってセミナーを受講しました。この事実をSNSに投稿すれば、普段の投稿より多くの「いいね」が集まるかもしれません。でも、その投稿にはワタクシならではの要素は何もありません。

伝えるということをこう整理してみると、SNSで時々見かける「シェアしてください」と言うことの残念さがよくわかります。頼まれてシェアした投稿はDモードで伝えることに他ならず、しかして、その投稿を見た人に対してほとんど何の影響も生み出さないからです。

「Dモードで伝える」より「Bモードで伝える」方が優れていると言いたいわけではありません。ましてや「Dモードで伝える」ことを批判したいわけでもありません。

「伝える」には「Dモードで伝える」と「Bモードで伝える」の2種類があることに今更ながらに気づいて、それぞれの伝えるとはどういうことかをどうしても知りたくなったのです。そうして考えた結果、ワタクシはこう理解しましたというハナシです。

セミナーのタイトルは「伝えることを好きになろう」でした。このメッセージは、伝えるの原点である伝える喜びを思い出そう、Bモードで伝えようというということであり、ひいては感動する体験をしようということであるとワタクシは受け取りました。

あー、やっぱり歴史という長い時間軸で見ることで見えてくるものがあるんですね。このnoteの記事を書いて、ようやく理解できた気がします。田中先生が、読み書きのはじまりをセミナーでとりあげた奥深い意味を。

Bモードで伝えるとはどういうことか

noteの記事を書こうと思って、セミナーの記録用に撮った写真を見返してみて、わかったことがあります。

プチグラレコ講座で話すひめさん

「Bモードで伝える」ってこういうことかー。田中先生が「伝えるのは言葉だけじゃなく気配にもある」と言っていたのはこういうことかー。

ワタクシのスマホアルバムの中のひめさんは、全身全霊で伝える喜びを表しておりました~。

そして、もちろん、ワタクシもこのnoteの記事はBモードで書きました😊

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